週刊「我がヂレンマ」<1月15日号>

 3週目にして、これまでのレギュラー企画のなかで一番の出来であると確信しております。書いていて楽しく、文量も比較的多いので満足感があり、充実。とくに<メモについて解説と考察>のコーナーは、自分の頭の中を公開する気恥ずかしさがたまらんのです。というわけで、もしかすると出来の良いこの企画を4月以降もつづける可能性が出てきました。
 さて。
 今回は<メモについて解説と考察>と<最近、購入した本>と<松本人志さんについて>。前置きも面倒になってきたので、本文にいってみよう。

<メモについて解説と考察>

「何噛んでるんです」「ミノだよ」
 漫画か、映画かはたまた小説か。出典は分からないが、ふと思い出したので書き留めたのだろう。何か咀嚼している様子をみて、今時ガムでも噛んでいるのかと想像する。しかし、ミノ。牛の胃でコリコリとした食感でやや淡泊で食べやすい人気の部位。焼肉を店か食卓以外で咀嚼している異様さが気に入っている。

「スキンヘッドでニット帽、闘病中に見える」
 最低である。抗がん剤の副作用か、そういうイメージがこれを書かせたのだ。他方、現実にスキンヘッドでニット帽はほとんど見かけない。注意して過ごしていないので、見落としているだけだろうが。それもあって、「闘病中かな」というわけだ。だが、何かを被らないと、錦鯉の長谷川さんに見えてしまう。やはり、何か被っておこう。

「閑話休題(かんわきゅうだい)」
 本筋からはズレて語られていた話や無駄話をやめにすること。それはさておき。さて。大体そんな意味の単語です。どこかで存在をしり、割と使用頻度の高いやつです。使う利用は、カッコいいから。人によっては読めなそうな、頭よさげな閑話休題が好き。これからもどんどん使っていく。
 いや。そんなに本筋からズレてどうする。これを使えばなんでもアリではない。いかんせん高卒の悪い癖であります。

「絆という文字の由来は、家畜が逃げないよう縛っておく綱を表している」
 絆の語源には「頸綱(くびつな)」「騎綱(きづな)」「繋綱(つなぎつな)」の意味。「引綱(ひきつな)」の上略など諸説あり、動物を繋ぎとめる綱という点で共通している。元々、犬や馬などの動物を繋ぎとめておく綱のことを言い、平安中期の辞書『和名抄』にも、その意味で使用した例が見られる。
 絆が離れないよう繋ぎとめる意味から、家族や友人など、人と人を離れがたくしている結びつきを意味するようになった。
 だそうです。家族は尊敬し支えあうことを前提に、ある程度縛り合うものだ。それを繋ぎとめるため、日々の行いが重要である。

「怪死15分」
 勿論、開始のもじりである。開始15分ならサッカーの実況中継だろうが、『怪死15分』は誰が言っているのか。怪死とは不思議な死に方をすること、死因に疑いがある死に方。死後15分ということは、ほぼ直後である。山中なら偶然にもほどがある。とはいえ、15分とどうやって判断したのだろう。専門的知識があったのか。何か怪しい人物だ。とはいえ、早期発見できたことは何より。一方、犯人が気になってすぐに戻ってきた可能性がある。これは怖い。

「フラッシュ・モブ・強盗」
 フラッシュモブとは、雑踏のなかの歩行者を装って通りすがり、公共の場に集まり前触れもなく突如としてパフォーマンス(ダンスや演奏など)を行って、周囲の関心をひいたのち解散する行為。ゲリラパフォーマンスの一種である。
 それに、強盗を足しただけのモノ。似た格好もせず、パフォーマンスを装って金品を奪う。だが、強盗自体がフラッシュモブ的な要素があるので、あまりセンスの良い発想ではない。ゴミである。

<最近、購入した本とおススメ>

「大ダーク 第七巻 林田球」
 前巻までのあらすじ。宇宙というどこまでも広がる黒い暗闇のどこか。「手に入れればどんな願いも叶う」と言われる骨を持つ14歳のザハ=サンコとその仲間たちは、「4匹の害悪」と呼ばれ全宇宙からその命を狙われていた! ケンザーン星にて捕らえられたサンコとデスはビッグ=ピカスの待つライトヘッド教団聖区域へと連行されてしまう。それを追うアバキアンとダメ丸たち。そして新たに生まれた光核人間のヒノウミヴァー・・・闇と光、渾然一体大決戦に! そして劣勢を強いられたサンコ、ついに骨を奪われてしまい・・・?!
 だそうです。お読み頂いたとおり、造語もたっぷりな独自で、自由な世界観で突っ走るSFファンタジーである。人物名にしても、センスが炸裂していて(死ま田=デス、一(はじめ)=ダメ丸など)最高です。

「ホライズン・ゲート 事象の狩人 矢野アロウ」
 第11回ハヤカワSFコンテスト受賞作。ブラックホール相補性×時間SF×ガールミーツボーイ。
 宇宙連邦創世記に発見された十五兆標準太陽質量の超巨大ブラックホール<ダーク・エイジ>。それが人工物であるらしいことをつきとめた連邦の科学者たちは、地平線探査基地<ホライズン・スケープ>を建設し特異点の調査を開始する。分断された右脳に伝説の祖神を宿すヒルギス人の狙撃手・シンイーは、過去・現在・未来を見通す力を持つパメラ人の少年・イオとともに、別の宇宙へと続く<門(ゲート)>の探索を続けている。時空のゆがみにより周囲の時間からそれぞれに取り残されていく二人を襲撃するものの正体とは?
 だそうです。若干、本の厚みが薄く、表紙の狙撃手・シンイーのイラストが好みだったので手にとりました。ハヤカワSFコンテスト受賞作がどんなものか、レベルなのか(偉そう)興味もあったので。

「重力ピエロ(文庫版) 伊坂幸太郎」
 兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。家族には、過去に辛い出来事があった。その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件が始まる。連続放火と、火事を予見したような謎のグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは――。溢れくる未知の感動、小説の奇跡がここに。
 前から存在は知っていた作品。映画で知り(未見)気になっていて、満を持して購入。シーン毎にタイトルがあって、そのセンスも気になったのだ(性的人間、23、類人猿ディスカッションなど)。
 他方、伊坂先生は私と同じ千葉出身である。私が所持している書籍に、『小説の書き方』の森沢明夫先生、『地図と拳』の小川哲先生も千葉出身。
 何の縁か。狙っていない。感性が近いのか。何なら、『戒厳令下の新宿 
菊池成孔のコロナ日記2020.6―2023.1』の菊池成孔先生も、千葉出身。
 何の呪いか。いや、縁でしょうか。

<松本人志さんについて>

 騒動のあらまし、詳細は、それこそ文春オンラインでも、他のライターさんであれユーチューバーの方が詳しく説明しているのでそちらを参照で。
 言わずと知れたお笑い芸人のトップを30年以上走りつづけているカリスマである。被害者のいる(同意か不同意か置いて)、センシティブな話なので言葉を選んでいきたいが、この件で、松本人志さんは活動休止を発表し、今後は裁判になると宣言するに至った。
 7本あるレギュラー番組は収録済みを放送し終えたら、松本人志さんはいなくなる。一部代行を立てる番組もあるようだが、存続も危うい番組もあるようだ。
 何にせよ、テレビから松本人志が消える。
 結論から言う。私は、松本人志、いや、松ちゃんの味方だ。勘違いしてほしくないのは、証言した女性を敵とみなしていない。当然誹謗中傷するつもりも毛頭ない。同意があったかどうかは、密室のことで事実を証拠つきで証明できないにしても、問題がないとは断言できないからだ。
 裁判が始まってもいない以上、どちら側に一方的に与することは、本来できない。動向を静観するしかない。
 しかし。1986年生まれの今年38歳の私にとって、松ちゃんは物心ついたころから大スターで小学生のときは、ごっつええ感じを夢中で観て、大笑いしていた。
 そして現在に至るまでさんざん笑わせてもらい、今でも『ダウンタウンDX』『水曜日のダウンタウン』『人志松本のツマミになる話』はほぼ見ている。テレビを昔より見なくなった今、それは特別なことだ。
 とはいえ、今の時代、性加害の疑いが掛けられるだけでも、スポンサーは離れて一度イメージが落ちたら簡単には復帰できない。アンジャッシュの渡部健さんが多目的トイレで不倫し、活動自粛して4年が経とうとしている。
 強姦したわけでなく、疑いすら掛けられてなく、裁判すらしていないというのに4年である。復帰の兆しが見えているとはいえ、重い。
 一方、松ちゃんは『性加害疑惑』これは人権問題であり、疑いのレベルとしても芸能界追放と言っても不思議ではない。たとえ裁判で勝利したとしても、復帰は並大抵ではない。
 だが、私は復帰してほしい。松っちゃんから「お笑い」を奪わないでほしい。さて、完全に感情論な言葉を、セリフ調に書いていく。

「子供の頃からダウンタウンを見て、笑って育って、大人になったから。
理屈じゃないんだよね。松ちゃん好き、浜ちゃん好き、ダウンタウン好きって感覚はさ。
勿論、松ちゃんは相当、後輩を使って女遊びやってきただろうし、評判が悪いところもあったかもしれない。星の数ほど女遊びしてたら、今回みたいなこともあるだろうね。酷いところもあったかもしれない。
松ちゃんが清廉潔白とは言わない。被害者女性とされる女性たちを誹謗中傷するつもり気もない。
文春がビジネスってことも分かる。
企業からすれば、スポンサーになり難いことも分かる。
吉本新喜劇が会社と、タレントを守りたいのも分かる。
テレビがコンプライアンスに敏感で、スポンサーがいなきゃ成立しないのも分かる。
でも。
やっぱりダウンタウンが大好きなんだよ。松ちゃんが大好きなんだよ。
ダウンタウンを殺さないでくれ。
世間がなんて言おうと、この気持ちは絶対に変わらない。
感情論だっていうのは、分かってる。
でも、理屈で、理性で、常識で抑えきれるほど簡単じゃないんだ」

 我ながらクサい。だが本音である。通算で言えば7000回以上は松ちゃんで、ダウンタウンで笑っている。人は笑っている瞬間はどんなに嫌なことがあっても、辛い時期でも救われる。明日は頑張ってみようと勇気づけられる。松ちゃんがテレビから消えることになって、いかに自分の中で大きな存在だったか、「初」認識した。前々からファンではあったが、ここまで動揺するとは思わなかった。家族に対する愛情とは言わないが、好感を超えた感覚に根差した「愛着」が松ちゃんにはある。勿論、浜ちゃんにも。
 現実的に言ってテレビに復帰することは、難しいが、芸人として、表現者として引退してほしくない。こんな形で、社会的に抹殺されたも同然になって「余生」だなんて信じたくない。
 一方で、証言した女性に質問はしても、責めてはいけない。それは松ちゃんが裁判で勝利したとしても、やってはいけない。事実はなんであれ、被害者である可能性の高い人を、「嘘つき」だの「金目当て」なんて決めつけることは非常識にもほどがある。
 あくまで、結果が出るまで、カタが付くまで中立であるべきだ。

「とはいえ、松ちゃんを擁護したくなる」

 まごうこと無き本音である。松ちゃんを見捨てることは出来ない。そして、時代が変わろうとしている。
 そんな中を松ちゃんはどう歩くのか。
 いばらの道を行く松本人志さんの動向を注視すると同時に、出来るだけ中立的な視点を忘れないつもりだ。


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