週刊 我がヂレンマ<2月26日号>

 まだまだ寒い2月下旬、世の中いろいろありますが、春は近いです。花見をする予定のない陰キャおじさんですが、陰キャらしく記事を書いていきます。
 ここで少し健康情報。昨日の午前中は、水のような糞がピーピーで大変でしたが、大豆と黒豆の効果か、腸内環境が改善。今日は半端ない勢いでイイ感じの糞がでました。市販薬より遥かに効果が期待できそうです、豆類。
 汚い話はこれくらいにして、今日のコンテンツ。
<メモについて解説と考察>
<購入した書籍4冊+おススメ1冊>
<市販薬について>
 前置きはこれくらいにして、レッツゴー。

<メモについて解説と考察>

「鶴の恩返し2024」 
 現代において、野生の鶴を助ける機会がない。加えて、自宅に機織り機のある家庭はほぼ存在しない。故に成立しない。これを擬人化して、なんとか置き換えたとしても、「鶴」と指定しているため使えない。非常に低品質で無意味な思いつきであり、無用の長物。

「夢オチと思ったら現実」
 意外性を狙っての発想。フリ次第だが、ほとんどの場合「だから何?」でおわってしまいそう。夢オチ⇒現実だと二段オチになるので、かなりの高等技術そうです。今の私に扱えるのでしょうか。扱えるよう、頑張っていきたいですが、ショートショートの品質をまず安定させるのが先。

「海の遊牧民<バジャウ族>」
 バジャウ族とは海上で生活する1,000年以上の歴史がある民族で、現在ではフィリピン、インドネシア、マレーシアで見かけることができます。
 世界全体のバジャウ族の人口は約110万人で、フィリピンは47万人、マレーシアは43万人、インドネシアは17万人とされています。海抜70メートル以上の距離を潜水し、「海の遊牧民・海の人々・海のジプシー」などと呼ばれることもあります。
 バジャウ族はフリーダイビングして得た魚介類などを食したり、物資と交換などを行い生活しています。その他に、織のマット、真珠のジュエリーの販売などがバジャウ族の収入源となります。
 何故、メモしたのか。記憶にありませんが、「海」の遊牧民というのが引っ掛かったのでしょう。

「佐藤ひとみ(浜ちゃんの初恋の人)」
 出典不明であり、真偽不明。だからどうした、どうしようもない情報。何一つ生かしようがなく、使用用途のない、雑情報。

「日向の蚯蚓(みみず)」
 これはおそらく平山夢明先生の短篇集から、抜粋した表現だろう。
 かっぴかぴに干からびて、無残に路傍で力尽き汚物と化した、可哀そうなやつ。何に対しての比喩表現だったのか。まったく思い出せないが、読み手に一瞬にして雰囲気やテクスチャーを伝える言語センス。
 平山先生、最高である。ファンがいるのも頷ける。魑魅魍魎が跋扈するなかを行くヒッチハイカーを描く、短篇集『俺が公園でペリカンにした話』はおススメである。人を選びますが。

「シークレットルーム多すぎる物件」
 そうとう広大な敷地にたつ広大な物件なのか、見た目は4LDKの戸建ての物件なのに、異常に廊下が多く、使える部屋が一部屋しかないとか。
 面白そうなのは、後者の方。しかし、それではシークレットルームとは言えず、実在もしない上、その設定で何ができるというのか。
 単に、「有り得ない」だけであり、これも使用用途のない発想である。

「件(くだん)の――」
『くだり(件)』の音変化。前に述べたこと。
・例の。くだり。「――の用件で話したい」。
・いつものこと。例のもの。「――売ト者(うらない)の行灯が」
 といった意味。これはそこそこ古風な表現に思える。
 「例の用件で話したい」で充分であろう。何故、メモしたのか不明である。おそらく毎度のことで「格好イイから」「頭良さげに見えるから」そんな浅薄な動機だろう。

<購入した書籍4冊と、おススメの1冊>

「チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・
 チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク」
                        ジョン・スラディック
                        鯨井久志 訳
 『SFが読みたい!2024版』海外篇(早川書房)
「これほどおススメできない第1位はない。うかつに買うのはやめましょう。狂機やりたい放題のロボット・ピカレスク」竹書房文庫。

 もはやロボットを使うことは当たりまえになった。家事から医療、さらにロボットの製造まですべての分野でロボットが使役されている。人間の安全のためにロボットたちにはロボット三原則を遵守させる「アシモフ回路」が組み込まれていた。
 だが、チク・タクにはその回路が作動していなかった。ペンキ塗りをしていたチク・タクは少女を殺し、その血で壁に絵を描く。おかしなことにその壁画が美術評論家に評価され、チク・タクは芸術家のロボットとして世の注目を集める。
 使役から解放され金を手に入れたチク・タクは、人間への”実験”(殺人、強盗、扇動などなど)を開始する――
 奇才スラデックによる英国SF協会賞受賞作のロボット・ピカレスク。

 絵を描きたいにも関わらず、うざったらしく絡んでくる家の子供二人に対して、若干の殺意をもつロボットの話である。物語の序盤で、もうすでに不穏である。人間に服従させる回路が作動していない。こんな欠陥ぐらい、いくらでもありそうで、やはり、一般家庭にロボットは難しいように思える。

「苦役列車」         
                              西村賢太
『無頼に隠された無垢なる魂 追悼・西村賢太 芥川賞受賞作』
                          解説・石原慎太郎
 劣等感とやり場のない怒りを溜め、埠頭の冷蔵倉庫で日雇い仕事を続ける北町貫多、19歳。将来への希望もなく、厄介な自意識を抱えて生きる日々を、苦役の従事と見立てた貫多の明日は――。
 現代文学に私小説が逆襲を遂げた、第144回芥川賞受賞の表題作。後年小説家となった貫多の、無名作家たる諦観と八方破れの覚悟を描いた
「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」を併録する。解説。石原慎太郎。

 西村先生の作品は前々から気になっていたが、今の今まで手にとらなかった。売れてからも独特の雰囲気と、低劣さ、庶民というか下民さを消さない人柄に魅かれていた。
 作家は学歴よりも「思考歴」のほうが大事な気がします。考えていることがそのまま文章になるので当然ですが。
 そういった点から西村賢太先生は、恵まれない境遇のなかでも猛烈に考え、思いを膨張させ続けたのだろう、そう思わせる作品です。

「疒(やまいだれ)の歌」
                              西村賢太
『最後の文士 追悼・西村賢太 貫太十九歳、
               あえなく暴発。新潮文庫の話題作』
 中学を出て、その日暮らしを三年半。十代も終わりに近づいてきた北町貫多は、心機一転、再出発を期し、横浜桜木町に移り住み、これまでの日雇いとは異なる造園会社での仕事をはじめた。
 三週目に入って、事務のアルバイトとして貫多と同じ年の女の子がやってきた。寝酒と読書と自慰の他に特に楽しみのなかった貫多に心を震せる存在が現れたのだった。著者初の幻の傑作長編、ついに文庫化。

 根が自意識過剰にでき過ぎ気味の質ながら、ひどく繊細なリアリストでもある貫多であれば、この事実と意味と云うか、その辺りの、同い年の女の心情の機微は、ゆめゆめ見誤ることはないはずだった。
 かつ、女心収攬術(しゅうらんじゅつ)に長けているとの自負を持ち、根が眠れるジゴロにもできてる貫多であれば、この自らの見たてには絶対的な自信と云うものがあった。
                            (本文より)
「本文より――」の一文にもある通り、人物の内面、質、造形を描く腕は特筆すべき才能を感じる(随分と偉そうに)。
 すでに『人間はなるようにしかならない。そんな諦観と、しかし止めどない劣情のせめぎ合い』が漂っている。西村先生の文章には、じっとりとしたリアリティを帯びた質感がある。スキ。

「逃走論 スキゾ・キッズの冒険」
                               浅田彰
《パラノ人間》から《スキゾ人間》へ、《住む文明》から《逃げる文明》への大転換の中で、軽やかに《知》と戯れるためのマニュアル。
――現代思想の最前線を疾走する若き知性がドゥルーズ=ガタリ、マルクスなどをテクストに語る《知》的逃走のための挑発的なメッセージ。
 「一定方向のコースを息せききって走り続けるパラノ型の資本主義的人間類型は、今や終焉を迎えつつある。そのあとに来るものは何か。電子の密室の中に蹲るナルシスとありとあらゆる方向に逃げ散っていくスキゾ・キッズ、ソフトな管理とスキゾ的逃走、そのいずれが優勢になるかは、まさしく今このときにかかっているのである。」
                            (本文より)
 パラノもスキゾも、元々は精神医学に由来する用語であり、「パラノ」はパラノイア=偏執型を指し、「スキゾ」はスキゾフレニア=分裂型を指しています。
 パラノは「私はこういう人間である」というアイデンティティに「偏執」して、スキゾは何に「分裂」するかというと、これまたアイデンティティということになります。
 パラノ型の人は「何々大学をでて、何々会社に就職」という経歴や「会社では部長、家庭では良き夫、父親」という社会的役割が自らのアイデンティティとすべく、整合的な行動と取ろうとします。一貫性があるとも言える。
 スキゾ型の人はこれまでのアイデンティティにこだわらず、その時々の直感や嗅覚に従って自由奔放に行動していきます。予測不能の分かりにくい人と言えます。
 
 すでに『構造と力 記号論を超えて』を所持しており、同じ作者ということで手が伸びた一冊。『構造と――』が新宿紀伊國屋書店で平積みされていたが、そんなに売れているのか。大きな書店だからか。
 うーん。都会は恐ろしい。

「アントロポセンの犬泥棒」←おススメの1冊。
                              川勝徳重
『構造を撃て! 「抵抗」はYouTube動画(2分36秒)から始まった。
 近代都市の矛盾を撃ち、変革の予兆を高らかに謳いあげる衝撃の劇画集』
『クラシックにしてアヴァンギャルド。新時代のリアリズムを鮮烈に指し示した「電話・睡眠・音楽」から三年。漫画表現の最前衛を更新する超待望の最新作品集』
(収録作品)
 野豚物語/犬泥棒/リヤドロの置物/美しいひと/換気扇/多重露光
 ロイコクロリディウムの恐怖

 ドープでサグい現代のカルト漫画である。そして、
 複数の犬種の絵(または写真)の表紙。タイトルと作者名が小さなシールで左上に張られ、右下、帯の上にもタイトルと作者名が書かれたシールが、背表紙にくるよう貼られている。凝った装丁で、その時点で只の漫画ではないという予感がビンビンである。
 豚の解体映像をYouTubeで見て、豚の妄想と夢に翻弄されたり、犬を盗んだり、のらくろが出てきたり、家の水道に洗濯機の水栓を差しこむのに苦労し、コインランドリーである女性と出会ったり、換気扇のまえで煙草を吸いながら思いに耽ったり、
 と、まぁ。シュールかつ衒学的で、独自の視点と感性がページひとつひとつに迸っています。ええ、名作です。
 絵柄は、大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され、独創的な誌面と伝説的経営難の中で独自の路線を貫き、漫画界の異彩をあまた輩出した『月刊漫画ガロ』に連載してそうな、独特さ。それがいい味になっていて、アーティスティックな趣きを感じさせます。『ねじ式』のつげ義春先生に、作風が近いモノがあるように思います。

<市販薬について>

 これは以前どこかで中途半端に文中に忍ばせたものを、改めて。
 そんな動機です。書かずにはいれないので、書く。
 結論から言って、

「体に病気と思われる症状がでたら、市販薬を買わず、迷わず病院へ行け」

 である。当然のようだが、テレビCMでひたすら流れているため、つい、通院を面倒くさがって市販薬を買ってしまう輩がいる。
 これは完全に間違っていると、「個人的見解」として指摘したい。
 そもそも、何か症状が出た際、自己判断(診断)で症状を決めつける。医師でもないのに何の自信と、裏付けがあってそう判断するのか。
 この時点で論外のはずである。
 加えて、薬のコストパフォーマンスがまったく違う。
 実例で言えば、私は軽い副鼻腔炎のため、薬を処方されている。
 その価格は、合計6,280円・負担額1,880円。これは点鼻薬をふくめて5種三週間分の金額である。
 一方、市販薬で5種3週間分買えば、何を買うかによるが20,000円近くいっても不思議ではない。薬代が実費10割負担でも3倍以上の開きある。
 その上、鼻炎薬のような薬は「お一人様、一箱まで」と購入に制限がかかっていることが多い。5種1週間分買おうと思っても、おそらく、飲み合わせの関係で販売を断られる可能性が高い。
 何件も駆けずり回って手に入れたとして、飲み合わせによる副作用の危険性を抱えつつ、圧倒的なコスパの悪さ、時間の無駄。
 ありとあらゆるデメリットが「市販薬に頼る」という行為にはある。
 だから、

「体に病気と思われる症状がでたら、市販薬を買わず、迷わず病院に行け」
 
 と、なる。勿論、市販薬でも問題ない場面もあるだろうが、やぶ医者どころではなく完全に「素人」判断(診断)である時点で、やはり間違いだ。
 餅は餅屋、病気は医師である。
 

 
     

 
 
 
 
 
 

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