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やっぱり外せない言語の壁

言語の壁、ありがちだけど、でもどうしても外せない始めの壁でした。日本生まれ育ち、オーストラリアに交換留学経験があるものの、日本の学校に通い、自分で英語勉強が中心でした。渡航前は、日本でTOEFLibtの勉強に励み、4技能を満遍なく勉強してきました。英語のラジオをシャワーや歩きながら聞き流したり、英語のニュースを読んだりと様々な工夫を重ね、自信もなんとなくありました。


大学生活スタート

ですが、現実はそう簡単にはいきません。大学に着いた翌日から留学生用のオリエンテーションが始まり、インド、ナイジェリア、ドイツ、イギリス、韓国、フィリピンなど世界中からの学生とともに時間を過ごしました。皆んな留学生、だけど、自分の英語の拙さは明らかでした。また、皆留学生ということもあり、訛りや強いアクセントを持っている人も多く、聞き取りですら難しい状況、、、時差ボケと大学が提供する情報も大量で、一息つく暇もなく毎日必死でした。

色んな学生と話すうちに寮同士などでグループが徐々に形成されていきました。私の寮は大きな家程度の小さい寮だったため、他の寮の子達と仲良くしていました。アクティビティでたまたま一緒になったあるアメリカ人の女の子と同じ専攻だと知り、小柄で、静か系で話しやすい雰囲気で、「仲良くしたい!」と強く思いました。そこから一緒にカフェテリアでご飯を食べたり、話す機会も多く、いくつか同じ授業も履修しました。

ですが、思ったよりも会話を続けるのが難しく、悩まされる日々が続きました。その子は少しシャイで、話すスピードがすごく早く、質問をしても答えが速すぎて、聞き取りできず、聞き返すも、「いやなんもない」って撤回されることもしばしば、、、質問をして会話を始める勇気はあるものの、そこから会話が続かず、また静かになるようなことが多かったです。私は、もっとおしゃべりしたかったし、その子のことをもっと知りたいと思っていたので、このむずむずがしんどかったです。

また、言語の壁による疎外感や自己嫌悪感、孤独感など、特に共感します。周りの人は楽しそうで話しているのに自分はできない、理解したいけど、聞き取れず曖昧に笑って知ってるふりなどあるあるでした。これから逃げて自室に篭り映画でも見た方が楽しかったかもしれません。しかし、この状況にわざと身を置きながら、少しでも友達と楽しい時間を過ごしつつ、ちゃんとした友人が欲しかったし、英語力も向上させたかった私は後者を選びました。

大学の授業


英語ができないことでの障害は友人関係にとどまらず、授業でも明らかでした。教授の話すスピードについていけない、聞き取りもしっかりできていないので、ノートも取れない、政治の授業では特に授業で何を話しているのかわからない、という日々でした。申し訳なさに友人のノートを見してもらったり、授業を録音し、授業後に何度も聞くなど人の何倍の時間もかけて勉強しました。特に始めの学期の内容はそこまで難しいということもなかったですが、言語の壁に思いっきりぶち当たりました。それでも負けたくない私は必死に勉強し、わかると楽しくなっていき、苦ではありませんでした。また、教授に電子辞書の持ち込みを許可してもらったり、期末テストの時間を3時間から3時間半に伸ばしてもらうなど助けを求めつつ、1年が終わる頃には、さすがに授業や友達との会話でもなくなりはしないものの言語の壁は低くなっていることを実感しました。

それでも、私は、絶対にネイティブほど話せないし、話そうとも思わなくなりました。そのアメリカ人の子とは今では大親友の仲となり、あの時諦めなくてよかったなと振り返って思います。今2年間カナダにいて大学に通い、働き、旅行をする上で英語は必須ですが、私はコミュニケーションツールだと強く感じています。完璧な英語を話せるよりか、相手との会話を楽しめる方がよっぽど楽しいと思いませんか?これからもラーニングカーブですが、英語力があるからこその学びを行なっていきたいと思います。


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