16年ぶりの長崎から受け取った平和への想い
16年ぶりに母になって初めて訪れた長崎は、
一生忘れることができない三日間になった。
4月の半ば、私は認識技術を学ぶ仲間たちと長崎原爆資料館に来ていた。
全国各地から集まった仲間たちと会えるのは嬉しいはずなのに、
なんだか空気が重苦しく感じたのは、どんよりした天気のせいだろうか。
資料館の前に集まったのは、30数人ほどだった。
みんな軽く挨拶をして早速資料館の中に入る。
暗い館内の中でチクタク聞こえる時計の音
丸焦げになった遺体の写真
被爆者たちの火傷の写真
地獄絵図を表した子どもたちの絵……
もう言葉も出なかった。
こんな残酷なこと、どうしてしたんだろう……
そして、なぜ日本はこんなことをしたアメリカを恨まず、受け入れ、これまで支えることができたんだろう……
家族を目の前で亡くした方々の悲痛な叫びを読んで、
もしこれが自分の家族だったらと思うと、
やるせなさと悔しさで胸がいっぱいになって涙が溢れた。
資料館を出て、重い気持ちが晴れぬまま、平和公園へとみんなで足を運んだ。
大きな大きな平和祈念像。
会うのは3回目だった。
小学六年生の時に修学旅行できたとき
大学生の時に友達と来たとき
そして、
母となり、教育に携わってからの、今。
こんなに大きかったんだ、と思った。
こんなに優しくて悲しい色をしていたんだと思った。
絶対平和にしよう。
日本だけじゃないよ。
世界を平和にしよう。
そんな静かで力強いメッセージを感じた。
その日の夜は、美味しいご飯を食べて、いざお宿へ。
…え???笑
ドアを開けて立ち尽くしました。
ここはどこの国でしょうか?
40歳を前にしてこんなメルヘンなベッドで寝れる日が来ようとは思わなんだ。
お姫様気分。笑
ふかふかの可愛いベットで寝て、
次の日とその次の日は「尊厳ロマリア2days」に参加♩
この長崎から平和への想いを発信し、全世界を幸せにするミッションを持つ日本。あんなに悲惨残酷な原爆を二発も落とされても、アメリカを恨まず、戦争を終結させた日本だからこそ、できることがある。
そのことを確信し、私も仲間と共に伝えていきたいと強く思った二日間だった。
最終日の夜、長崎の夜景を見に行った。
すごく美しくて、胸がギュッとなった。ここは78年前に原爆を落とされて焼け野原だったんだよな、と思う。
そこからよくここまで美しい街をつくってきたなと、改めて日本人の心の強さを感じた。
夜景を堪能して、ペンションに帰ると、
そこである重要な事件が起こったのだった。。。
次回に続く🤭
読んでくださりありがとうございます♪
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