『絶滅へようこそー「終わり」からはじめる哲学入門』稲垣諭を読んで

『絶滅』興味を引くワードだった。
哲学、絶滅、何だか面白いことが書いてそうだなと思った。
哲学の本は、面白かったってやつと、小難しくてワカランとなるやつの二極端になる。
小難しくてワカランのは、私の地力がないか文章の書き方の癖とかが気に入らないかのどちらかだと思ってる。
今回の本はなかなか面白かった。
膨張し続ける太陽に飲み込まれて、人類はいつか地球ごと滅ぶ。
コレは子供の頃に聞いたことはあった。
けど、今生きてる私には関係ないので、そこまで掘り下げて考えたことはなかった。
しかし、今、その頃より少しだけ長く人間をやってみて、前より感じる所があったのか、ああ、瞬きの間の人類の栄華のその一端の私は「いまここに在る」なあ、と沁み沁みしたりした。
そして現代の、女性化する男性、というのがそれなりに的をいてる気がして面白い。
私の周りの若い男の子たち(私と話してくれるような子だからカモだけど)も、美容に興味がある子が多く、身嗜みに気を遣い、脱毛や化粧品などの話を当たり前にし合う。
そして、総じて優しい。
その優しさは、一種の男性的な高圧的な態度を取らないとかマイナス面が無い的な意味ではなく、女性的と言われるような共感性の高さと、お互いの個を尊重して踏み込みすぎないようなまろやかな優しさだ。
私は女性蔑視を憎み、私が女であることを憎み、そして男性嫌悪に発展していった人間なのだけど、最近はそれが少し治ってきた。
それは多分、私を傷付けてきた昔の価値観の男と現代的な価値観で生きる男が違ってきているからだと思う。
前者は女を踏んできた自覚がなさ過ぎて、踏まれるたびに私は気が狂いそうになっていた。
後者と一緒にいる機会が増えて、同じ社会構造で、別種でありながら、似たような苦しみを彼等が抱えるているのを理解したからだと思う。
私と同じ、あるいはそれ以上の年代の男は、口では色々いうが、行動に反映されてないし、結局お前ら優遇されてきてその土俵立ってんだろ!と私も思ってしまう。
これは本人が望もうが望むまいがソウなのであんまりムカつくのはその人に可哀想なのだが。
それより下かもっと若い世代は昔の男の価値観に彼ら自身がついていけないし、自分をそんなだと思わないでくれよと忌避している気がする。
そんなものに対して価値を置かないし、寧ろそれに対して重たいからやめてくれ、そんな責任を押し付けるなといった感じだろう。
彼等のほうがものの見方がフラットだと思う。
責任を取りたくないのだなあとも思うが、そんなもん誰だって取りたくない。
みんな男にも女にもなりたくないのだ。
男社会で戦ってきてこんなもんかという女の諦めと、若い世代の時代の閉塞感への諦めとが何となくリンクしているような気もする。
私は彼らと私が同質になっていくような、少しずつ近づいていっているような気がして少し嬉しい。
みんなで緩やかに終わりに向かう流れにのって、それならそれでいいかって。
そうして、全てがやんわりと寛容に受け止められるような世界になり、じんわり人類が絶滅していったらいいのにと思う。
けど、実際そんなに簡単じゃないだろうし、明日も社会は私に厳しい。


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