『老い方、死に方』養老孟司を読んで

動画サイトを見ていて、養老孟司さんと成田悠輔さんの対談をみつけて、楽しそうだなと思った。
地図を広げて、ここからは生息する虫が違うとか言いながらお互いに敬意を払いながらも、年代を超えてワイワイしてて楽しそう。
成田悠輔さんも皮肉の効いたプレゼンで有名だけど、時と場合、使い所が絶妙で、人に合わせて会話を使い分けるというか、選び方の塩梅が好きだ。
前から好きだった養老孟司さんと、最近面白い人だなと思った成田悠輔さんは二人の対談は何だか時を超えた感じがして面白かった。

養老孟司さんの本は、本人のお喋りに似て、穏やかだけど芯の強さを感じさせるというか、優しくて読みやすいけど、深みがあるというか。
好きなんですよね。
そんなことを考えてたところで、この本を見つけたので読もうと思った。

老いも死も逃れられない。
私も自分のことをずっと若いと思っていたけど、気づいたらいい大人といえる年齢だった。
子供の頃は今の私の年くらいになれば、もっと人生の指針が決まってて、地に足の付いた生活を営んでると思ってたよ。

養老孟司さんの生き方は格好いいなと思う。
こういう年のとり方をしていきたいなって。
今も、好きなこと、虫取りをして、閉鎖するでもなく、開きすぎるでもなく、周りの人と共に生きてる。
素敵だと思う。

対談形式のお話が纏められた本なのだが、どの話も面白い。
お坊さんとの対談が入っていたのは面白いと思った。
私は、最近はエピクテトスの哲学にハマっているが、仏教的な諸行無常とかも好きだ。
 好きだというか、最も、シックリくるといったほうがいいかもしれない。
エピクテトスの哲学も、自分でどうにもならないことはそういうもんだと受け入れる的な、諸行無常に通ずるところがあるから好きなんだろうなと思う。
全ては移ろいゆくものなので、欲に溺れてああだこうだというのは阿呆らしい。
すぐ目先の事に囚われるけど、そういう気持ちが根本にしっかりあれば、右往左往せずに生きていけるよなと思う。
世界がかつてないほど広がっているからこそ、一個人はミニマムな世界で手の届く範囲で生きていければ良いなと思う。

養老孟司さんが言われている地方で小さい地域単位での自給自足できるコミュニティをつくるという話は前から面白いと思っている。
私も過疎とまではいかないまでも、小さな町の田舎暮らしだ。
最近は本当に小さい一軒家でひっそりと、本を読んで、散歩して、絵を描いて、庭先で家庭菜園をしたりして生活している。
知り合いからは老後生活と呼ばれている。
近所は、古い家もあれば新しいマンションもある。
隣のおじいさんおばあさんとかは何となく知り合いだな位だ。
若い人はわからない。
近所付き合いという程でも無いが、花を植えてたら声を掛けてもらった知らないお散歩のおばあちゃんと喋ったりしている。
前は普通に雇われで働いていて転勤族アパート暮らしだったので、別に周りの人を知ろうとも思わなかった。
普通に働いていて生きてるだけで、いっぱいいっぱいだったので、周りを見る余裕もなかった。
今は鬱で精神が壊れた代わりに、ゆっくりとした暮らしを手に入れている。
本当はみんなこれくらいの暮らしでいいんじゃないだろうかと思う。
養老孟司さんの言われてるのは、こういう穏やかな人の営みが緩く繋がっていくことかなと思いながら本を読んだ。

田舎暮らしの人間のつながりが煩わしくて外に出たはずが、結局一回回って戻ってきただけな気がする。
田舎の嫌な風習はあんまり残ってないけど、都会でもない、みたいないい塩梅のところに落ち着いてきた、みたいな。
そういう、いい感じの暮らしをみんなができて、もう少し心にゆとり持って、好きなことして暮らしていけたら良いのになと思う。
少なくとも私は毎日苦しい会社に行ってせかせか働き賃金を得て、散財して精神状態を悪化させながら暮らすより、少し貧乏だが精神安定して小さく暮らす方があっている。
そういう人って案外たくさんいるのではないかなと思う。
結局バランス何だけど、バランスの取り方って人によって違うからとっても難しい。
日々試行錯誤。




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