精神論≠根性論

どうも、あんどりゅーです。
今回は精神論≠根性論がテーマです。
何言ってんの???って人が多いと思いますが割と面白い話が出来ると思うのでよければどうぞ!

精神論
まずは精神論について。端的に言うと精神論とは気持ちの持ちようの話です。スポーツだとやる気があるかどうかで結果に差が出るみたいなことですね。これは実際に経験ある人がほとんどじゃないでしょうか?やる気に限らず精神的な面は運動能力に無視できない影響を与えます。例えば、トレーニングには意識性の原則というどこを鍛えているのか意識することによってトレーニング効果が上がると言われています。これ以外にもライバルがいるから気持ちが入るとか、恋人が応援に来てるからより頑張れるとか、挙げだしたらキリがないくらいにはパターンのある事例かなと思います。

根性論
次に根性論。こっちは気持ち=結果とする考え方です。「接戦で相手に負けたのは気持ちが足りなかったからだ!」とかこういうやつです。今の例みたいになんとなくマイナスな表現として使われがちな印象がありますが、「これは気持ちでもぎ取った勝利だ!」みたいなやつも一種の根性論と言えるんじゃないかと思います。

精神論≠根性論
ここからが本題です。まぁ本題と言ってもタイトル通りの主張になっちゃうんですが…。精神論と根性論を(スポーツにおいて)混同している人多過ぎない?というのが自分の主張です。もっと言うと、精神論のことを根性論だと誤解している人がやたら沢山いる気がするんですよね…。ここでの精神論や根性論ってのはあくまで自分が勝手に定義づけして呼び名を分けているだけなので何が正解ってことはないんですけど、名前はともかくとしてこの二つの考え方は別々のものだという認識が弱い気がします。まず現代において、根性論が時代錯誤な考え方ってことは割と世間の共通見解だと思ってます。科学に基づいたトレーニング理論が構築され「疲れるから水は飲むな」みたいなトンデモ言説は影を潜めるようになりました。これはシンプルにいいことですよね。個人的には内容の正誤というより"理不尽"が消えたことに価値があるように思います。ですが、これが同時に別の問題を生んでるんですよね。それがスポーツにおける感情の否定です。根性論が強く否定されるようになってからは、根性を含めた感情的側面をスポーツに持ち込むことがタブーになった感じがありませんか?言い換えるなら理論の過度な合理化というか…。中長距離に限って言えばタイム設定、心拍数、ピッチ数、月間走行距離等々の指標を絶対のものとして数値化できないものは一切排除するみたいな感覚です。スポーツに関するメンタルの考え方が一括りに根性論として扱われることで、(この記事中での)精神論のような考え方も=根性論として排斥されているように思われます。

能力と精神
こんな風潮があるように思われる現代ですが、自分には確かに言えることが一つだけあります。精神論めっちゃ大事だぞ!?ってことです。スポーツって結構マジでメンタルゲーの側面が大きいんですよ。だって勝てる気しない相手に「勝てないだろうなぁ」って思いながら勝ったことあります?逆に根拠はなくともイケる気がする日って調子よかったりしませんか?もちろん、いける気がしてダメな日だってあるかもしれないですけど、気持ちが乗ってる日はそうでない日と比べて明らかにパフォーマンスに差が出ます。だから、むやみににスポーツに関する精神論から距離をとらないで欲しいんですよ。そして、この話の延長線上にある自分の考え方が「自信をつける練習」という概念です。今からぶっとんだたとえ話をします。仮にあなたが医師による改造手術を受けて急に5000mを14分台で走れるようになったとしましょう。でも、感覚的な変化は何もありません。手術前と変わらずです。この意味不明な状況であなたは本当に自分に14分台の走力があると信じられますか?自分は信じられない気がします。だって感覚的な根拠が一切ないんですから。だから多分、一旦1000m×5とかをやってみます。そしてその結果次第で「マジでいけるんだ」って確信が生まれると思うんですよ。こんな風に、練習には生理学的な効果だけじゃなくてそれをこなせたことによる心理的な安心であったり自信が身につくって側面がある、これが自分の考える「自信をつける練習」という考え方です。極端な話、というかこれが正しいかぶっちゃけ分かりませんが、有酸素系を効率よく鍛えたければ一生タバタやってればいんですよ。知らんけど。だけど、それだけで開発された能力には自信を持てない。だって、やってることは実戦とはかけ離れた運動であるから。レースに近い形式だったりレースを具体的に想定できる練習を行うことは、走れるという確信の形成に寄与するのでこういう意味ではある種のメンタルトレーニングだったりもするわけです。スポーツにおける過度な精神論は当然毒にしかなりませんが、だからといってそれを完全に蔑ろにすることはそれ以上の毒にもなり得ます。

ね、面白かったでしょ?(圧
書きながら自分も精神と向き合いながら練習しなきゃなぁと改めて考え直すきっかけになりました。気持ち"も"やっぱり大事よね…。

ではまた


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