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君の花園|掌編小説

140字からはじめて―


甘く、瑞々しい。新しい生命の欠片が、一つ二つと漂ってきて、私に微笑みかけ挨拶をするような、優しく暖かな香り。ここでは少し、時の進みが遅い。私にそんな風に感じさせるのは、そっと私を包み込む花園の香り。

傍らにステッキを置き、石作の水辺にゆっくりと腰を下ろすと、草花の揺らめく音がいっそう軽やかに聞こえる。水路の水はサラサラと流れ、きっと私の訪れを歓迎してくれている。

風が吹き抜けると、私のスカートが少し膨らんで、色とりどりの花弁が宙を舞った。その隙間を縫うように栗毛の君は姿を現す。

「やあ!ようこそお越し下さいました。お嬢様」

太陽のように眩しい笑顔を作った君はうやうやしく頭を下げる。私が思わず声を立てて笑うと、君は照れる。片手にはスコップを握ったまま、君は土だらけの指で日に焼けた鼻先をこすった。

「さぁ、ここに座って、私とお話をして」

私が隣をトントンと叩くと君は嬉しそうに目尻を下げて、いそいそとスコップをしまう。そして駆け足で近づいてきて、私の横にピッタリとくっついて座る。

「今日は何のお話をいたしましょう?エリーお嬢様」

君はいつもと同じ悪戯っぽい顔を私に向けた。

「もう!堅苦しい!エリーで良いの!」

何度こんな遣り取りをしただろう。昨日も、一昨日も聞いた同じセリフを、君は今日もまた言う。そして明日だって明後日だって、それを聞きたくて、私はお庭を訪ねるのだ。なんだか可笑しい。

君はクククと笑うと私の膝に視線を落とした。

「今日は脚の具合はどう? エリー」

私が大丈夫だと言うと、君は良かったと頬を緩める。
君はとても優しい人。

私は生まれつき脚が悪い。そのせいで屋敷ではずっと腫れ物みたいに扱われてきた。一番上には年の離れた兄がいて、二番目が五つ違いの姉、そして末っ子が私。こんな身体では嫁のもらい手もいないし、末娘だから大して一家のお役にも立てない。そんな私とこんなに楽しそうに言葉を交わしてくれるのは今も昔も君だけ。

脚が悪くても嫁ぎ先がなくても、私は別に不幸じゃない。君が手入れをしているこの庭と、笑いかけてくれる君がいる。私はとても幸せだ。

君は私の顔から視線を逸らすと、どこか遠くを見る。

「こんな陽気だと”あれ”を思い出すねぇ」
「”あれ”?」

君は頷く。

「エリーを負ぶって丘の上まで走ったでしょ?」

そうだった。昔そんなことがあった。まだ自分たちがもう少し幼かったころ、兄たちや屋敷の子どもたちとみんなでピクニックに出掛けた日があった。その日、みんなが丘の上まで競争だと言うのに、走れない自分は加われなくて、私はしょげて泣いていた。そうしたら君はこちらに寄ってきて手を差し伸べてくれた。

「エリーったら、いけーいけーって大騒ぎ!……僕は馬じゃないのに!」

君はふくれ面を作るが、目許は懐かしそうに細められている。私はそんな横顔をじっと眺めた。昔から変わらない癖の強い栗毛の下にのぞくのは、淡いブラウンの瞳。

君は私の視線に気づいたようで、日の光を吸い込んだような綺麗な瞳をこちらに向けてくれた。優しい目許に前髪の影がかかって、すっかり大人の表情を湛える君。見つめていると気づくのは、私たちもいつの間にか大人になったんだってこと。

「今日は……しりとりしようか!」

私がそう言うと君は少し驚く。

昔、無邪気な君はよく小さな花束を携えてこっそり私の部屋にやってきた。そういう日は決まってしりとりをしたものだ。

「じゃあ、僕からね!」

君はにっこり笑い、快活にそう言って一つ目を考えはじめる。

昼下がり。くだらなくて愛らしい君と私の歓語。
それは甘い甘い花の香りに包まれて、小さな屋敷の庭を満たした。


「“え”ねぇ……」しりとりで頭を悩ませる私に「じゃあ固有名詞でもいいよ」と彼は呑気に笑った。「ヒントちょうだい!」そうだなぁと一度思い悩んでから、秘密を打ち明けるように教えてくれた。「僕の好きな人だよ」「好きな人……?」ほら、と穏やかな笑みを浮かべてこちらを見ている。「えっ!?」
スズキ サイハ


火樹銀花(Twitter)にて定期更新中、メンバーから送られる140字小説を10倍にして返すプロジェクト。今回の作品は、スズキ サイハ(Twitter)より『え』。前回作『C嘆譚』はこちら


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