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自然な善さ(フィリッパ・フット)

ソクラテス:本日は、道徳哲学の分野で重要な貢献をしたフィリッパ・フットさんと一緒に、「自然な善さ(natural goodness)」について考えていきたいと思います。フットさんは、彼女の著作である『自然な善さ(邦題:人間にとって善とは何か』の中で、道徳的評価を生物学的な事実に基づけることを提案されました。これは、従来の倫理学が抱える課題に対する革新的なアプローチとされています。フットさん、あなたの「自然な善さ」についての考えを、もう少し詳しく説明していただけますか?

フィリッパ・フット:もちろんです、ソクラテスさん。私の考える「自然な善さ」は、単に人間の社会的な構築物や主観的な価値判断を超えたものです。それは、生物学的な事実、つまり種としての生き物の生命活動に根ざしています。例えば、狼が群れで協力する能力や、鳥が巣を作る技術は、それぞれの種にとって「良い」こと、つまりその種の生存と繁栄に貢献するものと言えます。私は、人間の行為や道徳も、このような生物学的な文脈の中で理解されるべきだと考えています。

ソクラテス:なるほど、種の生存と繁栄に寄与する能力が、「善さ」とされるわけですね。しかし、フットさん、人間社会における道徳的行為を、動物の本能的な行動と同じように扱うことには、いくつかの疑問があります。たとえば、人間の道徳的選択は、しばしば理性に基づいており、単なる生存のためではない高次の価値を追求することがあります。この点について、どのようにお考えですか?

フィリッパ・フット:確かに、ソクラテスさんの指摘は重要です。私は、人間が理性的な生き物であること、そして自由意志を持つことを否定しているわけではありません。人間の道徳性は、確かに他の生物とは異なる複雑さを持っています。しかし、私のポイントは、その根底にある基準が、人間が生物として持つ自然な機能や目的に関連しているということです。つまり、理性や自由意志も、人間が生物学的に持つ特徴の一部であり、それによって何が「善い」のかを判断することができるのです。

ソクラテス:理性や自由意志を含めた人間の特性を自然な善の議論に組み込むわけですね。しかし、人間の行為の多くは、自然に反するかのように見えることもあります。例えば、利己的な行為や、他者を害する行為などです。これらはどのように「自然な善さ」と調和するのでしょうか?

フィリッパ・フット:そのような行為は、確かに表面的には自然な善から逸脱しているように見えます。しかし、私が言いたいのは、善とは何か、それがどのように人間の生活の中で実現されるべきかを理解するためには、人間の本性とその生物学的な文脈を考慮に入れる必要があるということです。利己的な行為や他者を害する行為も、長い目で見れば、種としての生存と繁栄には貢献しないものです。従って、これらは「自然な善さ」から逸脱していると考えることができます。

ソクラテス:興味深い見解ですね。しかし、人間の行為を評価する際に、種としての生存と繁栄を最終的な基準とすることには、いくつかの問題があるように思えます。例えば、個人の幸福や権利が犠牲になる場合でも、種全体の利益を優先すべきだということでしょうか?

フィリッパ・フット:それは難しい問題ですが、私の主張は、必ずしも種全体の利益を個人のそれよりも優先するべきだというものではありません。重要なのは、道徳的な行為や判断を行う際に、人間の本性とその生物学的な文脈を無視しないことです。個人の幸福や権利も、人間の生物学的な性質から派生する重要な価値です。したがって、これらの価値が互いに矛盾する場合、私たちは理性を用いて最も善い行為を選択する責任があります。この選択は、単に個人的な幸福や即時の利益を追求するのではなく、長期的な視野に立ち、私たちの種の生存と繁栄にどのように貢献するかを考慮に入れるべきです。

ソクラテス:確かに、理性を用いて、個人と集団の間のバランスを見つけることは重要な課題のようですね。フットさんの「自然な善さ」に基づく倫理観は、現代社会における多くの道徳的、環境的問題に対して、新たな視点を提供してくれます。しかし、私たちが「自然」をどのように理解し、またその理解をどのように道徳的な判断に適用するかは、依然として複雑な問題のように思えます。フットさんの考えには、非常に説得力がありますが、人間の道徳を自然の法則に基づける試みは、人間の道徳的多様性や文化的相違をどのように取り扱うのでしょうか?

フィリッパ・フット:それは正当な疑問です。私の提案は、すべての文化的な相違や個人的な価値観を否定するものではありません。むしろ、これらを認識し、尊重することが重要です。しかし、私たちの議論が示すように、人間の行為や価値判断には、共通の生物学的基盤が存在します。文化的な違いは確かに重要ですが、それらは私たちが共有するより基本的な人間性の表現でもあります。この共通の基盤を理解することは、異なる文化間での相互理解と協力を促進するための鍵となるでしょう。

ソクラテス:フットさん、あなたの「自然な善さ」についての洞察は、現代倫理学における重要な寄与です。私たちが自然と人間の関係をどのように理解し、それを道徳的な観点から評価するかは、これからの哲学の大きな課題の一つでしょう。しかし、あなたの理論は、人間の行為を生物学的な文脈に位置づけることで、道徳的判断の基盤を提供しますが、このアプローチがすべての倫理的問題に適用可能かどうか、またそれがどのような限界を持つかについては、さらなる議論が必要でしょう。特に、人間の文化的多様性や自由意志の問題をどのように取り扱うかが、重要な課題となります。

フットさん、今日はこのような重要なテーマについて、貴重な対話をいただき、ありがとうございました。私たちの探求は続きますが、あなたの「自然な善さ」に関する考えは、この問いに対する洞察豊かな一歩となることでしょう。

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