甘えるならば

美容オタクというワードが生まれたり、自分磨きという言葉があったり。
女の子に出会うと美容に関する話題は当たり前のように展開される。

「痩せたい」「次は鼻を整形したい」「ファンデーションしなくてもいいような肌になりたい」「ヒップだけ綺麗にしたい」「あそこのデパコスの方がいい」「え?もうそろそろ脱毛は行かなきゃだよ」

それって何のためなんだろう。
自分の為だとしたらどんな欲求を満たしたいからなんだろう。
自己満足だとしたら、どうしてそうしないと不安になるんだろう。

私には美容から抜け出せない理由が分からない。
だからこんな話題を私に出されても困るのだ。
「遺伝がほとんどなのに頑張っても微々たるものしか変わらない」と心の中で呆れつつも話を聞く。
聞かなきゃいけない。
それくらい女の子の間では美容に関する話題が当たり前。
「化粧品なんてどこ使ってもほとんど変わらなくて肌質や顔の造形による」なんて口が裂けても言えない。

どうして美容にこだわらないと不安なんだろう。
誰かに言われた言葉に傷ついたことがあるんだろうか。
そういうわけでもなく自分の中でコンプレックスがあるんだろうか。

私は人の見た目に関することを口に出さない。
人の見た目はそう簡単に変わるものではないし、その人自身のものだから。
その人はその姿でしかないのに他を求めるのはどうして?
それにもしその人自身も指摘されたところを気にしていたらどうするの?
とにかく人の見た目も自分の見た目もどうしようもないものだ。
そんなどうしようもないものをどうして指摘するんだろう。
そして、どうしてそんなに見た目が気になるんだろう。

例えば付き合ってる彼女が激痩せしたり激太りしたり、化粧を落としたら別人だったり、そういうことがあったらかなりのマイナスポイントになるということ?
人ってどこを見て人を好きになるんだろう。
どんな条件なら見た目が変わっても許せるんだろう。

世の中にはきっといろんな人がいて、見た目だけで人と付き合う人もいれば見た目なんてどうでもよくて中身だけ見て付き合う人もいるんだろう。
もちろん見た目半分、中身半分な人もいるだろうし。

でもあまりにも世の中は「細くて」「可愛くて」「若い」ということを女子に対して重視しすぎているし、女子自身も気にしすぎている。

「Rich」「Young」「Girly」「細い」
全てのみ込んで明日への糧
未来に向かってLET'S GO!
モーニング娘。'17  ジェラシージェラシー

モーニング娘。のジェラシージェラシーを思い出した。
つんくさんはどうして女の子の共通事項が分かるんだろう。

私はこの曲の歌詞があまりにも現実すぎてちょっと苦手だ。
私自身は自分や他人が可愛いかとか細いかとか若いかとかたいして気にしていないのに、世の中はみんな気にしている(本当?)んだからお前も気にしろよという圧を突きつけられる。
まるで気にしなきゃいけないみたいで嫌だ。
気にしていないと言えない空気、気にしていないのはおかしい、強がりだという空気。

でも圧が強すぎる。
悩んでいる人の方が声をあげるから目立つ。
「私はこんなに辛いんだから同調してよ」とでも言わんばかりにこちらも「悩んでいなきゃいけない」。
巨大な圧力を慰めるために悩んでいるフリをしなきゃいけない。

みんなどこに向かいたいんだろう。
私はもう少し見た目に対する見方が和らげばいいと思う。
というかみんな何になりたいんだろう?
自分は自分でしかないという真っ当な自己肯定感はどこへ行ったんだろう。

そんなどうしようもないことをつついて嫌な思いをさせるようなモラハラという「当たり前」が減ってくれたらいい。
今まではあまりにありふれていて「そういうものだから傷つく必要はない」と言われていたけれど、「それはおかしい」と当たり前に言い返せる日が来たらいい。
世代交代するまで待つしかないとしたら教育って強力だね。
こうやってゆっくりアップデートしていくしかないのか。
なんて歯痒い。

ルッキズムでは見た目の醜悪についてばかり触れられるけど、美人だとか可愛いだとかそういう言葉も含まれているものだと思う。
美人だから可愛いからなんなんだろう?
言った側は軽く褒めただけであってなんなら思ってもいないかもしれないけど、言われた側は何百回も聞いてる。

どうして初手が見た目を褒めることなんだろうね。
「中身をそんなに知らないから」と言うなら、別に見た目を褒めなくてもいいじゃないか。
男の性なんだろうか。
褒めなくたって他に手段があるだろうに。

見た目ばかりに価値があるという風潮が収まらないと誰も幸せになれない。

例えばなんだけど、恋愛市場において女の子がみんな綺麗になったとして何か市場に影響あるだろうか。
今は1人の男性が複数の女性と繋がりを持っていて他の男性は縁がない状況。
つまり女性にとってどんな男性がいいかは決まっている。
だから女性がいかに頑張るかではなく男性がどう変わるか。
女性が綺麗になりたい理由が大抵自己満足の為だとしたら市場においてはそんなに意味がない。
そうすると男性が女性の見た目に対して悪く言うのは全く意義のないことだ。
ただルッキズムを煽るだけ。
本当に努力すべきは女性ではないのかもしれない。

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