見出し画像

何事も行動そのものではなく“その先に何を得るか”が大事

1.個人ラジオで得たものとは

 6月5日、個人ラジオ第5回をUPした。
 回を重ねるごとに少しずつ改善を加え、どんどんボリュームが増えていった結果、今回は準備から完成まで、これまでで一番の時間を費やした。
 台本とテロップ画像作成→本番(音声収録)→編集→レンダリング→アップロードを経てようやく完パケがYouTubeに投稿されるわけだが、休日だったこの日、朝6時起きで全ての工程を一気にやったら投稿が15時になってしまった。たった14分のラジオに8~9時間はかかってしまっているわけである。
 その後、17時から5時間タイミーバイトもしたので、せっかくの休日がラジオとバイトだけで終わってしまった。

 ここまで来ると流石に思った。


――多大なリソースを割いたラジオ活動の先に、何を得ているのか――


 今回はありがたいことに初めてYouTube上で高評価を4件もいただいたので、意味はあると思っている。それを前提にした上での話だが、私自身が“自発的に”得るものが今のところ皆無に等しい。私自身のためになる要素が無いのである。

 ***

 元々は「noteで文章化できないネタを口頭で消化する」のが目的で始めた個人ラジオ。番組名もストレートに『当方128のnoteに書けないラジオ』。初期はその一環として創作小説(コンテスト参加作品)の進捗状況を毎回報告していた。

 異変に気付いたのは早かった。第2回UP後、内容があまりにも“自分のため”過ぎて、リスナー様に寄り添えていない気がしたのである。また、しゃべる練習も兼ねていたはずが、EDトーク以外は台本通り読むだけで本末転倒になっていた。

 そこで第3回から少しずつ改善を加えていく。ちょっと良い話を入れ、グルメやクイズでテコ入れを図り、曲紹介では歌詞テロップを表示、本来自由度の高いはずのOP・EDさえも固定コーナーを設けてgdgdを回避する。ラジオ番組としてはようやく体裁だけでもマシになってきたかもしれない。

 一方でまだ視覚情報に頼りすぎな部分もあり、ラジオの本来の意味からかけ離れているのも事実。活舌の悪さや説明不足をテロップでフォローしたり、グルメやクイズは画面を見ることを前提に作られている。作業をしながら片手間で聴くという使い方には向いていない。

 否、そんなことは大した問題では無いのかもしれない。ラジオをやった先に得るものが少ない、それに尽きる。

(※ラジオ第6回は鋭意準備中です。特別編&長尺になる予定です)

2.あの頃の毎日投稿で得たものとは

 得るものが少ないと言えば、毎日投稿を思い出す。私は昨年10月の31日間、noteクリエイターフェスの一環で確かに毎日投稿に挑戦し、何とか達成していた。

 皆様からのスキやフォロー、コメントなどが励みとなって達成できたようなものなので、この件に関してネガティブな感想は極力避けてきたつもりである。しかし、ここでこっそり言わせてもらうと、10月31日、最後の記事を投稿し全てが終わった瞬間、嬉しいという感情は全く芽生えなかったのである。何なら虚無感すらあった。

 そんな中で、私らしいnoteの書き方を一つだけ発見しました。例えば以下の記事では、アイドルファンの話にも関わらず、本来無関係なはずのアニメ『Vivy』から台詞を引用しています。

(中略)

 関係ないはずのアニメの名台詞が自然と浮かび、引用しています。この手法は11月以降も無意識的ではありますが続けています。例えば『すずめの戸締まり』感想記事で『Wake Up, Girls!』1期9話の気仙沼のシーンや台詞を引用して説明したのは(noteでは)おそらく私だけだと思います。

当方128『10月毎日投稿反省会』より引用

 アニメなどから台詞を引用することで記事に深みを増すのが私のせめてものオリジナリティ。確かに一つだけ発見はあった。だが、本当にそれだけだったのである。文章力が向上したわけでも無いし、納得のいく小説やエッセイが書けたわけでもない。苦労に見合ったリターンはほぼ無かったと断言できるし、誰かが毎日投稿やってみようかなと迷うのなら、今の私なら確実に「おすすめしない」とアドバイスするだろう。

 毎日投稿を達成したこと自体は嬉しくない。その先に何か得られることを期待し、その期待は裏切られた(というか自分で裏切ってしまった)からである。私は毎日投稿そのものに価値を見出せず、何かを得るための手段に過ぎないというのが未だに考え方としてあるのだろう(※語弊が無いことを祈ります。皆様には皆様の考え方があって良いと思いますし、そもそも私は毎日投稿をしている全ての皆様を尊敬します)。

3.推し活も“その先に何を得るか”が大事

 私は今でも辛うじて声優オタクを名乗っているが、実は2年前に冷めてしまった時期がある。

35歳男です。
あらゆる声優コンテンツ、特に女性声優が唯一の趣味でした。

アニメ作品は好きな声優が出ているものを選んで観ました。
声優のライブやイベントに通いました。ピークの2018年は10箇所以上行きました。
ライブの物販待機列に朝4時から並んだ日はワクワクが止まりませんでした。
声優の出演するニコ生やYouTubeも観まくりました。それだけで半日時間を潰す日もありました。
声優のTwitterやインスタの写真をスクショしまくり、毎日カメラロールを眺めてニヤニヤしていました。
2ch(現5ch)の声優スレにも入り浸りました。

そうこうしているうちに7年が過ぎました。
声優コンテンツに以前ほど価値を感じなくなってしまいました。
ニコ生やYouTubeの何が面白いのか。
写真を見てニヤけて、何か得るものはあるのか、人間としてプラスになるのか。

『教えて!goo』に投稿した質問文より引用

 私が2年前にこうなってしまった原因は、アニメにしろライブにしろ生配信にしろ、その場限りの快楽にこだわり過ぎて、その先に何も得ていなかったことに尽きる……と、今なら気付ける。

「推し活」を楽しむことがゴールではなく、その先に何を得るか。私はそこに辿り着けないまま今に至る。

 一方で「何を得たか」に辿り着いた人の例も見てみよう。5月22日放送の『推しといつまでも』(MBS/TBS系列月曜22時~)では、一年前にダチョウ倶楽部のファンになったばかりの女性・杏奈さんがこんなことを話していた(ハイ、いつもの文字起こし行きますよー)。

「仕事どうしようとかいろんなことで悩んでいて、本当に苦しかったことがあったので、人間ってどこかしらで顔に出てしまったりとかするようなことがあると思うんですよね。だけど泣いている、しんみりしているようなダチョウ倶楽部さんっていうの、おそらくテレビではあんまり出していないなという風に思って、自分も見ていて頑張ろう、明るく頑張ろうっていう風に、元気をくれる源です」

 また、杏奈さんの母親もこう語っていた(タイピング追いつかなくて何度も聞き返していますよー)。

「(杏奈は)色々悩んで、精神的にも仕事とかいろんなことストレスで、『もう辞めても良いよ、そんなにしんどかったら』って言って、そしたら突然ダチョウさんの応援をし始めて、『ダチョウさんの推し活をするにはお金が要るから今の職業は辞めない』ってなって、たった一年くらいでここまで変わる? っていうくらいにはなったかな」

 ダチョウ倶楽部を推すうちに、その存在自体が杏奈さんの生きる活力になっていた。

 ……これなんだよね。私にはこれが無い。女性声優の推し活は「可愛い」とか「透き通る歌声」「ダンス超上手い」で終わってしまっている。そもそもの畑や環境、生い立ちから前提条件まで何もかも違い過ぎて、「自分も頑張ろう」とはならなかった。すみません、自分、素直じゃないもので。

 否、正確には「自分も変わりたい、変わらなきゃ」とまでは毎回思っていた。その証拠となる記事も引用する。

 彼女の言葉は、都会の喧騒で冷え切っていた私の心を優しく暖めた。中でも「私を見つけてくれてありがとう」は声優の歴史に残る名言だと思う。この言葉だけでも伝説になり得る1stライブだった。それに比べて自分は32年間(当時)何を頑張ってきたのだろうか。ライブ後の深夜2時、新宿のカプセルホテルの低い天井を見上げながらそんなことを考えていた。

 東山は感謝を言葉のみならず、武道館での単独ライブを成功させるという“行動”で示した。私も数多の人々に対する感謝を言葉のみならず行動で示したい。

当方128『声優・東山奈央、いきなり武道館に立った伝説の1stライブ』より引用

 もう5年も前か。5年経過した今になっても感謝を行動で示すなんて全く出来ていません。現実なんてこんなもの。精神論だけで人は変われない。逆に杏奈さんは具体的にどうやって変われたのよ。あと可愛いです。

4.何事も……

 結局、何事も行動そのものではなく「行動の先に何を得るか」が大事なのだと思う。創作小説も自分の中で何かが変わると信じているから時々とはいえ執筆しているのだ。未だ何も得られていないけれど。

 あの時社長が私のスピーチにダメ出しをしたからこそ今がある。自分には文章しかないと気付いてから、noteを本格的に書くようになってから、少しだけとはいえ確実に人生は変わった。ここでまた小説を1つ仕上げれば、やはり何かが変わるかもしれない。社会問題を取り扱うだけに、確実にメッセージ性の高いものを作ろうとしている。少なくとも自分の中では何かが変わると信じている。

当方128『小説を書けば何かが変わると信じて』より引用

 とにかく例をいくつも挙げて説得力を増したいのだが、例えば↓これもだよね。夢を叶えることよりも、叶った先、あるいは叶わなかった先に何を得るかが大事(少し違くない?)。

 私はこの先も現実を生きるし、夢見て生きる人を尊敬する。ただ、夏美の言うように「夢に責任を持つ」ことを忘れずに。それは万が一叶わなかった場合の責任、あるいは逆に叶った後の責任という意味も含まれると思う。

 というか現実を生きると決めた人も、その決断とそれに伴う結果に責任を持つべきである。いずれにせよ責任である。世知辛い世の中である。

当方128『夢見て生きるか、現実を生きるか【ラブライブ!スーパースター!!2期6話】』より引用

 ***

 貴方が今していること、何でも良いです。今だけに集中するのではなく先のことも考えながら、未来に何を得るかを考えながら今を頑張って下さい。

 ……

 終わり方これで良いの? 良いことにしよう。元々ボツ記事だったんだ。無駄にならなくて良かったじゃないか……(あ、これ、その先に何も得ないパターンだ)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?