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ショートショートの創作で学んだこと

 おはようございます、当方128です。
 木曜は『後世に語り継ぎたい100人』の予定でしたが、またしても間に合いませんでした。

 例によってnote公式の日替わりお題に変更しますが、本日10/13は『 #最近の学び 』です。そこで、昨日投稿したばかりのショートショート『紙芝居屋のおねえさん』の(1)解説兼反省会と(2)“自己投影”について、ひいては(3)今回の創作活動で学んだことを書いていきます。

1.作品解説と反省会

 紙芝居を通して語られるおねえさんの物語。その優しい世界を聞くことは心地良く、“僕”にとっての心の救いになっていた。しかしそれは裏を返せば現実逃避とも言える。

 加えて「ずっとお月様に閉じ込められていた(=心を閉ざしていた)」おねえさんにとっても、幻想的な物語を紡ぐことが現実逃避になっていた。

 そんなおねえさんを助けてくれた男性の存在によって彼女の現実世界は満たされた一方、物語を紡ぐことは出来なくなった。それ自体は良い変化、ハッピーエンドと言える。

 となると問題は心の拠り所を失った“僕”だが、3年の時を経てまわりのガキ共が「楽しそう」であることに気付き、おねえさんの物語の良さが分からないのは「現実世界を楽しく生きている」から。そんな彼等に嫉妬している。

 そして、最後に話しかけてきた一人の女子。「好きなの? 空」の問いに対し「大嫌い」と答えたことが、“僕”が現実から逃げずに生きていこうと決意したことの表れだった。その後二人がどんな会話を交わしたのか、どんな関係になっていくのかはご想像にお任せするが、こちらも希望の見えるハッピーエンドと捉えて良いのではないか。

 ……という感じになるように書きたかったのだが、私の表現力が乏しく、上手く伝わらなかったかもしれない。特におねえさんの紡ぐ物語に稚拙感が否めないのは完全に私の力不足である。

2.自己投影について

 本作は私の心情を主人公の“僕”に投影している。創作の経緯を順を追って書く。心情の吐露はとても恥ずかしいのだが、幸いにも今は毎日投稿中なので、この記事も数日も経てば他の数多の記事に埋もれてしまうだろうから、こっそり書くには今がチャンスだろう。


 私はある人の文章に恋をした。ずっと読み続けたかった。しかし、いつしか“その人”は姿を見せなくなった。


 今でも空虚感を感じている。その心情を“僕”に載せた。紙芝居はメタファーに過ぎない。紙芝居だから“僕”の年齢を下げただけで、彼の心は私のそれである。私がネット世界を、何よりnoteを現実からの逃げ場所にしていることはもう何度も書いた。

 ただ誤解しないで欲しいのは、不明な部分は虚構や妄想で補ったことである。“その人”の文章は実際は多くの人に愛されているし、“その人”の現実世界が満たされているかどうかも私は知らない。ただ、広い世の中には現実が満たされていればネットで文章を書く意味を失う人も居るというだけである。

 もっと言うと、当初は“その人”の文体や作風を真似した作品を書こうとしていた。ある植物を題材にしたが、思うように筆が進まず挫折している。結局「自己投影」に切り替えた。それでもどんな世界にするかで散々悩み、投稿前夜にやっと思い立ち、ものの3〜4時間で書き上げた。

3.今回の創作活動で学んだこと

 最後に学んだこと。創作小説は作品やキャラクターに想いを乗せられるか否かで完成度が大きく変わる。故に創作初心者は「自己投影」が一番書きやすい。実際、私の過去作も、部分的ではあるが自分の心情を乗せているものが多い。ただただ明るいだけの物語を書ける日はしばらく来ないだろうが、せめて結末に何らかの救いを残せるような作品を、今後も。

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