147.プラいど

あと数回は、後記的なものとする予定。つづくか別枠かは未定。
フォークロアー文章という設定で書いてきた。
社会学文書をその前に書いてきたが、またべつのセンスが必要だった。
レベル違いをレベチと言うが、センス違いをセンチといおうものか。

いいまわしのくせとか、意味のある繰り返しなどは、自然な段落の箇所があり、維持した。
ネットワークというのは、パターンラングエッジというジャンルでの繰り返しの中における次々とのひろがりかたカテゴリーを参考に見ると、そういった辺りがある。
恣意的ではなくても、自然になんらかの形成を誰もがしている。生活フィールドがフィールドワークであり、各カスタマイズしている。

同人文化というのは、たとえば聖書が同人誌という言い方をすると、そもそもの起点があることもあるし、日本での神仏らなど、生活的な範囲でこれらモチーフにした。
どこまでポップに語り触れていいものだろうかわからずに、少々試供的な割合になるのもフォークロアーというネームバリューで解決してしまおうとはおもっていないあたり、不明瞭であるが、触れることはしていないか。

そうした記述の仕方は、ジャンルごとのまとめがみにくいが、テーマをフィールドワークするという点で、ジャーナルであり、個人的には旅が正解はないような正当性を主張できる範囲や、外交的的な意義などもあることになってしまう条件などもあろうが、そういう意図もなく。だらしがないのだとおもう。

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