152.おりあい・かねあい

政治をしないものだが、政治の定義を環境間でのおりあい・かねあいとしたときには、生活者一般もしている
社会と生活と文化に生活的に環境があって、各場面での優先度合いをおもうということが。
政治という言い方をしないものだけれど。

恋というのは特殊な岐路なのだろうか。
紅白は交わらないとした均衡のもちかたもある。社会だと恋愛禁止のデリカシーみたいなのどかあるが。
混じってピンク色になったら、そのセンスをしまいまでやりきらなければならない、というときには、ある意味で切り離されることのできる合理生活がある場合とか、ほかにもさまざまだ。
色で混じるのと光で混じるのとでも、カラーは違ったりもするか。

さきをいそごう。
向社会性の相手への向は、倫理的か否か?
「向・向社会性」として彼を見たときに、権威にすがるケースもある。ひとつに、自分が社会性の獲得に向けるべき条件で、間にはさんでいるという点は、不倫理である条件もあるだろう。
向社会性の者は、社会性をみにつけ、社会性をもとに物事へ向かうとき、ここで「社会性+向」という書き方をいまはかたちとしておくが。
イエス・キリストという表記とキリスト・イエスという表記があったりもする。意図的な区別かどうかはおいておいて。
ここにあてはめるのならば、イエス=向でキリスト=社会性といったカタチ。
ここで、神としたところでの対象を社会とむすびつけて考えるときに、まるで場違いである感想をもつありかたというのもあることもしっている。その感想を持つ者にとっての社会とは。

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