不釣り合いに、釣り合う2人
人間関係に必要なのは信頼だ。なんてことよく聞きます。
信頼とはなんなのか?
信頼とは「相手を信じて頼りにする事」らしい。まったく文字通りの意味だった。
なら、相手を信じるとはなんなのか?
①少しの疑いも持たずにそのことが本当であると 思う。
②自分の考えや判断が確実であると思う。 確信する。
③相手のこ とばや人柄に偽りがないものと思う。
らしい。
人を信じる事ってのは、素敵な行為なのだろう。
ところが、よく「裏切られたっ!」と言ってる人がいる。
裏切られたとはなんなのかがよくわからない。お付き合いしようが結婚しようが、相手をどう思うかは自分の問題である。他人が自分を好きかどうかは相手の問題だ。
自分が相手を信じているから、相手も自分を信じている。そう思うのは勝手だが、相手の意見はどこにいったのだろうか。
多くの人は、「自分が信じているから、相手も自分を信じるべきである。」
ではないだろうか。
自分の理想を相手に押し付けるのは、信じるとは別である。信じるのは勝手だが、信じられるかは相手次第なのだ。
「私の好きな人は、私からは自由」
これがすべてではないだろうかと考える。
疑うことと信じる事は別問題で、疑ったから信じれるわけでもない。疑う事が悪でもないし、信じる事が正義でもない。どちらも自分の意見でしかないのだ。
やじろべえを知っているだろうか。私はコレが人間関係の理想だと考えている。
両端がお互い引っ張り合って揺れるが、うまい具合にバランスが取れて倒れない。ところが、片方が居ないと立つ事さえ出来ない。
一見、不釣り合いに見えて、つり合いが取れている。これが良いのだと思う。友達や兄弟、恋人や夫婦。肩書は色々あれど、人間関係はこれでいいのだと思う。
不釣り合いに釣り合う二人。信じるとか疑うとか、愛とか恋とか友情とか。
そんなことよりも、ただ相手を大切に。それだけでいいのだ。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
な~んか人を信じる事がすべてみたいなのが嫌で書いてみました。
人を信じる事がすべてってのも、私が勝手に言ってるだけですけどね。
改めまして、読んで頂きありがとうございます。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした。
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