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【愛情】玉子焼きがとにかく好きなのさ。

ウバといいます。
訪ねていただきありがとうございます。


玉子焼きが好きだ。他になにもいらないくらいには好きだったりする。ほんとうは他になにもないのは嫌です。唐揚げも好きだしさ。

だし巻きも好きだし、砂糖たっぷりの甘いやつも最高だ。ネギが入ってたりするのも大好きだったりする。

明太マヨが巻かれた玉子焼きだってある。玉子焼きってやつは、何でもかんでも巻き込んで包み込んでくれるすごい奴だ。

嫁さんにも作ってほしいとお願いするし、自分でも作る。あれがなかなか難しい。うまく巻けなかったり焦げたり。マズかったり。

居酒屋でも玉子焼きははずせない。「ウチにはないんですよお」なんて言われたら、少し不機嫌になるくらいには玉子焼きラブなのだ。

玉子焼きなのか、卵焼きなのか。いや、別にどっちでもいいんですけど。とは言わず、実は少し違うらしいのです。

卵と書くのは生モノらしいですね。卵かけご飯とか生卵とか。玉子かけご飯、生玉子とは、たしかに書かない。

火が通ったら玉子になるらしい。調理されたら玉子。なら、たまごやきは玉子焼きだ。ゆでたまごは、茹で卵……ん?ま、いいや。

そんな大好きな玉子焼きだが、わたしは母親が作る玉子焼きが大好きだった。
ここで少しだけ思い出に浸ってみる。

我が家はお金持ちではなかった。食べるのに困るほどではないが、貧乏のほうがしっくりくる感じの家族だった。

わたしが子供のころ。今に比べて卵は安く手に入った。だからなのか、食卓にはたまご料理がよく並んだ。

その中でもよく出てきたのが玉子焼きだ。母親がつくる玉子焼きは、玉ねぎが入ることが多かった。甘くない、ご飯によく合うやつだ。

玉ねぎ入りの玉子焼き。これがなかなか旨い。しかし、おとなになって作ってみたら意外と難しい。

上手くやらないと、玉ねぎから水分が出てビチャビチャの玉子焼きになる。まあ、それはそれで旨いのだが。

とにかく、わたしは母親がつくる玉子焼きが好きだった。おふくろの味とでもいうのだろう。そんな感じだ。

母親はまだ生きている。玉子焼きだって作ってもらおうと思えば、そりゃ可能だろう。だが、なかなか頼みづらいなあと感じる。

わたしもいいオッサンだ。「玉子焼きを作ってくれんだろうか?」と頼むのは少し恥ずかしい。なぜだろう?今でも母親からしたら子供なのにだ。

きっとオトナになったのだろう。むかしは当たり前だった親に対する甘えも、今では難しくなった。恥じらいだってある。

いま、母親からみたわたしはどんなだろうか?子供の頃のように、こどものままなのだろうか。ずっと前からヒゲだって生えてるんだが。

ふと、玉子焼きを食べながら思った。たまには母親に甘えてみようか。きっと気持ち悪がられるだろうな。

そして、玉子焼きを食べながら酒呑みながら思った。なに書いてんだ?玉子焼きの記事書こうとしてたのに……

もう、いいや。このまま38歳のマザコンの話で締めよう。そもそも玉子焼きの記事ってなんやねん!
お前はニワトリか。

はなしを戻そう。

おとなになるにつれて、人は色々なものを背負う。そして、人に甘えるのがヘタになっていく。甘えていいのかもわからなくなる。

他人に甘えることができる。それは素晴らしいことだ。弱い自分を他人に見せる必要があるからだ。

そして、その甘えを受け止める人はもっと素晴らしい。他人の弱さを見て、それを受け止める必要があるからだ。

わたしは、他人から甘えられる大人になれているだろうか。他人の弱さを受け止める強さはあるだろうか。

それはまるで玉子焼きだ。どんな具材がこようが、それらの個性をつぶさず受け止める。そして最高に美味しくなる。

そうだ、わたしは玉子焼きみたいな男になりたい。

玉子焼きを食べながらお酒呑みながら書いてたら、わたしは玉子焼きに憧れる男になっていた……


ここまで読んでいただきありがとうございました。
玉子焼きが美味しいって書きたかっただけなのに、ナニコレ


それでは、佐世保の隅っこからウバでした。








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