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令和6年4月23日

そして翌日。
朝起きて、実家へ帰る準備。

壊れたままのキャリーケースに、荷物をつめる。

毎日ひいているタロットも忘れずに💦

慎重したカーテンが届く予定だったので、時間指定を午前中に変更。

昨夜に引き続きお野菜の冷凍保存、持ち帰るお野菜の仕分け。
未完成だったタロットノートを一通りまとめたり、とにかくよく覚えていないが、一気に荷物をまとめることが出来なかったため、ちょこちょこほかのことをしながら、まとめた。

そして宅配が届き、帰省の準備。

博多駅に着くなり、新幹線の時間を確認。
いいのがない💦

父親に電話。
この時間のに乗る。

ちょうどお昼時、時間も微妙にあったので、駅の中のパン屋さんへ🍞

あっ、週末に焼いておいたパンは帰宅後のために冷凍🍞

サンドイッチと駅のセブンでコーヒーとお菓子を購入して、駅の待合室で食べる。

ちょうど新幹線の時間。

新山口駅まで、父親が迎えに来てくれている。

新山口でおりて、両親と合流🚗³₃

祖母がいる大隅会館へ。
祖母をみている叔父と交代。

その後しばらくして今度は叔母がくる。

少し話をして、私たちは予定より少し早めに帰宅。
その前に私の喪服を探しにゆめタウンへ。
喪服を決めて、ご飯は買って帰ることに。

この時点でかなり疲れていた😵

喪服もとりあえず買えたし、あとはご飯を食べて寝るだけ😴

帰宅後、買ってきたご飯、家に残っていたものをお皿に盛り、父親と呑む🍻

呑みながら父親が、昔の祖母と私、妹が写った写真を見せる📸

こんなの見たことない!
すごくいい写真だった。

私の祖母の記憶は、小さい頃から精神的に弱いイメージで、よく病院に行っていた。

薬とお酒。
そんなイメージだったようだ。
母親もふと、小さい頃からあなたはそう言ってたよ。と言われたことがあり、小さいながらも子供は周りをよく見ているなと自分で思ったものだった。

だけど、その時みた3人の写真はすごく良かった。
何がどうというわけではないが、私も祖母も妹もいい顔をしていた。

思わず涙が出た🥲︎

その後も祖母は、おばあちゃんお金なくて……とよく言っており、何かをしてもらった記憶もないのだ。

小さいながらもそういうことはよく覚えているし、やはり記憶に残るものなのだ。

そして、この日は父親がリビングで寝こけてしまったので、私が父親のベッドで寝るという、なんともラッキーな展開となる(笑)

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