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白髪と、母と

洗い髪を手ですいたら、白髪が一本、手のひらに残った。
光を反射して、キラキラ光る。
白髪が抜けると、決まって母のことを思い出す。

母も三十代半ばころから白髪が増え始め、せめて四十になるまで待ってほしいと、よくこぼしていた。
「白髪がではじめたのもショックだけど、さらにショックなのは、抜け始めたとき」
そんな風に、よく言っていた。

母が四十歳になったとき、私は母に聞いた。「四十歳になると、やっぱり惑わなくなる?」
母はちょっと考えて、言った。
「そんなことはないよ。いつも、いろんなことに惑いっぱなし」
子どもが何を生意気なとか、そんな風にごまかさなかった母に、感謝している。
私はその時、とても真剣に、その質問をしたのだった。
子どもなりに日々悩み、いつかこの苦悩から解放されるときがくるのだろうかと思っていた。四十にして惑わず、という言葉を知ったとき、そこに一縷の望みがあるように思ったのだ。

でも、母の返事を聞いて、そうなのか、と思って、落胆というよりは、納得した。
ちょっと楽にもなった。


四十になったら白髪を許すと言っていた母は今、「七十になったら白髪でもいい」と言っている。
母と白髪との闘いは、まだまだ続きそうだ。

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