藤田結子

ふじた・ゆいこです。2020年から短歌を作り始めました。日経歌壇などに投稿しています。…

藤田結子

ふじた・ゆいこです。2020年から短歌を作り始めました。日経歌壇などに投稿しています。 短歌以外にも、日々の雑感を綴っています。

最近の記事

八朔の舟

四国の祖母から、八朔がたくさん届いた。 祖母は昨年亡くなったので、正確には、祖母のいた家に住む母から、なのだけれど。 毎年祖母の名前で送ってもらっていたから、四国からの贈り物は、祖母から、という感じがする(母にも、感謝)。 私は、八朔が好きだ。 最近は、あまり人気がないみたい。 たしかに、分厚い皮をむき、さらに薄皮をむき、ようやく食べたら水分は少なめでちょっと苦いという、現代人には不向きな果物かもしれない。 香りも、最近の柑橘たちに比べると、きわめておとなしい。 でも、

    • 吐息のように

      日々、短歌をつくり、主に日経歌壇に、時々NHK短歌に投稿して、数年が経つ。 たまに採ってもらえると嬉しいし、評をもらえると、舞い上がる。 数年続けてみて思うことは、力をこめて作った思い入れのある歌は、大抵採られない、ということ。 これまで採ってもらえたのは、朝起きて、ぼーっと白湯を飲みながらふっと浮かんだものや、川沿いをぶらぶら散歩しながら、なんとなく思い付いた歌がほとんどだ。 やはり、無駄な力が入っていると、よくないのだろうなあ。 能の仕舞も、習いはじめて一年になるけれ

      • 早く帰りたい

        新年度が始まった。 自分は異動しなくても、同じ部署でいろいろと人の入れ替えがあり、毎度のこととはいえ、慌ただしくて心がざわざわして、意味もなく疲れてしまう。 新しい人たちとの出会いに、ワクワクできるような性格ならいいのだけれど。 昔から、変化が苦手なのは、変わらない。 新しい人たちを迎えて、仕事のスタイルもいろいろだ。 朝型・夜型、職場派・在宅派、それぞれに自分のやり方がある。 あなたは何型?と聞かれて、笑ってごまかすしかなかった。 朝も夜も、本当は休みたい。 日中に短

        • 木瓜が咲いた

          ついに、ボケの盆栽が咲いた。 去年の春、お花屋さんで一目惚れして買ってきた、ミニ盆栽。 「毎年咲きますよ」と言われたけれど、植物を育てるのが下手なので、また今年咲いてくれるか、正直不安だった。 去年、花が終わったあとに虫がついてしまったこともあり、だんだんと元気がなくなってきて、引っ越す前あたりは、もう枯れてしまうかもと思っていた。 それが、引っ越してからはなぜかぐんぐん元気になって、やたらと枝が伸びた(たぶん剪定した方がいいんだろうけど…)。 前に置いていたベランダより

          川のある町で

          今の町に引っ越してきて、8か月ほど。 10年日記の去年の欄を見ると、去年の今ごろはまだ前の家にいて、引っ越しなんて考えてもいなくて、賃貸借契約を更新している。 そんな風に突然引っ越したのに、今の町に、もうずっと前から住んでいるような気がする。 前の住所と近いから、なじみやすかったというのもあるかもしれないけれど、変化の苦手な私にとって、意外な結果だった。 引っ越して、最寄り駅は遠くなり、その分、通勤時間も長くなった。 スーパーも、前に比べれば微妙に遠い。 それでも今の家

          川のある町で

          謡い、舞い、そして歌う

          年が明けて、もう20日あまり。 今年もすごい勢いで、過ぎていきそう。 先日、本屋さんのレジに並んでいたら、前方に並んでいる若い人がたくさんの歌集を抱えていた。 本当に、短歌ブームなんだなあ、と思う。 短歌を作りはじめて、はや四年。 周りに同じ趣味の人がいないこともあり、短歌ブームを実感することはなかった。 それが、こんなに若い人にまで広がっているなんて。 今年の大河は紫式部だし、ますます盛り上がっていくのかもしれない。 私の拙い短歌も、毎週日経歌壇への投稿を続けているお

          謡い、舞い、そして歌う

          今年が終わる

          ようやく、御用納めがやってきた。 嬉しいというより、ほっとして、疲れがどっと押し寄せてくる。 12月は、とても慌ただしかった。 ハムスターの回し車がすごいスピードで回転して、足がついていかなくなってグルグル翻弄されるような、そんな毎日。 ハムスターは小さい頃から、教えなくても回し車を回す。 まだ小さいときは、カラカラカラ、と可愛い音。大きくなると、びっくりするくらい力強く、ブンブン回す。 車の回転についていけずに時々車から落ちていた仔ハムも、成長したあとは、上手にコント

          今年が終わる

          下を向かない

          能のお稽古を始めて、もうすぐ一年が経つ。 謡と仕舞(ざっくり、歌と踊り)、両方習うのは欲張りすぎるかなあと思いつつ、思いきって両方始めて、案の定、練習不足でどちらもなかなか身に付かないのだけれど、楽しく取り組めているから、とりあえず良いことにする。 なにより、両方習っていることで、お能を観に行ったときの楽しみ方が、習う前と比べて、広がったように思う。 自分が謡ったことがあると、何を言っているのか頭に入りやすいし、摺り足や型の習得に苦労しているから、プロの方々の足の運びや型の

          下を向かない

          冬のサボテン

          散歩をしていたら、ご近所のサボテンが花を咲かせていた。 小さな小さなサボテンのモコモコが集まった、かわいい花壇。 そのモコモコたちの頭の一つ一つに、鮮やかなオレンジの花が、髪飾りのようにくっついている。 冬にも咲くんだ!それも、枯れ葉舞う寒さを吹き飛ばすような、ビタミンカラー。 ああ、いいなあ、と思う。 こんな小さなサボテンにも、花が咲くんだ。 こんなに身近に、知らないことが、まだまだたくさんある。 慌ただしい日々に押し潰されそうになっていたけれど、少し元気になれた。 当

          冬のサボテン

          白鷺の朝

          いつの間にか、もう12月。 晩秋に入ってからも暖かな日が多かったけれど、12月ともなると、さすがに朝晩の冷え込みは厳しくなって、家の前のハナミズキの葉も、真っ赤に染まった。 朝、川沿いを、コートとマフラーに埋まりながら歩く。 冷蔵庫の中のような空気で、顔が寒い。 お休みの日くらい、遅くまで眠っていたいのだけれど、年のせいか、長く眠り続けることができなくなった。 今年も、あと一か月を切った。 仕事がしんどくて、しんどくて、本当に疲れた一年だった。 とはいえ、来年も状況が変わ

          5分早起き、そして水やり

          昔から朝が苦手で、太陽の光が苦手だった。 大人になった今も、相変わらず朝は弱いけれど、お日様のありがたみは、少し分かるようになった。 それは、年を重ねるごとに、うまく眠れなくなったせいかもしれない。 「朝起きたらすぐに窓を開けて、太陽の光を浴びましょう」と、どの眠りの本にも書いてある。眠りのための準備は、朝から始まっているのだ。 とはいえ朝は苦手のままなので、平日の朝はバタバタだ。 屋外で育てているボケの盆栽の水やりも、いつも夜に帰ってきてからしていた。 あるとき、夜に

          5分早起き、そして水やり

          歌も、謡も

          今月のダ・ヴィンチは、短歌特集。 歌人の瀬戸夏子さんと尾崎世界観さんの対談の中で、短歌は下積みの必要なジャンル、というお話が印象的だった。 短歌を続けていって、劇的に変化が生じるには、少なくとも三年はかかるし、十年やるまで分からない。 三年から十年の間に、とても良くなる人が多いのだとか。 ちょうど私が短歌を作りはじめて、三年が過ぎたところ。 短歌も十年か、と思うと、嬉しくなった。 能の謡のお稽古を、今年から始めたのだけれど、こちらも「謡十年」と言われている。 十年やれば

          歌も、謡も

          惑わず

          先日、40歳になった。 家族からは、なんだか信じられないね、と言われる。 末っ子だから、いつまでも子どものイメージがあるらしい。 自分自身はどうかといえば、35歳を過ぎた辺りから体力気力とも衰える一方で、むしろまだ40代じゃなかったのか!という感じ。 よく40年も生きてきたなあ。 なんだかもうボロボロだ。 人生100年時代といわれるけれど、みんなどうやってこんな長生きしているんだろう。 とはいえ、これまでの40年と、これからの40年の体感は、きっと全然違うのだろう。 姉

          わたしにもお囃子がほしい川べりを吉野天人謡って帰る お能を観るたびに、シテ(主役)を盛り上げるお囃子に魅了される。 私は私を、鼓舞するしかないけれど。

          わたしにもお囃子がほしい川べりを吉野天人謡って帰る お能を観るたびに、シテ(主役)を盛り上げるお囃子に魅了される。 私は私を、鼓舞するしかないけれど。

          空っぽの

          残暑の厳しい、今日この頃。 でも、夜の散歩は格段にしやすくなったから、やはり秋は来ているのだろうと思う。 二回の子育てを無事に終えて、近所のツバメは巣立っていった。 空っぽのおわんの巣が残されて、ちょっと寂しいけれど、来年はまたあの巣を補修して子育てをするのだろう。 毎日毎日働き詰めで、休日は、心身を休めただけで過ぎてゆく。 あああ不幸だ。 夜、職場から帰りながら、そんなふうに思う。 でも、それが生きていくってことなんだよなあ。自分の力で、生活していくしかないのだ。 ツ

          夏の終わりに

          まだまだ暑いけれど、お盆を過ぎた頃から、朝晩は少し過ごしやすくなって、真夏はもう終わったのかなあと思う。 夜、仕事から帰るとき、あんなに蝉が鳴いていたのに、今は澄んだ虫の音に変わっている。 子どもたちはあと少し夏休みがあるようだけれど、大人である私の休暇はあっという間に過ぎ、今はすっかり平常モードだ。 休みのうちにたまった仕事が押し寄せてきて、溺れそう。こんなことなら、休みなんてないほうがよかったと思ってしまうくらい。でも、やっぱり休みは必要なんだろう。 働いて、働いて、

          夏の終わりに