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今からでも入れる保険があるんですか!? 第三話

 光輝く大剣で魔物を振り払い、生来の優しい姿などなりを潜めさせて勇者エリアスは叫んだ。
「俺はエリアス! 魔王、お前を倒しにきた!!」
 相対するのは黒檀の玉座に腰掛けて不敵に笑う魔王だ。驚くほど青白い、蝋のように正気のない肌。豊かな金髪でさえ銀髪と見紛うほどだ。それらを引き立てるように、爪と両方のこめかみ辺りから伸びる角ばかりが黒光りしている。
 ゾッと冷たいアイスグレーの目が俺たちを見下ろし、矮小な人間を嘲笑する。
「待っていたぞ、勇者。この剣の錆にしてやろう! わはは!」
 両者共に睨み合い、どちらかが一歩でも動けば戦闘が始まる。そんな強烈な緊張感にツバでさえ飲み込めない。
 俺たちが負ければ、人間側の唯一の希望が潰えることになるのだ。絶対に負けてはならないというプレッシャーが萎縮の材料になってしまう。
 尻込みする俺たちの後から、小さな足音が聞こえた。もしかして、壊滅したと伝令が来ていた王国軍の兵士の誰かがここまで辿り着けたのだろうか。
「お待ちください! 今からでも入れる保険があるんです!!!」
「えっ今からでも入れる保険があるんですか!?」
 俺たち勇者一行は、ポカンと魔王を見上げていた。
 このおっさん今何て言った?
 仲間内で確認せずとも分かった。
 何しろ魔王は玉座から半分立ち上がり、驚愕の表情を浮かべていたからだ。
 保険屋がそれを見逃すはずはなく、あの怪しい笑みを浮かべて俺たちと魔王の間に立ちはだかった。決して俺たちを庇う意図ではなく、商品説明のためだろう。
「はい、ございます。魔王軍内で調査をしていたらご案内が遅れてしまいまして……。大変申し訳ございません」
「いえいえとんでもない! ご丁寧にありがとうございます」
「では保険のご案内なのですが……」
「お前マジでいい加減にしろよ! 陛下の許しをもらって働いてんだろうが!」
 俺の怒声に保険屋が振り返った。本物の悪魔と比べると体も小さく、貧相で、覇気も感じない。しかしなぜか貫禄を感じさせられる。
「お前はいつから国家間の戦争に手を出せるくらい偉くなったんだよ! えぇ!? 言ってみろよ!!」
 保険屋は相変わらず気味の悪い笑顔を顔面に貼り付けたまま俺をじっと見つめ、意見を求められてようやく口を開いた。
「戦争のことは分かりかねます。歴史的事情やこちらの道徳を配慮するだけの教養もありません。まして戦争に手出しできるなどという大それた考えもございません。ただ……」
 保険屋の視線に、軽蔑の色が混じる。
「親が子供を心配する不変の愛情を守り、子供の安心を守りたいというご要望を代行するお手伝いをさせていただく、これが私の仕事でございます。商談が終わるまでお待ちください」
 言うに事欠いて。
 分からないと言いやがった。いや、十二分に理解してあえて言っているのだ。
 カッと頭に血が上り、怒りのあまり言葉を失った。
 賢者は人間と同じだけの知性を持ち合わせる「別の人間」には配慮しないのか、とあの目は言っていた。俺の教義の薄さを軽蔑していたのだ。
「お待たせいたしました! さて、お時間もございませんので思念波をお受け取りくださいっ。どうですか、ご利用になられますか?」
「2百万イェン緊急預金に亡命特約、他にはないんですか?」
「そうですね……あ、一つだけございますよ。月々100イェン、一年で1000イェンの薬草ホーダイです。お嬢様につけられますか?」
「なんでもいい! 全部つけてやってくれ!!」
 屈辱で歯を食いしばる俺とは対照的に、魔王は満面の笑みで保険屋と契約を結んだ。どんなに偉そうにしていても、魔王も親ということだろう。
 さて、無事に保険の契約を結んだ魔王は、俺たちに向かって不敵な笑みを浮かべた。いや、緊張感ねーよ。
「さぁ、世界の命運を分けて勝負だ」
「ああ、勝負だ!!」
 それに真面目に向き合える俺たちの勇者はどうにかしている。俺は頭を抱えた。


 無事、魔王との戦闘に勝利した俺たちは、元来た道を歩いて戻らなくてはならなかった。魔王が死んでもなお、城内での移動魔法が制限されていたからだ。
 魔王の死に魔物たちは逃げ惑い、王国軍が外で掃討作戦に出ているのか騒がしい。場外へ急ぐ中、行きがけに鍵がかかっていた部屋から鈴の鳴るような声が聞こえた。見ればほんの少しだけ扉が開いている。
「お父様ぁ、お父様ぁぁ……!!」
「お気持ちはお察しいたします。大変申し訳ございませんが、弊社規定で亡命特約をつけられているので、亡命の準備をお願いいたします」
「嫌よ! ここにいるの!」
「失礼ながら、難しいかと。外には王国軍も控えております」
「そんな……!」
 火に油と理解しつつも、俺たちは扉の隙間からそっと中を覗き込んだ。可憐な花柄の壁紙が貼られた、いかにも女の子の部屋だ。彼女が父親の仇討ちをすることは難いだろう。
 部屋の真ん中で崩れ落ちて泣いていた女が顔を上げた。ほっそりとしていて色が白く、こめかみから魔王そっくりの二本の角が生えている以外は、薄幸の美少女といった風貌だ。彼女は俺たちに気がついたのか、父親に似たアイスグレーの目を見開くと、さめざめと泣き出した。
「あぁ……殺される……」
「私たちは、あなたまで殺す気はないよ……」
 何を言っても詭弁だろう。レナの言葉は発した瞬間から勢いを失って、最後の一言はささやきの如く小さいものだった。
 保険屋は俺たちを見据えると、再び魔王の娘に向き直った。
「さて、参りましょうか」
「お金があったって、もうお父様はいないの! 城で150年も生きてきたの! 今更どうやって生きていけと!?」
 姫の悲痛な叫びを聞いて、レナが涙をこぼした。魔国と王国で戦争があったからと言って、彼女が加担したわけではない。
 だからと言って、俺たちは彼女の亡命を手伝うつもりはない。殺さない代わりに助けない、それが父親を殺した俺たちの最低限のマナーだろう。
 痛々しい沈黙の中、保険屋が口を開いた。
「実は私、金なしコネなし魔法なしで王国に流れ着いたんです。エミリア様でしたら十分食べていけますよ。弊社でも時々面談等行わせていただきます」
「そこまでご迷惑はかけられません……」
「迷惑だなんて。ただ、これから先ご苦労も多いでしょうから、お手伝いさせていただきたい。それだけです」
 保険屋にしては随分と良心的だ。俺は訝しんだが、姫の方はそうではなかったらしい。ポッと淡く頬を染めて、保険屋を見上げている。
「アツヤス……」
「はい。何なりと」
 姫は決心したように立ち上がり、保険屋と向き合った。
「私と結婚して! あなたがいい!!」
 俺たちは何を見せられているんだ?
 俺は目を擦ったが、仲間たちは何故か涙目でことの行方を見守っている。自分が言えたことではないが、彼女の父親を殺したのは誰なのか、ちゃんと自覚する必要がある。
 保険屋は突然の愛の告白に驚いたようだったが、すぐに元の表情に戻って咳払いを一つした。
「……大変ありがたいお申し出なのですが、私は当分結婚する気はありません」
「は!? 何様だ!?」
「ふざけてんのかテメー!」
「流石に酷いんじゃないか!?」
「情けないよ!!」
 非難轟々だが保険屋はめげなかった。
「しかしエミリア様、いえ、エミリアさん」
「は、はい」
 保険屋は顔につけたガラスをくい、と中指で押し上げ、得意げに笑った。
「事業拡大につき、弊社では現在社員を募集しております。未経験者歓迎、OJTを基本とした各種研修、社保完備でございます。週休二日制、祭日休暇をお約束。月給は2万5千イェンに各種手当がつきます。よろしければ私と一緒に働きませんか?」
「働けるかな……?」
「誰でも始めは新入社員ですよ。一緒に頑張りましょう」
 保険屋の説得に何を感動したのか、エミリア姫は保険屋がするように深々と腰を折り曲げた。
「アツヤス……いえ、アツヤスさん! よろしくお願いします! 頑張ります!」
 二人は肩を並べて、部屋のバルコニーから転送魔法で去っていった。俺たち勇者一行はそれぞれ顔を見合わせることしかできなかった。
「俺たち何を見せられたわけ?」
「さぁ? さっさと帰ろうよ。 早く研究の続きがしたいの」
「異世界召喚魔法だっけ? あの、一人の魔法使いにつき一回しか成功できないっていう」
 レナは手にした大金を掲げて、俺に向かってにっこりと笑った。
「そう! 異世界の人間を召喚して、この世界に革命を起こすの! 三年前は失敗したから、今回は成功させたいなぁ」
「叶うといいな」
「へへへ」
 俺たちは王都へ凱旋するために、転送できる場所まで移動することにした。きっと真実を知っていたら、すぐに保険屋を追いかけていただろう。
 そして、あの言葉を聞く羽目になっていただろう。


 今からでも入れる保険があるんですか!?

                 了

第一話
第二話

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