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今からでも入れる保険があるんですか!? 第一話



あらすじ

 勇者のパーティで懸命に世界平和のため働く賢者ことマーティンにはとある悩みがあった。人望も厚く、快進撃を苦しめる彼らがボス戦へ挑もうとすると必ず現れる不審な男のことだ。奴が現れると勇者たちが守る村人たちだけではなく、魔物たちでさえこう声を上げる……。
「えっ、今からでも入れる保険があるんですか!?」
 あいつ何なんだよ! 何で俺たちついてくるんだよ! おい皆、あんな奴の手にはまるなよ!
 そう叫ぶマーティンの背後にも、ギラギラとメガネを光らせながら奴が近づいてくる! どうなるマーティン!?

第一話

 魔物、それは古くから人々を苦しめる害獣に近い。人間たちはそれらを淘汰すべく武器を手に取り、魔法を身につけた。
 そして、王国歴666年、預言の子が生まれた。彼は伝説の痣を左手に宿し、魔王を撃破すると古代の占い師が言い伝えた赤ん坊である。
 預言の子ーー勇者と呼ばれるその青年は、新進気鋭の若者を次々と虜にし、仲間へと引き入れた。
 伝説の光魔法を操る魔女、レナ。
 オークでさえ素手で倒す女戦士、ゾフィア。
 そして神殿で回復魔法の全てを会得した俺、マーティンだ。
 俺たちは次々に魔物を屠り、とある村へ立ち寄ったところだ。村は魔物の襲撃に遭い柵が外れてしまっている。
 中から啜り泣きの声が聞こえ、怪我人が出たことを俺たちは知った。
 一足遅かったか……。そんな悔しさが込み上げるものの、怪我人たちを早く治療しなくてはならない。それが聖職に就いている俺の責務だ。
 ここが魔国に近く、魔物の棲息地も近い。こうしたことには慣れているかもしれないが、だからと言って手助けをしない理由はない。
 重い足取りで村の入り口にある簡素な門を潜り抜ける。村人たちは手慣れたもので、自分たちで柵を直したり、怪我人に応急手当てを施したりと忙しそうな様子だ。
「賢者のマーティンです。傷の深い方は俺が治療します」
「なんと! ありがとうございます賢者様……」
 賢者としての責務を果たしながら村の中を練り歩く。これが終わったら村をめちゃくちゃにした犯人を退治しにいかなくては。
 中央広場へ足を踏み入れたとき、とある女が声を上げた。
「えっ、今からでも入れる保険があるんですか!?」
「一足遅かったか……」
 思わず舌打ちをしてから声の先を見ると、粗末な服を着た女が地面に跪いている。その前にいるのは、俺の天敵である「保険屋」だ。
 奴は黒々とした怪しい服を身に纏い、不審なガラスで顔を隠し、しかも黒い髪に黒い目をしているのだ。これを不審者と言わず何と言うのだろうか。
 これだけでも十分警戒に値するというのに、あの男は「保険」なる怪しい商品を人々に売りつけているのだという。金をもらっても物は渡さず、安心などという目の見えないものを売りつける悪徳業者だ。それなのに王都では保険に入っていないものはいないという。
 女はまるで神の使いでも見るかのような目で男を見ている。手にはしっかり契約書まで握って準備は万全だ。
「もちろんですよ、奥様。月々120イェンの簡易コースでよろしいですね?」
「待ってください、子供達も保険に入れたいです」
「それでしたらご主人の保険にお子様特約をおつけして、ご家族で月々200イェンでいかがでしょう? 教会で治療を受ける際のご負担がなんと8割引です」
 元々教会の治療代はそんなに高くない。怪我なら500イェン、復活なら財産の半分を寄付すればすぐに治療している。
「それでお願いします!」
「5年コースになさいますか? 3年コースもございますが」
「5年でお願いします!」
 女は勢いよく契約書に手をつくと、契約書が光り出した。村人たちはそれを覗き込んでどよめきを上げる。
 彼らは我も我もと手を上げ、次々に保険屋に殺到した。保険屋は胡散臭い笑顔を浮かべて対応していたが、怪我人の治療をしている俺たちを見かけると顔に引っ掛けたガラスをギラリと光らせながら駆け寄ってきた。
「お疲れ様です、皆様! お世話になっております!」
「保険屋さん、その人たちはまさか……」
 村長と思しき老人など、完全に保険屋を信じ切っている。
 保険屋は胡散臭い笑顔を浮かべて歯を見せつけてきた。
「はい、こちらが我々の希望の星、勇者御一行です!」
 そこでようやく村長は俺たちをしっかりと見据え、おお、と感嘆の声を上げた。
「この村にも勇者様御一行が来てくださるとは! いやはや、今はこんな有様で、おもてなしできなくて申し訳ない」
 村長は曲がった腰をさらに丸め、申し訳なさそうに俯く。
「大丈夫ですよ、村長さん! すぐに私たちが魔物を倒してきますからね。居場所はわかりますか?」
 レナが声をかけると村長はパッと顔を明るくして、そしてなぜか、保険屋が俺に擦り寄ってきた。
「おい寄るな」
「前回の件、考えていただけましたか?」
「あー、やっぱいい、大丈夫だ」
 会う度に加入しろとしつこいから「考えとく」と言ったことを後悔する。遠回しに断ったつもりだったが、コイツの胸には全くと言って良いほど響いていなかったらしい。
「そう仰られると思って、チラシを用意して参りました! 魔王城も近づいて参られましたし、復活保険だけでもいかがですか? マーティン様が戦闘中に命を落とされると、皆様お困りになられるでしょう?」
 俺は保険屋が渡してきたチラシに目を通した。
『復活保険、初回利用に限り半額!
 通常3000イェンのところ、なんと! 1000イェンで財産のほとんどをお守りいたします!」
 一緒にチラシを覗いていたエリアスが食い入っている。
「すごい! マーティンこれ入ってくれよ! 今死なれたらかなり痛いんだよ!」
「嫌だつってんだろ! おい保険屋! 俺よりも前線に立つゾフィアに勧めろよ!」
「アタシは復活用の8000イェン以上は持ち歩かない主義だからいい」
 下品にも耳の穴に小指を突っ込みながら、ゾフィアが大きなあくびをする。オッサンよりもオッサンらしい、それがゾフィアだ。ツッコむのはやめた。
「ゾフィア様は魔王城突入直前にご契約いただくご予定です」
「……おい、何の保険だ」
「ご興味がおありで!? 教会も私もお勧めはしておりませんが?」
「はぁ……そうなんだ」
 どんな内容だよ。
 保険屋はいそいそとカバンからまたチラシを取り出した。端に赤い字で何か書いてある。それを保険屋から受け取り目を通す。
『魔王城突入スペシャルパック
加入金 10万イェン
魔王城の内部に突入する際のみ有効。復活無料無制限。回復薬半額無制限。魔王前全回復をお約束! ※ただし、魔王戦後は自動的に契約解除となります。復活には最低8000イェンが必要です』
 保険屋は難しい顔をしながら、俺からチラシを取り返した。
「復活無制限は体と精神の負担が大きすぎるので教会にかなり渋られたんです。しかし、ゾフィア様からご要望いただいた内容を全て反映するとこうなってしまったのです……」
「儲かっていいじゃん?」
 俺も大人だ。慰めてやっても良い。
 保険屋は下唇を噛みながらチラシを睨みつけている。
「せめて全回復無制限、回復薬大特価でご理解いただきたかったのですが……」
 俺と保険屋は揃ってゾフィアを見た。胸を張るゾフィア。
「死んだ時がいっちばん困るからな! これじゃなきゃ契約しねぇぞ保険屋ァ!」
 保険屋は少しだけ残念そうにカバンに資料をしまい、俺たちに向かって腰を曲げる。
「では、私は次の仕事に向かいます。皆様どうぞお気をつけて」
 何故か戦士の風格を醸し出している背を見送り、俺は深々とため息をついた。
「はぁやれやれ。あんな怪しい商品をなんで教会が許可してるんだか」
「教会も王様も認定を出してるんだから、全然怪しくないぞ」
「正論なんて聞きたくないね」
 しつこい勧誘を無事切り抜けた俺は、この後世話になるだろう村のため、一歩村から踏み出した。害獣ならぬ害魔獣が呑気に落穂を食べているのを横目に、村を襲ったであろう大きな足の主を追うことにした。

 その数時間後、村の北にある洞窟の最深部での出来事だ。
「えっ!? 今からでも入れる保険があるんですか!?」
「もちろんでございます! 人間側との戦闘で傷つき、魔王軍に戻れなくなった場合の保険もございますよ」
「入るっ! 入りますっ! この黄金の腕輪でお願いします!」
 もうすっかり見慣れてしまった光景を前に、俺は深く息を吸った。
「こんなとこで営業してんじゃねーよ保険屋!! さっさと王都に帰れ!!!」
 百歩譲って人間相手だけなら分かるが、魔物も相手にするような男を何故国が野放しにしているのか。俺は絶対に認めない。

 なぜ俺が保険屋に出会ってしまったか、まずはそこから話をしておこう。
 俺は昔、神殿の見習いをしていた。見習いと言っても赤ん坊の頃にそこに捨てられたから生活していただけで、特に思い入れはなかった。
 一方、育ての親である大神官は俺を目にかけていた。12歳にして回復魔法を身につけ、18歳で回復魔法を極めた俺は神童と言っても差し支えなかったのである。
 そんな俺の人生は、エリアスたちに出会って様変わりした。
「来たかったら手伝って欲しい」
「旅も悪くない」
「一緒に皆を助けようよ」
 そう言って俺を連れ出してくれた三人が、あのつまらない神殿でどれだけ輝いて見えたことか。実に向いていない生活を手放し、俺が自由への一歩を歩み出した時だ。
「ああ、勇者御一行様! お世話になっております!」
 初めてあの男を見た時はゾッとしたものだ。黒い服を身に纏い、顔に怪しげな道具をつけて、腰を折り曲げてニタニタ笑っていたのだから。
 まるで物語に伝え聞く、人間の姿をした悪魔だった。
「ケンタさん、こんにちは」
「こんにちは、レナ様。今回も無事に魔物を倒されたようで何よりです。ご不幸もなかったようで一安心いたしました」
 淡い恋心を抱き始めていたレナが男と話しているのを見て、俺は慌てて彼女の手を引いた。どこからどう見ても怪しい。何が一番怪しいかというと、ニタニタと不審な笑みを顔面に貼り付けたままなのが一番怪しい。
「あいつ何?」
 訝しげな俺に気づいたエリアスが俺を安心させようと微笑む。
「ああ、この辺では知らない人もいるのか。保険屋さんだよ」
「ホケン……? 何だそれ」
「初めまして。私は厚保 健太(あつやす けんた)と申します。簡単ではありますが、弊社の保険についてお話しさせていただきます」
 別に興味はないし聞きたくないが、何故か断れない圧を感じる。俺は仕方なく黙り込んだ。
 顔いっぱいに浮かべた「聞きたくない」という表情を、あろうことかヤツは笑顔で黙殺しやがった。
「保険というのは簡単に申し上げますと、怪我や事故、病気の際に治療代や生活の保障を行うサービスのことでございます。月々辺り1000イェンで定期的な薬草の購入の値下げ、教会で復活時に寄付する財産割合の軽減を受けていただけますよ。そして今ならなんと! 無死亡、無怪我一年満了で全額返金サービスもございます。まずは試しでいかがですか?」
「いや、いい。大体何のために?」
「皆様の安心と安全を提供したいというのが、弊社の理念でございます」
 そんな話聞いたことがない。怪しすぎる。いや、言われてみれば、神殿で薬草を買っている連中をよく見かけているような気はしていた。普通に金を払えば済むことなのに、わざわざ間に入って金をむしろうとする様子にゾッとさえする。
「俺はいい」
「そうですか、残念です……。しかし単発の保険などもございますし、サービスには自信があります。もしご用命の際はお申し付けください。それでは」
 保険屋は俺に幾らかの冊子と菓子類を押し付けると、その場を後にした。
 呑気に手を振っている仲間たちを振り返り、俺は眉間に皺を寄せた。
「おい、何なんだよあの怪しいヤツ! お前ら変なもん買わされてないだろうな!?」
「死ななきゃかすり傷だ。アタシは入ってない」
 ゾフィアが頭をバリバリと掻きながら答える。良かった、コイツが一番言われたまま金を払いそうだ。
「そういえば私たちはケンタさんに1回も勧められたことないね」
「そうだなー。あんけーととかいうのだけ書いたけど」
 まだまだ子供である二人は仲良さげに目を合わせると、同時に俺を見てきた。
「でも変なものじゃないぞ。王様も大神官も認定くれてるんだから」
「は!? あの怪しい奴に!?」
「そうだよ。だから怪しいなんて言っちゃだめだよ、マーティン」
 年下に嗜められて、俺は思わず歯軋りをした。あの不審な男も流石に子供相手に狡い商売はできなかったようだ。
 ふと俺は男に渡された冊子を見下ろした。アンケートと書かれた紙が一番上にある。
 実家の住所、名前、年齢、家族構成と続き、一番下に小さな字でこう書いてあった。

 ※お客様の情報は、弊社のサービス案内以外では利用しないことを誓約いたします。
 ※各国未成年の方に関しては、保護責任者様にご連絡を差し上げる場合がございます。

 怒りで震える手でアンケートを握りしめ、俺はエリアスとレナを振り返った。
「お前ら……家で買わされてないだろうなぁ?」
「さぁ?」
「いいじゃん家で入ってくれるなら」
「お前ら呑気すぎんだよ!! いいか、絶対にアイツのとこの商品は買うなよ!!」
 かくして、俺と保険屋の戦いは始まったのだった。ヤツは俺たちの行く先々に現れ、あらとあらゆる生き物に、こう言わせ続けたのである。

「えっ、今からでも入れる保険があるんですか!?」


第二話
第三話



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