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体験で味覚が形成されたらしい話

きょうのお昼ご飯どうしよっかなー。
昨日はうどんを食べると決めて訪問したのに、まさかの定休日。
「あれ、今日って何曜日?」と会社を辞めてから暦迷子のようです。

わたしは蕎麦よりうどん派でして。
蕎麦も別に嫌いじゃないのですが、昔からあまり好んで選ばないのです。
蕎麦屋に行ったら、あればうどん。あれば親子丼。といった順番に選びます。
これには幼い時の経験が影響していると父は言います。
幼稚園~小学生低学年くらいの時、蕎麦打ち体験に行ったそう。
自分でそばをこねる、切る、ゆでるを一通りやるのですが、
まぁ、ちびっこの私は細く切ることができない。
たまに太いのあるね!というよりも「細くも切れたじゃん」ってレベル。
コシだってプロが作る蕎麦のようにはいかない。
細くてつるつるした蕎麦はうまくできず、「おいしいね!おかわり!」みたいな具合にはいかなかったそう。

結局大人になっても、蕎麦はそのときのイメージがどこか奥底に眠っているから積極的に食さない、ということらしい。

体験って深く自分の中に眠っているんだなー。
寝て忘れた。とか思っている経験も、どこかにも積み重なっている。
いいことも悪いことも。
できればいいことを積み重ねたい。だから、自分が喜ぶ道を選ばないよう船をこぎたい。
自分の機嫌は自分でとらないと。
そうすれば、ご機嫌な私は誰も傷つけないはず。

今日のうどんは讃岐うどんでした。
このコシが好きなんだよなぁ。

そう、香川県にいってみたい。

脈略はないけど、ずっと体験は身体に染み付いているんだねって思った話。

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