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 震える夜の眠り方 前半

 おはようございます、雪猫なえです。
 ようやくマニキュアが八割ほど乾いてきたので執筆します。
(とまぁ、ここで調子乗ってよれちゃう=ぐちゃぐちゃになっちゃうのがいつもの流れなんですけど……気を付けてタイプします)

 今日は、のんびり過ごしていたら色々と書きたいことが浮かんだので、書ける分書きたいなと思います。(って言って結局一個しか上げなそうですが……まぁネタは溜まったので良し)

 今回の記事は、昨日の夜、この前の夜、そして毎月襲ってくる不安な夜について書きます。暗い話だと思うので、苦手な方はここで退出することをお勧めします。
 正直、タイトルにあるような明確さで「どうやって乗り越えられるのか」を書けた自信はありません。けれど、昨日私が、珍しく楽になれた思考をここに記そうと思います。

 本当、少しでも精神的な苦痛を少ないままに行き続けられる人が増えることを心底願います。私自身も含めて。生き続けられるように。



不安な夜の症状

 それは突然襲ってくるんですよねぇ、困ったことに。
 何があったわけでも、原因も起因もわからない。突然、来る。

 紺色になった窓ガラス(磨|《す》りガラス)を見て、心臓がぎゅってなるっていうか、ドクッてなる。あの感覚は何回経験しても、もうやだぁってなります。

 「あ、また来たか……」

って思うんですけど、やっぱりどうしても、「いらっしゃい」って出迎える気にはなれませんよねぇ。(共感を求めるでない)


 まぁ、症状っていうか、毎度どんな感じになっちゃうかって書くと、
・不安で不安で、自分はもうダメかもしれないとしか思えなくなる
・「勉強すること」を筆頭に、「やるべきこと」をどうしようもなくやりたくないって思う
・お先真っ暗って感覚に苛まれる
・酷い孤独感と共に、いてもたってもいられない気分になる
 でもじっとしているのもしんどい
・頭の思考が止まらなくて、暴走したかのように高速回転する
 それによって嫌な記憶から嫌な妄想まで幅広く想像してしまう
・両親に対して普段よりも強く申し訳ないと感じる
・部屋の電気すら点けたくなくなる
・どうすればいいのかわからなくなる

……ってところでしょうか。
 ここで泣くことができればまぁ、いいのかもしれませんが、この前は珍しく泣くこともできず、うん、悶々としてました。



対処法1:親に電話をする

 たいていの場合、漠然とした不安のピークは夜なので、親に電話をかけます。「今電話いい?」の一言もなく突然かけます。

 話していると、ちょっと落ち着きます。

 去年の夏、精神状態が一番酷かったときを境に、親には自分の精神的不調を告白しているので、話は早いです。
 長い年月をかけてようやく少しずつ理解してもらってきた最近では、両親への電話が解決策になるくらいには環境が改善されました。
 本当にありがたい。

 もう頭ごなしな否定も無情な励ましも殴ってこない安心がある。本当に本当に、ありがたいことです。
 母の頼れる一面に、こんな形で助けられるなんて、思ってなかった。


対処法2:漢方服用

 最初に言っておくと、これは「対処法」というより「緩和法」「気の紛らわせ方」と言った方が適切かもしれません。
 これによって症状が改善するわけではないことも断っておきます。

 漢方は、服用したことがない人にとってはハードルが高かったり強い抵抗があったりするかもしれません。私も、数年がかりでやっと当たり前のように服用するようになった身なのでわかります。
 私の場合は、母が勧めてくれたことが始まりでしたが、そもそも信用していなかったし、不味いので飲むのも一苦労で、その苦労するなら耐えるって感じでした。

 これは、慣れですかね……。耐えることができなくなったじゃから、という理由ではないかもしれません。徐々に徐々に抵抗感がなくなっていった、って感じです。
 なので、一応ここで勧めはしますが、取り入れることが難しいかもなぁと思っていることも書いておきます。



対処法3:テレビを見る

 これは、テレビっ子である私の対処法ですし、そもそも効くかどうかと言われると、やはり「気を紛らわせる程度」でしょうと言っておきます。
 表面で笑えたとしても、漠然とした不安は渦巻いたままですし、動悸は収まらないからです。
 テレビ見て笑って吹っ切れるなら、部屋の電気なんてとっくに点けてる。

 私の場合、バラエティを見る気力すらないことがほとんどなので、ドラマに頼ります。通常、ドラマは一回観たらリピートしないのですが、たまに現れるんですよ、繰り返し見たいドラマが。それは保護しておいて、録画が消えないようにしています。それを見る。

 少し、心が軽くなるような気がする。


 あともう一つ私がテレビを好きな理由として、「頑張って働いてる大人を感じることができる」っていう不思議な理由があります。

 もちろん大体の映像は収録したものですが、「あぁ、頑張って働いてる人がいる」「働いて、生きてる人がいる」って思うと、なんか、自分もは働いたり、生きたりできる気力が湧いてくる気がするんです。変な話ですけど。
 これは感覚の話ですし、多分私以外に共感者がいなくても可笑しくない話なので、「へー」って流して下さい。
 書きたいってなったら別の記事で詳しく書こうと思います。



昨夜、腑に落ちた思考方法(説明のために日記文章公開)

 はい、ここからは思考方法を書き記していこうと思います。
 こんなお豆腐メンタルなので、いっつも「どうやったら楽に生きていけるか」とか考えるんです。でも、どうも難しくって、どうやっても回復できないときは、ある。

 でも、昨日、軽めの、でも重症化したら落ち続けてしまいそうな予感のする不安感が顔を覗かせました。日記を書く直前だったかな。
 そのときそこはかとなく筆を走らせたら、なんか、言い考え方が出てきたんですよね。書きます。


 ちょっとそのままの文章書きますね。補足は後述。

 占いなんて、信じない、ですかね。何回期待を裏切れば???
 生きていたくない。なんかもう、生きていたくない。何もしたくない。
 疲れてるだけかな?何もしたくない。この先八十年を生きていく元気がない。明日病気で死ぬなら、それでもいい。
もうずっと、そう思ってる。
言霊も幽霊も神も仏もいない。あるのは相手の人間だけ。
なら、日記を書いても、良いよね。
魔法は解けたんだ。
一人でいよう。
あ、恐怖心が消えた。動悸がおさまった。
明日は朝イチで歩いてみようか。期待もせず、音は……任せる。
失うことが怖い私は、仲間を失うことが怖いんだろう。だから「一
緒にいる」ことに固執する。
民間も、考えてみようか。物事はシンプルに。
何も、何も怖くないんだよ。
離れていても、手を差し伸べてくれる人はいる。
物理的距離が全てじゃない。
動こう。帰るか、引っ越すか。模様替えか。
求められたいのは、一人が怖いからだ。
触れていなくても、助けてくれる人はいるよ。
少しずつ、口に出して、動いて、前向きに。
死ぬ勇気がないってことは、生きるってこと。生きるんだったら、楽しい人生を。わぁ、嫌いな言葉が好きになった。
あ、私一人でも生きていけるんだって思えた。
距離は全てじゃない。
死なないなら、生きるしかなくて、生きるなら楽しくいこうぜ。

○○君、ありがとう。本当にいつも良い影響をくれるね。

雪猫なえの日記(6月18日 Sat 20:40)より


 ちょっとかなり長くなるので後半に続かせます。
 では。また。
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