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頼れる人がいないことも、たまにはプラスに働くらしい

皆さんは上手に他人を頼っているでしょうか?
その相手は家族でしょうか?友人でしょうか?恋人でしょうか?それとも通りすがりの赤の他人でしょうか?

誰でもいいから支えてくれる存在って大切ですよね。
でも、そんな存在がいないことにもまた、良い側面があるのかもしれないなと実感したことについてです。



本日のご挨拶

こんばんは、雪猫なえです。
結局お昼の時間帯はダウンというか羽休めしてしまって、このように猛烈な勢いで執筆することが叶っていない最近です。まぁ、少々イレギュラーな用事があったり、バタついていたりしていたので、許容することにします。

今週は結構怒濤どとうの週だったのですが、充実はしている最近です。一番叶ってほしい願望こそまだまだ叶っていませんが、それでも自立して独りで頑張れている今の自分は素直に「いいじゃん」と思えます

やるべきことが少々間に合っていないので少し切羽詰まっているところもあるのですが、ちょっとそろそろガス欠で潰れてしまう気配を感じているので、明日辺りストレス発散させる必要があるかなと思っています(自己管理大事)。
雪猫式ストレス発散(エネルギーチャージ)の一つは、美味しい食事を摂ってあげることです。なので、明日の夕食は一人で外食しようかと思っています。帰りに新しいお菓子屋さん(かな?)を開拓して帰って来れたら万々歳です。と、いうことでそこまでにもう少しの辛抱でやること進めようと思っています。


それでは本日の本題です。



人を頼れるということ

他人を上手く使える人間であれ、たしかにそう思います。個人差はある項目(?)だとは思いますが。
いとも容易くできている人もいれば滅茶苦茶難しいという人もいるでしょう(まぁ何事においてもそうかもしれませんが)。

「人を頼れる」とは、どういうことでしょうか(出た、雪猫の悪い癖です)。
疲れたときに弱音を吐けることでしょうか。キャパオーバーのときにタスクを少し請け負ってと頼めることでしょうか。我が儘を吐露できることでしょうか。わからないことを訊けるということでしょうか。
上記のいずれも「人を頼る」ことだと思います。

今回のメイントピックは、主に「話を聞いてもらう」ことを指す気がします。



友人に弱音を吐く

雪猫は、大きな悩みを抱えると、答えが出ていても、時間が経つことを待つしかないときも、もうどうしようもないときも、口からどんどん言葉が出てくるタイプです。

同じような悩みを、言葉を換え表現を変えずっとリピートしてしまいます。悪い癖だなと思っていても、気を抜くと出てくるので、一緒にいる人は嫌だろうなと思うのですが、甘えているとどうしても出てくる悪習慣です。



そんな「他者」がいなくなったら

そんな中、最近友人を頼れない状態になったんです。まぁ、「友人を頼れない」というよりは、「『今までぐちぐちを聞いてくれていた友人』に話せない状況になった」というのが正確な表現なのですが。

そしたら、まぁその、必然的に「言わなくなる」んですよね。一人で部屋にいるときは、独り言が多い雪猫ですが悩みを放出すると言う行為はしないんですよね。ずっと、じっと頭を抱えてぐるぐる思考するので口をついて出ないんですよね。

そうしたら、思わぬ効果が出てきたんですよ。



「言わない」ことは「加速しない」こと

「言わない」からと言ってそれについて考えなくなったわけではないんです。ずっとずっと渦中にいて、悩んでいて、辛くて、それがパッと消えてなくなったというわけではないんです。

でも、「悪化」はしなくなった気がするんです。
言霊ことだまを完全に信じているわけではないのですが、やっぱり口に出してみるという行為は一定の効果があるように思います。

そのため、悪い想像や悩んでいて辛いことをずっと口から吐き出していると、いつまで経っても鎖が断ち切れず、ずっと囚われてしまって、その末ずっと深刻に悩み続ける状態に陥ります。

なので、言わなくなったことは雪猫に少し治療効果があったんです。



反対の側面

勿論、いつもいつも溜め込めばいいということではありません。定期的にガスを抜かないと、人間破裂します。頭の中に留めておくだけなのは、堂々巡りするばかりで得策とは言えません。

何事もほどほどが一番と言いますが、言葉も、吐きすぎても駄目だし溜めすぎても駄目なようです。
本当、難しいですね、面倒くさいですね。



結局書き出すのが一番なのかもしれない

タイトル(小見出し)のまんまですね。書き出すという方法での放出がいいのかもしれないなと雪猫が思っています。

主な理由としては、視覚的に確定していくから、そして体力的限界を迎えるからです。

「視覚的に確定する」というのは、頭の中だけで考えると漏れなく起こる堂々巡り現象が起きないことを指します。
「体力的限界を迎える」というのは、ずっと書き続けられないので延々と考え込んでしまうことを防止できることを指します。ずっと書いているのは物理的に疲れますし、書き出してみると、頭の中であんなに膨大にあった諸々もろもろが、「あ、あれ?たったこんだけ?」というコンパクトサイズになることがしばしばあります。

目に見える形で悩み等を具現化するのはやはり効果的なのでしょう。



おわり

ぐじぐじしている自分やしそうな自分への布石として書いた記事でもあったかもしれません。効果を実感するのはもう少し先かとは思いますが、なんとなく上手く作用してくれそうな気がしています。
雪猫の勘は割と当たるんですよ。

こういう布石的記事でもっともっと自己コントロールできたらいいのに、と思う今日この頃です。


それでは今日はこの辺で。また。

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