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主体性を阻む指示命令「ハンドサインの危険性」

中教審答申「令和の日本型学校教育」実現への課題

令和の日本型学校教育は、2020年代を通じて目指すべき学校教育の姿として、中央教育審議会において答申されたものです。
この答申では、全ての子供たちの可能性を引き出すために、個別最適な学びと協働的な学びの実現を重視しています。

個別最適な学びとは、一人ひとりの子供の興味・関心や学習状況に応じて、最適な学びを提供することです。
そのためには、子供の理解度や習熟度を把握し、その結果に応じて指導内容や方法を調整することが重要です。
また、子供自身が自分の学びを主体的に考え、計画・実行・評価できるような環境を整えることも大切です。

協働的な学びとは、子供同士が協力しながら学び合うものです。
そのためには、子供同士が協力し合うためのルールやマナーを身に付け、お互いに尊重し合いながら学び合えるような環境を整えることが重要です。
また、子供たちが主体的に学び合うことができるような課題や活動を設定することも大切です。

令和の日本型学校教育が目指す個別最適な学びと協働的な学びは、いずれも子供たちの主体性を育むことにつながります。
子供たちが自分の興味・関心や学習状況に応じて学び、お互いに協力し合いながら学び合うことで、自ら考え、行動できる力を身に付けることができるのです。

個別最適な学びは、「個に応じた指導」の理念を具体化するものとして位置づけられています。
支援を必要とする少数派の子どもたちは、診断の有無にかかわらず、さまざまな特性や課題を有しています。
そのため、一人ひとりの特性や課題に応じて、学習内容や方法を調整することが重要です。

協働的な学びは、「共生社会」の実現に向けた重要な取り組みとして位置づけられています。
支援を必要とする少数派の子どもたちは、多数派の子どもたちと共に学校生活を送ることになります。
したがって、多数派と少数派が互いに寄り添い合いながら学び合っていかない限り、共生社会の理解や共感力を育むことはできません。

この個別最適な学び・協働的な学びの実現の障壁となる課題が2つあります。
①特別支援教育のスキルアップ。
②多数派と少数派が互いに寄り添いあい、共感しながら学び合うことのできる学級づくり。

この2つを解消しない限り、令和の日本型学校教育は実現は絶対にできないと確信しています。

この2点を解消する学級経営手法が、リエゾン学級経営です。

このような現状や課題をふまえ、多様性を尊重し共に学び成長する新たな教育アプローチとしてリエゾン学級経営を考案しました。

全員が多様性を尊重し、誰にとっても居心地のよい場、楽しく学びながら互いを認め合う学習環境を築き、目標に向かって努力しながら成長できることを目指します。

学級経営(ゴール設定)×心理的安全性(居場所づくり)×特別支援理解教育(多数派・保護者・教職員への理解)=リエゾン学級経営

詳しくはこちらをご覧下さい↓

リエゾン学級経営を実践するには、
まずは教師が変わらないことには始まりません。

教師の心が変われば、子どもたちの心も変わります。
まさに心の鏡です。

先生が指示命令を子どもたちにだすスタイルでは、やがて壁にぶつかり、指示待ち人間が育ちます。
それだけでなく、教師の指示は見えない圧力もあり、教師の価値観が全てになります。

リエゾン学級経営は見方を変えれば、自立型成長集団づくりとも言えます。
子どもたちが考えて行動する文化をつくるのです。

それには、手間と時間がかかり、指示命令するほうが圧倒的に楽です。

だから令和になっても、指示命令を出す先生があとを立たないのです。

ただし、楽な分、効果はほとんどありません。
むしろ特別支援教育が推進されている令和においては、害でしかありません。

人は他人から変われと言われても変わるものではありません。
自分で変わりたいと強く願い、行動にうつしてはじめて変わることができる。
子どもたちの成長を目指すなら、教師は指示命令でなく、子どもたちの自律を促す環境作りに取り組まないといけない。
指示命令を受けた子ども達に、どれくらい人間的な成長があったかを考えてみて下さい。

つまり、指示命令とは、自分が、楽するためのツールなのです。
これは教師に限ったことではありません。

親が子へ(子育て)
上司が部下へ(ビジネス)
監督が選手へ(スポーツ)
教師が児童へ(教育)

いわゆる上下関係があるものすべてにあてはまります。
そ対象とする相手を成長させるというゴールをもたずに、自分の都合や、目先の利益や目標にとらわれてしまうのです。

リーダーは組織全体のビジョンをかかげ、方向づけして組織全体の現状把握に務めないといけません。
惰性にならないよう教授はイノベーティブであることがもとめられます。

リエゾン学級経営が軌道に乗れば、教師が細かく指導しなくでも子どもたちは勝手に成長してくれます。
教師はその余裕を本来の仕事である授業準備や学級文化の浸透に振り向けられます。普段の授業で、楽しさを感じることができれば、主体的に学習に取り組めるようになり、学力も向上していきます。
また、できることが増えると自己肯定感も高まります。
いろいろなことにチャレンジしてみようという気持ちが生まれ、そこから新しい学級文化が生まれます。

人は楽しんでいると感じているとき、モチベーションは最大になり、集中力がたかまり、能力が全開になると言われています。

子どもたちには、学ぶ楽しさを実感し、困ってる人に寄り添い、周囲の人を幸せにできる人になって欲しいと願っています。

そんな子ども達を育てるためには、まずは教師が変わらないことには始まりません。

人を変えるのは難しいですが、自分が変わろと思えば人は変わります。

では、何を変えるのか_?
簡単です。
指示命令をやめればいいのです。
それだけです。

ですが、指示命令を全てやめてしまったら、当然ですが、子ども達も混乱します。
なので、必要最低限の指示命令は残します。
もう少し具体的に言うと、自分が楽するために使っていた指示命令をやめるのです。

たくさんありますが、リエゾン学級経営を阻む指示命令を3つだけ上げるとしたら以下の通りです。
①「おなじで~~す」(「いいで~~す」)
②「多数決で決めます」
③「ハンドサイン」

今回はそのうちの③を具体的に取り上げていきたいと思います。

③ハンドサイン
ハンドサインとは、授業に全員参加させたいという思いから生まれたアイデアです。
人前で発言するのは恥ずかしいとか、ちょっと自信がないという子でも気軽に挙手して自分の意見を示すことができます。
例えば、
グー:同じです
パー:違う意見です
チョキ:ちょっと付け足しの意見あります
これがよく見かけるハンドサイン。
先生によって多少アレンジしてる場合もあります。

ハンドサインをアレンジした先生がしばらくお休みになって、替わりに国語の授業をしたときのことです。

「じゃあ、今のAさんの考えに意見ある人いるかな?」
全員挙手しており、ハンドサインを指導しているのがわかります。
ちょっと似たような意見を聞きたかったので、チョキで挙手している子を指名しました。
すると、なんと
「えっ!!なんでBさんあてるの?」
「だって、チョキだったから当てたんだよ。」
「ともぞう先生ちがうよ~、チョキは意見あるけど当てないでって意味なんだよ」
なんだそのサイン?????
気を取り直して、やっぱり類似意見を引き出したかったので、次にグーで上げている子を指名。
「ともぞう先生~~なにやってるの、もう~~。グーも当てちゃだめだよ!!!」
と子ども達から大ブーイング。
なに~~~チョキも、グーも当てたらダメなんか~~い
残ったパーの子はどこにいるかな??
1人、2人、3人…あれっ?
もういない…
他の子は挙手する必要があったのでしょうか??
気になったので、子ども達に聞いてみました。
「ところでさあ、グーの人って同じって意味でしょ?」
「そうだよ」
「だったら、同じことを自分の言葉で言うこともできるでしょ?」
「そんなことC先生から言われたことないし、C先生はグーの人は絶対にあてないよ」
「そうなんだ…」

私はハンドサインが好きではありません。
なぜか?
大人になって、ハンドサインを会議の場で使っている人みたことありますか?
わざわざ同じであることを手を挙げて示す必要があるのでしょうか?
これは、多数派優位の学級経営で、同じであることを示すグーをだしていれば、自分の意見を求められることがないという、見えない同調圧力以外の何物でもありません。
手を挙げるのであれば、意見を言うべきです。
もし全員が主体的に参加することをねらっているのであれば、別の手法をとればいいだけのことです。
このハンドサインは全員参加しているように視覚的にわかるだけで、本質的には全員参加しているとは到底思えません。
もし、普段挙手して発言しない子の考えも聞きたいのであれば、ペアトークさせ、隣の子の考えを言わせるなどすればいいのです。

以上、
リエゾン学級経営を阻む指示命令の3つ目「ハンドサイン」についてでした。


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