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揺れる思い

平日、深夜二時を超えた頃。
男は決心がついた。
綺麗に片付けられた小さなテーブルの上に、
“遺書”と題されたA4のコピー用紙を置いた。
母親へと宛てた遺書は、とてもシンプルに、
「迷惑かけてすいません」と。
小さなテーブルの側に置いてあるゴミ箱には、何度も何度も書き直した遺書のゴミが、乱雑にゴミ箱に捨てられている。
部屋の電気を消して、玄関の下駄箱に立て掛けられたリュックを背負い、外へと出た。
団地の重い扉の開閉音が鳴り響く。
リュックの中には先日ホームセンターで購入したロープが入っている。
ロープは事前に、首を吊る為の結び方をしてある。
準備は万端だ。
事前にサクッと吊れる場所を調べておいた。
比較的人通りが少ない場所。
中途半端に見つけられ、失敗するのも嫌だから。
確実に吊れて、尚且つそんなに迷惑をかけないで済むであろう場所へ。
そこは昔よく同級生達と鬼ごっこをした公園だ。
『プリン公園』と呼ばれていた。
プリンの様な形をした、360℃、どこからでも滑れる滑り台がある公園。
そのプリン公園にある大きな木で吊る事に決めていた。
プリン公園に到着し、さっそくリュックからロープを取り出してセットしようとした時、
滑り台の上に誰かがいた。
暗くてよく見えやしないが、確実にいる。
そして確実にこちらを見ている。
じっと謎の時間をしばらく過ごした後、
その誰かは滑り台を滑る事なく走って降りて来た。
その勢いのまま男の元に駆け寄り、
「まだまだ冷えますな」
その誰かはぱっと見で、浮浪者だと分かった。
ボロボロの服を着て、伸び切った髪と髭。
まるで仙人の様な出立ちだ。
男は、
「はぁ……」と返事をした。
そして仙人は続けて、
「そこのね、大きな木あるでしょ?あの木にね、これつけて今日は寝よう思いますねん」
そう言って仙人は、公園のベンチの下から長いロープの様な物を引っ張り出した。
「それは?」男がそう問い掛けると、
「ハンモックですがな。ハンモック。これをあっちの木とそっちの木に吊るして寝まんねん。前々からハンモック吊るせる所探してましてな、この公園がええわ思ってね」
仙人は何だか嬉しそうに話した。
男は呆気にとられ、何だか馬鹿らしくなって仙人に言った。
「そうですか。憧れですね。手伝いましょうか?」
男がそう言うと仙人は、
「いや、自分でやりますわ。その方が楽しいでしょ?せやけどせっかくやから、僕が吊るす間話しませんか?」
仙人はそう話すと、汗をかきながら必死にハンモックを吊るし始めた。
仙人は、
「こんな時間にお兄さん何してはるん?」
男にそう問い掛けた。
男は喋った。
喋ったというよりも、語った。今まで誰にも言えなかった悩みを。
会社での上司からの陰湿なイジメの事。
昔よく遊んだ同級生と自分が原因で疎遠になってしまっている事。
会社で後輩から陰口を言われている事。
昔よく遊んだ同級生が、自ら命を絶った事。
自分はこんなにも話したい事があったのかと、自身でも驚く程に話した。
男はそして思った。
自分は、死にたかったんじゃなくて、誰かに聞いて欲しかっただけなのかも知れないと。
仙人はただ黙って聞いていた。
ハンモックも無事に吊るし終え、汗だくの仙人が男を見て言った。
「お兄さん、お先にどうぞ」
笑顔で仙人は言った。
男は、
「いいんですか?」
そう言うと仙人は食い気味に、
「ええんです。ええんです」
男は仙人に支えられながら、ハンモックに寝そべり空を眺めた。
少し曇っていたから星だって、月だってそんなに見えなかったけど、男はハンモックを楽しんだ。
『ギシギシ……。ギシギシ……』
音を立てるハンモック。
仙人は空を眺めながら言った。
「人生しんどい事ばっかりですわな。それでもなんとか、何でか知らんけど、まだ生きてますわっ」
近所迷惑に片足を突っ込む程に、高らかに仙人は笑った。
男は仙人に、
「今日本当は、ここで死ぬ予定でした」
男はそう言い、リュックからロープを取り出して仙人に見せた。
そのロープを見た仙人は、
「そのロープは捨てん方がええよ。もしなんかあったら、いつでも死んだるわ。そう思える為に置いとき。そう思えたら不思議と、人生楽しなりますわ」
また高らかに仙人は笑った。
男と仙人はそれから朝日が昇るまで喋った。仙人の今まで、そしてお互いのこれからを。
悲観的な事も交え、人生に絶望感を持ちながらも、互いに笑いながら喋った。
男は仙人に感謝を述べ、家に帰る事に。
男は仙人に、
「また会えますか?」
そう問い掛けると仙人は応えた。
「自分が明日どこにおるか分かりませんな。せやけどお互いに生きてたら、またどっかで会えますやろ。その時は……ね?」
仙人はそう言いながら、ハンモックを掴み、揺らしていた。
男は笑いながら、
「自由で良いですね。もしまた会えたら、次は僕がハンモックを吊るしますね」
そう言われた仙人は高笑いしながら、
「そらええですな。意外と疲れますから、頼みますわ」
仙人はハンモックに寝そべりながら、男に手を振った。
男も大きく手を振り返しながら、爽やかな気持ちで家に帰った。
帰る道中、あれだけの決心が簡単に揺らいだ自分がなんだか小っ恥ずかしいなと照れていた。
帰宅すると、テーブルの上の遺書を丸め、ゴミ箱に捨てた。
男はロープをリュックから取り出し、クローゼットに閉まい、会社へ行く準備を進めた。
男は決心がついた。

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