グリコのオマケ

俳句の賞はグリコのオマケ。賞を目的に、俳句を作るのは本末転倒だよ。

夏井いつき(2022)「瓢箪から人生」

夏井いつき先生、言わずと知れたプレバトでお馴染みの着物先生。
プレバトは水彩画、ストーンアート、スプレーアート等様々な芸術でタレント達が競い合う放送10年目となるTBSの人気番組。
しかし、この中でも随一と呼んでも差し支えないのが俳句のコーナー。
正直身内も前半は適当に流し見し、俳句のコーナーに切り替わるとワイヤレスイヤホンを外していそいそと食卓につく。

私自身俳句なんて中高の休暇課題のお〜いお茶に応募するものの中でしか詠んだことがない、いや、とりあえず五・七・五にさえ収まれば何でもいいという考えから季語の一つも意識したことが無いため、詠んだという言葉すら烏滸がましい。

番組のミソは夏井先生の舌鋒鋭さ、ダメなものにはきちんとダメと言いながら「こういう言い方をすれば良いのに」と赤が入ると素人ながらに「おお、確かにその方が"それ"っぽいな!」と感心するし、いいものの良さはとことん褒める。
何とも見ていて潔く清々しいものだ。まぁ一番好きなのは梅沢富美男とのバトルなんだけど。

今回のタイトルと最初に書いたフレーズは、そんな夏井先生が昨年出したエッセイ『瓢箪から人生』からの引用だ。
プレバトを見始めて数ヶ月後(そう、私は今視聴し始めてようやく1年くらいだ)図書館で予約し、自分の番が来るまで何十人分も待ち続けた。
そしてようやく今手元に置いて読んでいる状態なのだ。
しかし、序盤50ページにも満たない時点でストーリーの大変濃いこと…若い時分から長く俳句を続けられているだけあり「20代なんて若造が」だの「俳句甲子園などというイベントで外部から俳句にイチャモンをつけさせようとしている」だの言われたい放題……私が同じ立場だったらもう俳句を投げ出してしまうかもしれない程だ。
しかし夏井先生はへこたれない。縁の深い方々の手を借りたりもしながら、多くの難局を乗り越えていらっしゃるのだ。そしてその様は見るものに大変な勇気を与える。

私自身は夏井先生の偉業に勇気づけられるほどの人生イベントは正直まだない。
結婚したと思ったらあっという間に離婚してるし、10年も勤めていない会社で既に2回も休職してる、その仕事も興味が持てずロクに身が入らない……本当改めて見返すと平均点にも程遠い人生だ。

しかしだからこそ、もっと真剣に生きなければと勇気づけられるのがこの一冊。
「平均点を目指す」という行為は、思えば今までの人生における規範だった。
小学生の頃「平均点は○○点なのにあなたは●●点も低い」と言われてから自然と意識し、大学の偏差値は、職業は、異性パートナーは……と必死で平均点を探してきた。なんのために生きているのか分からなくなるような生き方。
でも最近は、認知行動理論や2回目ともなるメンタル不調のお陰で少しずつ考え方が変わってきている。「私と接してくれるような人間は普通にいないのだから、嫌な気持ちを味わってでも付き合わなければ」といった従前のような考えを改め「自分が嫌だと思う気持ちで接することは相手に対しても失礼だ、しかし嫌な気持ちもあくまで私とその人の間で生じているものだから、その点だけ伝えて別れよう」と自身の気持ちと同時に他方へ対する配慮もするようになった。
下手な我慢をすると「私が我慢してやってるんだから、お前も我慢して当然だろ」みたいな認知のゆがみ「べき思考」が始まってしまう。

今までの自分の認知にそれがあったのは多分母親の「お前みたいな劣等種こっちは生みたくなかったんだから、衣食住があるだけ感謝しろ」という幼少期からの刷り込みが影響していたかと思う。
まぁ私が人として劣っていることは最早仕方がない。劣ったまま30になり、人生に相変わらず汚点を増やし続けていて申し訳ない。とはいえ貴殿もいい大人になった我が子が自分で作ってる汚点など気にされず、いい加減ご自身の人生を歩まれよ

「平均点」という他己評価に甘えた基準に頼らず、「いま・ここ」における自身のベストを尽くさなければ、見えるものも見えてこない。
私は将来の目標なんて探している場合じゃない、小中学校時代に描いていた将来が今で、その今何も成し遂げていないという現実だけがここに横たわっているんだから。
「平均点」というオマケに頼って買い続けるグリコでなく、「いま・ここ」で自分がやらねばと感じていることにもっと没頭しなければ……。

と、夏井先生の名著は決してそのような内容でないということだけ弁解させていただき、本日の〆といたします。

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