吉田茂の虚構と今も続く米軍占領下の日本

日本は敗戦を終戦と呼んでること自体ですね。現実から目をそらしていると。まあ言われても仕方がない部分もあるように思います。安倍総理がですね。生前、特に第一次政権的に戦後レジームからの脱却ということをまあおっしゃいました。最近ですね。今は亡き阿部さんのことを思う人たちが、その安倍さんの遺志を継ぐと言うことを言われますけれども。しかし。そもそもではその戦後レジームとは何だったのかということですね。これ、どこまで定義出来ていたのかということなんです。そのスローガンとしては存在したけれども、きちんとした明確な定義として示されていたかどうかと言うと、ですね、ここはかなり怪しいものがあるわけですが、戦後レジームって何なんだろうか?一つは、憲法を改正して自衛隊を。この違憲状態から直さなきゃいけないということですね。まあ、日本国民のもう90%以上の人がですね。まあ自衛隊はあるべきだと思う。認めてるわけですよね。これ今債券と言ってもしょうがないんですけども。しかし、今の憲法をそのとうりに読んだら意見なんじゃないかと思われても仕方がないと。だから、少なくともこの自衛隊違憲論は速さなきゃいけないと。まあゆう議論あったわけですか?あべさんは最後の方でですね。憲法九条の改正にあたってはまあかけるっていうですね。これもはっきり言って公明党に必要と忖度した考えを出されてきましたが、まあそれも実現できなかったとまあいうことなわけです。じゃあ、憲法を改正して自衛隊を。実は一度も独立してないってことなんですね。11年にサンフランシスコ講和条約平和条約に調印して52年に発行ということで、1952年を持ってですね。日本は主権を回復して独立したということになってるわけなんですね。そして、その道を開いた日本のこの戦後の道を開いたのは吉田茂であって、この吉田茂はですね、果敢にですね。マッカーサーやghqと対等に渡り合って戦争では負けたが、外交でわかった。そして戦後の日本の復興と繁栄に道を開いた偉大な総理大臣ということになっているわけなんですが。まあそれ全部嘘なわけですよね。まあそれ自体は完全な嘘。虚構まやかしであって、で、なんでそんなストーリーが?作られて存在して信じられてきたのか、それはその方が統治するのに便利だからですね。その辺の話をしたいと思うわけなんですけれども、まず吉田茂がですね。この英語は堪能で、非常に豪胆で胆力があって、マッカーサーやghqと対等に渡り合って交渉したかといったら、まあそれはまった**ういうことはないんですね。むしろその逆。これは伊藤貫先生がご自身が直接聞いた話としてお話しされていますが、実はマッカーサーですね。東証吉田茂とサシで話をしようとしたっていうのは、吉田茂が駐英大使を務めていた経験があるわけですね。ところが話し始めたら何言ってるのか全くわからないので、慌てて通訳を読んだと。いうエピソードがあるそうなんですね。実はその英語は得意ではなかったと言うことがあるわけなんです。そして対等に渡り合ってじゃなくて、これはもう全部言うことをきいたのが吉田茂だったわけなんですよね。で、実際に戦った人というのは、これはこのアメリカ側からみたら非常にこのまま邪魔な存在ですから。歴史の外に片隅に追いやられてしまって、半ば忘れられてしまう断片的な記憶しか残らないようになってしまっているわけなんです。でその一人がこの重光衛さんですね。まあ、この人は戦前、戦中、戦後と外交官、そして外務大臣を務めて、戦前は戦争回避に努力をし、戦中はこの日本の戦争に大義を与える努力をし、また終戦を希望。そして戦後はですね日本の自立独立のために文字どうりですね。粉骨砕身、努力した人だったわけです。で、その象徴的な出来事というのがありまして、この成道さんといえば、世界が本当はこの日が終戦だと思っている。9月2日ですね。東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリ号の甲板上で。この現実さんが日本全県として首相じゃなくて、外務大臣が日本全県としてですね。交付文書に調印すると言うことがありました。それをやった人として記憶はされているんですが、それ以外のことはもうほぼほぼ忘れられてしまっているわけなんですね。ところが、一つ重大な事件がその直後に起きました。その調印をした後ですね。直後にですね。GHQから連絡が入ります。これ9月3日思って軍政を敷くという興奮する日本国民に告ぐ交付をするというんですね。で、これはこのマッカーサーがですね。頂点に立って日本の政府を完全に解体する手法を立法行政、これも全部廃止して。一回ももちろん敗者ですね。そして軍が直接統治をする軍政を敷くと言うようにゆってくるわけです。で、そうなりますと当面、公用語は英語。そして日本円は廃止。アメリカが発行する軍票のようなものでだいたいする。そして桜ったら軍法会議にかけてですね。懲罰するということを言ってくるわけです。これを見てですね。日本側、本当に驚いてしまうわけですね。なぜならば、それは明確に国際法違反であり、まあポツダム宣言違反でもある。でそちらの宣言には日本に責任ある政府が出来た場合には、ですね、占領軍が速やかに対処すると言うことがハッキリと描かれているわけであって、例えば降伏しても日本の主権自体は奪わないというのがまあ条件だったわけですね。それで、だから無条件降服じゃなくて、そういう条件があったわけなんですが。まあ、それをですね。このマッカーサーとGHQは完璧に無視して、もう軍政を敷くと通告してきたわけです。で、これに対して重光外相が毛束マッカーサーに直談判してですね。それは完全にポツダム宣言違反であると、ドイツの場合は完全にあのナチス政権が崩壊してですね。政府機能を失ってしまうわけですね。しかし日本はそうではない。Sn昨日は存在している。そして天皇陛下はですね、このポツダム宣言の受諾と、この実行を真摯に行うという覚悟でおられるし、またこの修正にむけての努力ということを大変に行われたと。それに対してこのような蛮行を振るうのであれば。日本国民も黙っていることはできないだろうと、これは極めてこの同期に反することだと真っ向から抗議するわけです。それに対してマッカーサーはなるほど確かにわかったと、じゃあこれは撤回しようとと応じるわけですね。そして重光大臣、今後何かあったらいつでも私に会いに来て欲しいと。そういったと言うわけなんです。ですから、やはり真っ正面から堂々とですね。正論掲げてこの議論してくる相手には、やはりこう一定の敬意を払うということなわけなんですね。ですから、この重光さんっていう人は、実はこのマッカーサーにも、そしてまたイギリスのチャーチルにも非常にこの尊敬されていた。だから、彼がこの戦犯に問われることはないと栄光は平和のために戦争回避に努力した人物であり、この先輩にあらずと言うことは、実はその連合国側からですね。何度も来るわけなんですね。しかし、それでもをこの重光さんは先輩に取られてしまう。その東京裁判改定の前日に逮捕されてです。巣鴨プリズンに入れられてしまうんです。その理由はソ連だったんですね。このまあ、重光さんがこのロシアソ連に赴任した時に、この満州との国境線をめぐって国境紛争が起きるんですけども、その時にこの辣腕を振るって日本側に万舟があることなんですが、まあ有利な解決をする。それでソ連の恨みを買ってですね。ソ連がですね。栄光を先輩にしないのなら。この裁判そのものにソ連は参加しないと恫喝してきて、キーナン検事かやむを得ず栄光を戦犯として含めることにしたと言う経緯があるわけです。しかし、そこでまあめげずにですね。まあ大変過酷な扱いを受けるんですけれども、この巣鴨プリズンの苛烈な環境下で、この日記を書き続け、ほかの。東條英機を始めとする戦犯たちの様子です。とか、アメリカ側の対応ですとか、まあ、そういったものをまあ事細かに書き遺したのがこの巣鴨という。まあ、第一級の資料になるわけです。これに私が解説を加えております。まあ、その解説はこの栄光という人物がどういう人物であって、そして何よりも。大事なことは、今の日本に必要なのはこの栄光の様な人だということなんですね。本当に日本の国益のために尽力し、その姿勢eweに敵国からも尊敬された。それが今の日本に一番大事な必要な人物なわけなんです。でもし、その時、重光がしっかりと対応して反論しなかったらですね。そのまま軍支援が敷かれていたらどうなっていたか?これはもう、日本はですね。フィリピンのようなと言ったら、これ、フィリピンに失礼になっちゃうんですけれども、我々みんななんか変な英語を喋ってですね。日本円ももしかしたらなくてですね。もう完全な植民地化されて、まあ民族性も変わってしまうというですね、いう状況に陥ったんじゃないかと思います。そのことは京都大学の中西輝政教授が。おっしゃってますね。もしあの時、重光が抵抗しなかったら、日本人のこの民族性に影響を与える程のですね。まあ、ネガティブな変化を引き起こしただろうと言うふうな趣旨のこと。おっしゃったそのとうりだと思います。しかし、占領政策にとって、この重光さんっていう人は非常に邪魔なわけです。なぜかと言うともうとにかく一日も早く独立しよう。一日も早く独立で対等な関係をアメリカと結ぼうという方向で尽力するわけです。これというのは?いわゆる吉田ドクトリン吉田路線と真っ向から対決する。考え方なんですね。吉田の考え方は真逆なんです。吉田はひたすらマッカーサーに平身低頭してghqのゆうとうりに動いた人間だから長期政権。だから、あたかも日本の戦後を創った偉大な総理であるというようなストーリーラインで語られる人なんですね。ここを我々はよく認識しなきゃいけないわけなんですよ。で例えばですねえ。いくつかのちょっとまあエピソードをご紹介しますと染料の初期というのはGHQはですね、もうやっとこいつらこうふくさせたともう二度と立ち直れないようにしてやろうと思って、どんどん弱体化してやろう。武装解除してやろうというふうに思うわけですね。指摘されているように、この占領軍側、アメリカ政府側にもですね、かなり共産主義者がいる。読んでいて、まあその影響が強く出たと言うことが指摘されています。例えば、フランクフルト学派と言われる共産主義系の人たちも入り込んでいたということも指摘されてますが、いずれにしてもこの占領の初期というのは日本弱体化ということが主眼なわけですね。ところが一緒に戦ったはずのソ連がですね。やはりこれはもう適当ならざるを得ないと言うことで。共産主義勢力との戦いということが現実的な課題になってしまう。そして、朝鮮半島で戦争がどうもこれは避けられないんじゃないかということになってくるわけですね。で、そこでアメリカも日本統治の方針を変えざるを得なくなる。これ、ちょっとまずいと高齢日本がそんな弱体化している状態じゃ、まずいから、逆に日本をそれなりに自立させないといかんと。方針転換するわけです。で、そこでダレス国務長官がですね。これは1950年の6月なんて朝鮮戦争が勃発する。たった3日前に来日してですね。そして吉田に対して再武装再軍備するようにと、ちゃんと軍隊をもって自立する方向へ行くようにと言うことを言うんですね。しかし、この吉田茂という人は。再軍備ということをものすごく嫌うんですね。重光とかですね。当時の鳩山一郎ですとか。は最後にそうもちろんしなきゃいけないっていうのは危ないからです。これアメリカに戦争で負けました抽選になりました。ところがですね。まだいつ戦争画そばで起こるか分からないこれ今度ソ連という存在がある中国も共産主義なっちゃった。非常に危ないで日本空っぽだと今米軍がいるけれどもこれ、米軍が撤退したらこれどうなるんだと。これは危ないと、やっぱりにちゃんと軍備してですね。自立しないとヤバいじゃないかっていうのがまあ、当時の心ある。まあ、政治家およびまた国民感情でもあったわけなんです。実はね、国民も当時のオーク過半数は再軍備すべきじゃないかというふうに考えていたと言うふうに、これは言われてるわけなんですね。しかし。吉田はとことんそれを拒否するんですよね。これでダレス国務長官びっくりしてしまいます。なぜかというと、実は吉田はアメリカに勅使を送ってですね。なんとマッカーサーの頭越しんですね。米軍の駐留を継続してくれと延長してくれと言うロビンをするんですね。で、なんでそういうことするかというと、米軍がいなくなっちゃったら危ないからです。空白なったら。でマッカーサーはですね。当時、その非常に理想主義的な発想を持っていて、この日本の防衛は国連軍がやるべきだと国連軍を作って、その国連軍が防衛すればいい。日本自身は軍備も持たなくていいんだとそういう発想。それだから憲法九条に反映されてくるということなんですけれども、当初マッカーサーは日本側が。GHQ側が望むような憲法草案できないのですね。イラついてですね。この松本城事案という日本製不安を速攻で却下しまして、マッカーサーnoteというですね三つのポイント皇室の存続と封建制の廃止と、それから戦争放棄とこの三つを書き留めて、民生局のスタッフにこれで。お前たち憲法草案しろと言うふうに命令する。そこから始まってるわけなんですけど、その発想の背後にはもう日本は徹底的に武装解除して自衛のための兵器も持たせない。軍隊を持たせないし、国連がやればいいんだと思った。しかし、言われた側ですね。実はこれ、昭和天皇も非常に心配した。何しろ国連って言ったって。四国連合ですから、もちろんね、日本人なんか国連崇拝してますけども、ご存知のとうりあれ?戦勝国連合で戦時中から存在してるわけですから、そこの国連軍に任せるって言って、その国連がどうなるかこれわかったもんじゃないですし、一方でソ連とかの脅威が高まっていて。で米軍がもし撤退しちゃったらやばいじゃないかとこれ実は昭和天皇も焦る昭和天皇マッカーサーに。ここはあのアングロサクソン代表のアメリカにリーダーシップをとってほしいなんて言う申し入れをしたと吉田もですね。米軍に駐留継続してほしいとロビー活動するということは現状のままでは日本は非常に危ないということを認識しているわけですから。ですから、ダレスにとってみれば、吉田は当然、この再軍備に賛成するだろうと当然思うわけですね。それでじゃあ吉田君?さっそく作業したいと言ったら、それをしたくありません。いやどういうこと?いや、憲法九条ありますか?えだけど危ないから米軍に行ってくれって言ったじゃないの?いや、そうですけど、憲法九条もあるし、国民感情も再軍備に反対しておりますので、まあそれ嘘ですけど、だからサインできません。ええと言ってですね。で、そのときの心情をダレスこの長官は、まるで不思議の国のアリスになったよーだったと言う風に述懐しております。びっくりしたんですね。で、そのように吉田はひたすらこのですね日本の再軍備ということは拒否るわけです。しかし、朝鮮戦争の処分に発生してしまいます。この実は日本人が思っていたよりもはるかに。この巨大な戦争だったわけなんですね。もう悲惨な戦争です。韓国人もものすごい人数死ぬんですね。民間人もなので誰々さんまた戻ってきます。半年後に朝鮮戦争始まってますから。吉田君、これ、もう本当に日本はきちんと再軍備しないとその米軍、まあ朝鮮戦争にされてますから、これは再軍備しなきゃいけないよと言うで、そうすると。日本経済もこのまあ朝鮮特需を受けてまあ回復傾向にあり、いつまでも当時の常識として必要。当時の常識として独立するであれば、これは当然、自分たちの軍隊を持たなきゃいけないことは常識だったわけですよ。当然の常識として打率に採用されるどこにでも断れないですね。当たり前のこととして。だって僕たち嫌だって言ったってしょうがないわけですからで分かった。じゃあ作ります。まず5万人規模の軍隊を発足させますと約束するんですね。約束するんですが、誰に対してもマッカーサーに対してもちょっと秘密にしてください。ちょっと待ってください。ちょっと国民感情もありますが、ちょっとこうやってからやりますからということで、そのマッカーサー。良かったと言って黙ってる。そんなこと知ってるのはよしだと側近の数人だけということをいいことに、吉田はその約束を反故にしてしまうんです。とことんやらない。そしてまあ、さっき冒頭に話した。1951年サンフランシスコ講和条約いよいよ結ぼうということにこれなります。そして52年、晴れて独立したはずなんですが、そう、我々歴史で教わってるんですが、ところがサンフランシスコ講和条約等は別にですね。これが。動員されたこのまあ、華やかなとまあまあオペラハウスのようなものがあるんですけれども、そこは別にこのサンフランシスコのブリッジのたもとの方にですね。プレシディオというこの地域があってですね。ご軍事施設があって、そこにまあ価値観用の宿舎、まあ、古い価値観用の宿舎があるわけです。そこに吉田はその側近ひとりイケダハヤトだけを連れて行って。ある条約に自分ひとりで承認するんですよ。それは何かというと、日米安保条約なんです。で、この日米安保条約というのは、まさに吉田が望むように。米軍の無期限の日本への駐留を依頼するものなんです。だから、これは自主的に米軍占領政策継続以来条約なんですけど、日本側から望んだことになってるんですね。


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