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#講義録・番外編)心技体は誤りだったという話

ちょっとショックなこと。
でも、よくよく考えると当たり前に思うこと。
フォロワーさんの投稿を読んで、(SNSに惑わさちゃいけないのを差し引いても)体感として腑に落ちたので綴ります。


はじめに體(からだ)ありき

それは、趣味の社交ダンスでもそうでした。
「海外のトッププロのレッスンを受けたとき、最初は全然組んでくれなかった」と言うコーチャーがいました。

これは何を意味しているのでしょうか?
ひと言で表せば【体ができていないうちは技術を教えてもムダ】

同じことを習っても、すぐにできる人とできない人がいます。
同じことを教えたのに、身につく人と身につかない人がいます。
手技療法の世界でも、同様のことを数多くみてきました。そして、私自身もそうでした(もちろん、覚えのよくないほうで)

「はじめに體(からだ)ありき」
このことは、手技療法に限らず身体を使うスポーツや日舞、茶道など芸事すべてに当てはまると思っています。

技術を身につけるには、それ以前に相応の體ができていなくてはならないということです。

しかし、現実はちょっと異なります。
體ができるまで学習者は待ちきれません。
はやくいろんな技を身につけたい。師匠と同じ領域にたどり着きたい。…その焦りにも似た探求心をどうやって埋めていけばよいのでしょうか。

学習者が「なんだ、やっぱりできないじゃん」と匙を投げ出す前に、指導者は粗削りでも體のつくり方と最低限の基本操作を示す必要があると考えます。
そして辛抱強く、信じて待つ。そのために何が必要かを記しておきます。

心・技・体の順は誤りだった?

心技体という言葉があります。
白地の剣道の手ぬぐいに黒や紺色で描かれている、あの文字です。

心と技と体。
これらを磨いていくことで、その道を極めるという意味があります。英語で言えばメンタル、テクニカル、フィジカルの3つに当てはまるでしょう。
そして心、技、体が整ったときに初めて無の境地を感じることができるとされています。
この3つを揃えるには、どの順番から会得すればよいのでしょうか。

文字通りに描かれている順序ではないことに気付かされました。
古来日本の武道や芸事は、型から入って型を身につけ、型を超えることを旨として伝授されてきました。
そう考えると型=技を身につけるのが最初と私は長年の間、思ってきました。

否、技は2番目。
まずは技を扱えるための體が必要になります。そのため身体(ここでは一般的なからだ)を體(専門的な身体操作ができる状態)に仕上げるための型を行うことが必要と考えています。

高層ビルを建てるためには基礎を深く掘り、地盤を盤石にする必要があります。
野球であれば、バットを握って素振りの練習をするのと並行して筋トレやランニングで基礎体力をつけるでしょう。
スポーツの世界では、体が資本というのは常識として理解されています。送球や盗塁がうまくできるのも、ボールを遠くに投げられる肩や体幹の筋肉、走るという足腰の力があってこそです。

フィジカルが勝るものが勝負に勝つ。
大谷翔平が食事や睡眠にこだわり続けるのも、マウンドのうえにすべてを賭けているからこそだと思います。

そう考えると、いきなり盗塁の仕方を教えたり、練習試合を始めたりしないですよね。指圧やマッサージを身につける、教える場面ではどうなの?と思ってしまいます。
かつての私自身もいきなり押したり、技を教えたり…してきました。でも、そうじゃなかったと気づきました。

現代はSNS花盛り。
【◯◯するだけで治ります】みたいなテクニックを話しているYouTube動画は腐るほど出てきます。それを見るたびに(そんなものじゃないよね~)と心のなかでつぶやいていました。
その違和感が何だったのか、腑に落ちたのです。

極論ですが【体ができていないうちは技術を教えてもムダ】

言葉の言いやすさから「心・技・体」と体が最後に来ているけれど、本来は「体・技・心」の順に養っていくものと思います。

料理に例えれば、気がつくはずです。
まずは材料あつめから。
カレーを作るなら、人参、玉ねぎ、ジャガイモ、豚肉、そしてカレー粉。
基本の材料が揃っていないと【いわゆるカレー】からは遠ざかります。

「このカレー、肉入ってないよ」
カレー屋で注文して野菜だけだったら、きっとそう言うでしょう。
カレー粉が無いのは論外、もはやカレーではなくなってしまいます。

最初に體をつくるには

體、技、心の順に磨いていくのであれば、まずは體をつくる練習をしなくてはなりません。
スーパーでカレーの材料を買い揃えるように、手技療法を行うための體をつくることから始めたいと思います。もちろん、最低限の基本操作も並行して身につけながら、です。

専門学校の教育期間は3年間。
その間に(はり、きゅう、徒手療法)を身につけるのであれば、道具を使わない徒手療法は必然、體をつくることに重きをおくことになります。
以前の記事で3年間という時間のなかでコレをやっておくべき、という内容を書きました。

その考え方に準じると、最初の半年〜1年は手順(基本操作)を覚えること。
並行してその間に體をつくること。ここまでが徒手療法の基礎になると考えます。

2年生になってからは技術的な深みや施術の組み立て=技について知ること。最後に治癒が起こるための考え方=心について学ぶことができたら最高だと思います。

しかし現実に立ちはだかるのは、授業時間が限られていることに尽きます。
授業という場では【切り身】しか示せず、施術の全体を提示できないという前提がどうしても存在しています。

それならば、貴重な時間を體をつくることに重きを置くのも教育上の一つの方法論です。かつて私が師事していた指圧の先生は、その奥義を【脱力すること】して伝えていました。それって、體=フィジカルですよね。

體が仕上がると身体感覚が養われて、その先に自分で自分を修正できるようになります。

(今日はちょっと調子悪いな)
そう思ったときに、自分で自分の動きを修正できることも仕事として長きにわたり手技療法を続けていくために必要なことだと思っています。

徒手療法のための體のつくり方

身体を体幹、上肢、下肢と大きく3つのパートに分けます。
それぞれに何をどのようにトレーニングしたらよいか、最後にいくつかを紹介します。

安定した手指をつくるために

マッサージや指圧の仕事をしていて、手指を痛めてしまったら仕事になりません。
ここで肝心なのは【関節だけでは体重を支え切れない】ということです。
関節を支えているのは靱帯や関節包なので、意識して鍛えられる部位ではありません。

親指を痛めてしまうからという理由で肘を使うことを良しとする傾向もありますが、そもそも肘では触れている場所の反応を捉えられないし、ピンポイントで刺激するには精度も低くなります。肘での刺激は、ただ単に大脳が(押されている)ことを感じるだけの刺激です。

とくに指圧をするのであれば、親指を支えるため母指球筋を安定させることが必要です。
手の内在筋と検索すれば、いくつかの筋肉の名前が挙がります。足底に体重を支えるための足底筋群があるように、母指(親指)で押圧するには手の内在筋を意識して使うことが必須です。

体幹と下肢の安定を図るために

【体重を乗せなさい】と言われます。
それは本当でしょうか?

…そう書くとこのあとの流れとしては【体重は乗せちゃダメだよね】という文脈になります。
その通り、相手の体表の一点に施術者の体重を乗せてはいけません。

ならば、なぜ体重移動をするでしょうか。
たしかに押す行為は体幹を預けるように見えますが、それは押すことによる(反作用を受け止めている)ことと同義です。言い換えると、自分で自分の体重を支えることが重要になります。

体重移動は
・押圧部位と自分の体幹に適切な間合いを取ること
・押すことによる反作用を体幹で受け止めること
この2つを行うには、施術者は自分で自分の体重を支える必要があります。

相手にもたれかかっていてはバランスが崩れてしまうし、そもそも押圧のコントロールはできません。相手に押圧刺激を与えることは、反作用の圧をどうやって受け止めるかとイコールと考えます。
そのために体重移動をコントロールできる必要があるし、それが下肢と体幹の體をつくることになります。

とにかく徒手療法を始めてしばらくの間は、技術を求める前に(または並行して)體をつくりましょう、ということです。
この記事で伝えたいことは、そういうことです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。


physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。