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なにも知らないまま訪問マッサージの現場に飛び込んで精神的に凹んだ話 Ep 3.1

10年近く務めた専門学校を辞めて現場に出てみると、そこには広い世界が待っていました。

やっかいな自分に向き合う

井の中の蛙大海を知らず、とはよく言ったものです。
学校というハコの中で過ごしてきた10年間で、得たものもあれば気づかずに見過ごしていたものもあります。
とはいえ、マッサージ師の免許を取ったあと、多くの卒業生が進むのは教育の道ではなく臨床現場です。

「一人の施術者として、資格を取ったあとはこういうことを体験するんだ」

この言葉を何度繰り返したことでしょう。
見ること聞くこと、すべてが学校では知り得なかったことばかりです。
いやむしろ、学校というハコの中にいて学べること、教えられることの限界を目の当たりにした、と言うべきです。

そして、教壇に立っていたというやっかいな自尊心が当時の私の心を占めていました。
現場では当たり前のことを知らないまま教壇に立っていたことを恥じる気持ちと、これまでの自分を形成していた教員としてのアイデンティティが崩れていくことの両者のために、完全に自分を見失っている状態でした。

そこで思い出したのは、高校生の頃に読んだ『山月記』です。

山月記の主人公は、そのプライドの高さゆえついには虎になってしまいます。
「あぁ、これは俺のことだ」
多感な時期に小説を読んでそう思い、そして人生の節目で私自身がその境遇に身を置いていることに因縁すら感じました。

ともあれ、ごはんを食べていくには働かなくてはなりません。
知人の紹介で訪問マッサージの仕事を始めることになります。

訪問マッサージという立ち位置

マッサージを必要とする高齢者はどれくらいいるのでしょうか?
ここでいう「マッサージ」とは、日頃の疲れが溜まったときに受ける揉みほぐしのことではありません。

「訪問マッサージの仕事をしています」と言っても、ほとんどの方は「?」が浮かぶことでしょう。
介護やリハビリを必要とする高齢者に行うマッサージ(およびリハビリ)と言い換えるほうが分かりやすいと思います。

しかし、当初からそのような大局的なものの見方ができたわけではありません。また、そのようなことを教えてくれる機会もありませんでした。

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鍼灸マッサージ業界の一部では、「どうぞ先生のやり方でやってください」という言い方で、現場に出るための教育を十分に行わないまま初心者マークを付けて間もない施術者を現場に送り込んでいるところもあります。
これが店舗を構えている治療院であれば、すぐ隣にいる先輩が新人を指導することもあるでしょう。

訪問マッサージはアウェイな職場環境

訪問マッサージでは、基本的に施術者はひとりで高齢者のご自宅や施設を訪れるため、患者さんを前にして指導を受ける機会はほぼありません。「何も知らないまま」だったら、どんなに心細いことでしょう。

当時の私は、そのような状況でした。
施設に入っている高齢者のなかには、日中のほとんどを車いすの上で、もしくは介護ベッドの上で寝たきりのまま過ごしている方もいます。
そのような方々にどんなマッサージをしたらよいのでしょうか。

肩を押して「気持ちいいね」、腰を揉んで「楽になったよ」
そのような言葉を聞くことができればまだ、いいほうです。
なかには喋ることができない患者さんもいます。
認知症のため、コミュニケーションが取れない方もいます。

訪問マッサージという初めての仕事をしながらも、私は何をしているんだろうという気持ちは日に日に増すばかりです。
患者さんのためになっているのかと問われれば、その手応えは薄く、何の価値も提供できていない自分がただいるだけでした。

このままでは自分が潰れてしまうという気持ちと、生活上の理由から、次の環境へ身を移すことになります。


physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。