noteを書いて気づいたこと
7月17日から今のアカウントでnoteを書き始めて今日で7日目に。note生活1週間で気づいたことを書き記します。
◆書く前に、意図を読む
わたしはこれまでにも何度か別名でnoteを書いていました。その中には #ヨーグルトのある食卓 をテーマにしたコンテストで審査員特別賞をいただいたものも。
文章に対する賞としては、小学生の頃から読書感想文を書けばたいてい何かしらの賞をコンクールでいただいていたのですが、この時人生で初めて自分の文章で賞金(3万円)をいただき、それはもう感動&感激しまくりでした!
読書感想文コンクールにしても、コンテストにしても、賞を取るつもりで文章を書くなら絶対にぶれてはいけないことがあります。それは、
書く前に、”意図”を読む。
ということ。なぜその本が読書感想文コンクールの課題作品に選ばれたのか?その本で作者が一番伝えたいことは何か?コンクールの主催者は読み手にどんな読了感を期待しているのか?そのコンテストを通して企画者が意図する想いは何か?そういったことを確実につかむのが大前提だとわたしはとらえています。
たとえば#ヨーグルトのある食卓 をテーマにしたコンテストであれば、題材が文章であれ写真であれレシピであれ、そのnoteを読んだ人にヨーグルトのある食卓の豊かさや楽しさ、意義などが伝わることがマストです。そして、その食卓にあるのがほかならぬ「ヨーグルトである」必然性があった方がいい。ほかのものでも代用できる話であれば、「ヨーグルトじゃなくてもいい食卓」になってしまいます。「ヨーグルトならでは」「ヨーグルトだからこそ」ということを意識し、ヨーグルトの魅力について盛り込むことにしました。
◆読み手が”誰”なのか?を意識する
もう一つ、大事なことがあります。それは
読み手が”誰”なのか?を意識する。
このコンテストにエントリーすると決めた時、わたしは最初から審査員特別賞を狙っていました。「スキ」の数が左右するであろう大賞を取ることは、フォロワーが10人にも満たないわたしにはおそらく無理だ思ったのです。
だったら、より多くの方にいいと思われる文章ではなく、審査員の中の誰かに激しく刺さる文章を書こう。その方に、わたしの想いが届くように。なので、この時のわたしはほかの誰でもない、審査員の方に向けてこの文章を書きました。といっても直接面識のある方がいたわけではないし、むしろそれぞれがどんな方かということをほぼ知らない状態でした。
でも確実にわかっていたのは、『コンテストの主旨や意図を理解した上で、審査をする方々』ということ。だから、書き手が主旨や意図を理解していない文章は確実にはじかれる→そこをきちんとおさえていれば、受賞対象から外れることはないと考えました。さらに、ほかのコンテストに比べて圧倒的にエントリー数が少なかったので、これはチャンスだと感じたのです。
また、主催者である明治ブルガリアヨーグルトの関係者の方が読まれた時に、純粋に嬉しいと思ってもらえたらいいなって思いました。
そして、大学時代の彼とのエピソードを書きました。仕上げるまでに何度も何度も表現を手直ししていますが、基本軸は実話です。それを書きながら、彼との束の間の交際はこのエピソードを得られただけで十分だったのだという気づきにもつながって、昔の恋がきちんと成仏したような想いにまでもなりました。
でもこの後さらに重要なことがあります。
◆読んでほしい方の目にふれさせる
いくら会心の一撃みたいな文章が出来上がったとしても、それが実際に審査員の目にふれなければ絶対に受賞することはできません。当たり前のことではあるけれど
きちんとエントリーする。
実はこれこそ絶対に外してはいけない大・大・大前提で。読書感想文のコンクールでも、#ヨーグルトのある食卓 のコンテストでも、応募条件をきちんと満たした上できちんとエントリーしなくてはいけません。読んでほしい方の目にふれさせるためには、そのステージに乗らないといけないのです。
どうせ無理だろうな、とか、やっぱりエントリーしなくてもいいや、とか、エントリーするつもりだったのに毎日忙しくて〆切に間に合わなかった、などなど自分が行動を起こさなかったら、もしかしたら受賞したかもしれないあなたの作品は日の目を見ることができません。
◆文章を書く上でのゴールは?
わたしはそんなふうに、先にお題があって、そのお題に明確な意図があって、それを踏まえた上で確実に全文を読んでくれる方がいるような時に文章を書くのが得意です。なぜなら、
文章を書く上でのゴールが決まっているから。
ゴールが明確に見えているからこそ、そこに向かってシュートを打つことができます。読み手というターゲットと、得点基準もはっきりしているんですものね。
ひるがえって、今noteにまとめていっている”空想SHOW説”はどうか?これ、もともと完全に自己満足の世界でスタートしています。だから、メインターゲットは”わたし自身”。書いているわたしの気持ちが満たされればそれでOK。
でも、Twitterやインスタに毎日投稿しているうちに気持ちの変化が生まれ、丸一年で完結する連続ストーリーにしようと思いました。そしてnoteにまとめていくことにしたのですが、そうなった時にこのSHOW説の読み手がnoteの中では不明瞭=ターゲットが見えないことに気づきました。
ゴールの1つとしては「丸一年で完結する」ということが挙げられますが、このSHOW説をnoteで一年間続けていく上で、どんな方に読者になっていただいて、その方々に何をお伝えしていくのか?ターゲットやコンセプトが決まっていないんですね・・・。
◆わたしにとって一番大切な読者さん
もともと完全に自己満足の世界でスタートした空想SHOW説ですが、わたし以外にもう一人、とても意識して大切にしている読者さんがいます。それは、空想SHOW説の登場人物である、デコレという会社のコンコンブルシリーズのまったりマスコットをデザインしているYuka Saji(サジ ユウカ)さん。
サジさんがデザインされるまったりマスコットたちがそれはもうチャーミングで魅力的だからこそ、空想が楽しく広がっていくわけで。サジさんの思い描かれるまったりマスコットたちの世界観を崩すことなく、それぞれのキャラクターの個性を活かした設定をしながら物語を展開させていきたい。そして、わたしの空想SHOW説を通して、サジさんのコンコンブルワールドを愛する仲間も増えてほしい。この想いは揺るがないものです。
空想茶屋|だるま笑店はいわば、空想SHOW説というスタイルで綴るサジさんへのラブレターであり、コンコンブルワールドを愛する仲間との接点でもあってほしい。なので、Twitterもインスタも必ず#コンコンブル というタグをつけて目印にしています。
そしてTwitterとインスタ、どちらにもサジさんに「いいね」していただいていて、コンコンブルファンの方々とのつながりも増えていっています。でも、noteの中での読者さん像は・・・?それがまだ見えないのです。
◆何のために、noteを使うのか?
そもそも、どうして空想SHOW説をnoteにまとめていこうと思ったのか?それは物語の連続性を大切にしたかったからです。
140字制限のTwitterでは多くを語れない。写真がメインのインスタでは物語を読み込みにくい。ブログだとほかの方との接点がわたしにとっては作りにくい。一定の長さの文章を連続して読み込む上で、noteは比較的見やすいんじゃないかなあと思っていました。「スキ」やフォローやコメントだったり、各種バッジだったり、お題もあったりとモチベーションを保ちやすいこともあって。
でもこの空想SHOW説はnoteの中でターゲットを探すというよりは、Twitterやインスタをきっかけにだるま茶屋のことを知ってくださった方がストーリーをまとめて読みたいと思ってくださった時用のものでもいいのかもしれません。noteの中だけで考える必要はないんですものね。
◆スタート地点から見えるゴールと、見えないゴール
思うに、100m走であればゴールはスタート地点からも見えます。でも、42.195㎞を走るマラソンの場合、ゴールを目にするのはその直前です。
丸一年連続SHOW説を書こうとしているわたしにとって、目指すゴールの方向性はあってもゴールそのものが今クリアーに見えていないことに対して、不安を抱く必要はないのだと思います。
なんとなくの直感なのですが、この空想SHOW説はきちんと1年継続していくことによっていろんな価値が明確になるのではないかと。7月7日にOPENして今日で17日目のだるま笑店。完結予定の来年7月7日まで約350日あります。これまでの17日間でも自分の中で新しい可能性や方向性が生まれていて、スタート時点では思いもよらなかったことが起きていくように思うのです。
明確なゴールも実際に走るコースも決まっていない状態でのスタートですが、だからこそ楽しめるプロセスや成長があることでしょう。
◆わからないからこそ、楽しい。
今後どんなふうに空想SHOW説が展開していくのか、そしてそのプロセスにおいてわたし自身にどんな変化が起こっていくのか。現時点でわからないということが、とても楽しいです。それは今このnoteを書いた結果得られた想いです。
わからないから、悩む。わからないから、考える。
もともと形や答えがないものに対して自分でそれを見出していくことの楽しさ。それがクリエイティビティーなんじゃないかなって今思いました。
◆書くことは、自分と向き合うこと
書くという行為は、まぎれもなく自分自身と向き合う行為です。書いていくうちに、普段は意識していないけど漠然と抱いていた疑問と向き合えたり、いつのまにかあきらめていた感情に気づけたり。いろんなことが起きます。でもそれって、ある一定の量や数を書かないと起こらないんですよね。
TwitterにはTwitterの、インスタにはインスタの醍醐味があるけれど、文章を書く楽しさや意義においては、断然noteから得られることが多いなあと実感します。ああ、noteで良かった!これからも今はまだ見えていないゴールに向かって空想SHOW説を書き続けていきます。下記のマガジンにまとめていっていますよー↓
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