「移住施策」に感じる違和感

私は移住者だ。

3年前に東京から和歌山県に移住してきた。
移住願望はほぼゼロだった。まさか自分が移住者になろうとは考えもしてなかった。だけど最初に和歌山県を訪れてから1年ほどで移住した。

移住者だから、移住のイベントにも呼ばれる。もちろん協力する。移住を促進すること自体は悪いことではないと思う。いろんな生き方が認められる時代において、選択肢が広がることは良いことだと思う。

でも気になることがある。それは移住の施策が「PR」に偏っている、ということ。

住み良い街、魅力的な街であれば、自ずと住む人は増えることだろう。
一番大事なのは住み良いまちづくりだと思う。そのビジョンがしっかりとしていれば、それだけで住みたい町になる。

そして、それを「何らかの形で発信する」。
それが何よりの基本だと思う。知らなきゃ話にならんから。

和歌山県の太地町という町がある。
移住の施策は特に行っていない。
「国民年金だけで暮らせる町」を目指す、という明確なビジョンがある。そして実際に現実になってきている。感動する。
これを知れば「住みたい!」と思う人は必ずいる。
私だって惹かれる。今の場所を移動するつもりはないけれど、もし次に住むなら「太地町」かも知れない。
それで良い。それ以上でもそれ以下でもない。
太地町はまだ発信してないけど、その気になったら強いだろうな、と思う。

***

現実によく行われている施策は、たった一人の移住者やキラキラと輝いて見える人を取り上げて、「素敵でしょう?」

もしくは、美味しいものあります!病院あります!学校あります!人が良いです!、、、全く同じことをどの地域も言ってるし、やってるのでは。

感度の高い人はそういうイベントにはむしろいかないと思うけど、、、

もう移住の施策はイベントに「人を集める」ことが自体が目的になってしまっている。KPIとしてはどれくらい人が集まっているのかは大事だろうと思うけど、そもそも目標があってのKPI。何のために移住させるのか、どういう人に届けたいかという目標は二の次になってしまっている。

「何のために移住者を増やすのか。」
そのビジョンを描き、動く人たちに共有することが必要ではないのか。
ビジョンがないのに、お金と労力を注ぎ込み、とにかく移住者を増やせとする施策にはうんざりする。消耗していると感じる。

なぜ人を増やさねばならないのか。必要なのはどのくらいの数なのか。増やせるとしたらどれくらいの数なのか。数以外にどういう要素が必要なのか。増えたとしたらどんなことが起こるのか。弊害はないのか。移住した後にはどんな施策が必要なのか、、、考えるべきことは山積みだ。

地域の人でもない人が、チラッと地域を訪れただけで、どの地域にも共通した施策を考え、自治体はそれを買っているのだから、仕方ないかもしれない。

まだ自分に確固たる企画はない。なのに偉そうだとは思うけど、あえて書く。
移住の施策によってどんな未来を描くのか。描きながら、走りたい。


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