「お母さん、いっぱい泣きましょう」
「ここでは診られない」
おなかの子が正常に育っていないと唐突に医師から告げられたのは、妊娠6ヵ月の秋の始まりだった。
検診の時、キューピーちゃんの人形で赤ちゃんの大きさを教えてくれたいつもの笑顔が消えていた。切羽詰まった声は小なトゲになって、心に刺さり続けた。
なるべく心配させないように両親に伝えたけれど、その場は一気に深刻な顔でうまった。
年の瀬に帝王切開での出産が予定された。不安の中、十二月三十日に入院。心細さを隠そうとしている長女に、絶対に涙は見せてはいけないと精いっぱいの笑顔で手を振った。
外の世界に出てきたのに、産声をあげなかった次女はすぐに集中治療室に連れていかれた。手術室の明るすぎるライトに向かって、私一人だけが声を上げて泣いた。
一週間後、夫と医師から次女の状態について説明を受けた。本当なら赤ちゃんと一緒に退院するはずの日にたくさんの病名を淡々と告げられ、こわばる、顔を見合わせるしかなかった。NICUに残される次女に別れを告げ、ロッカーから荷物を取り出したとたん、堪えていた涙がとまらなくなった。 その時だった。
「お母さん、いっぱい泣きましょう」顔をあげなくても、誰なのかわかった。いつも笑顔で出迎えてくれるNICUのクラークさん。
面会できずに電話をかけた時も、見えない向こうから笑いかけてくれる人。 「ガマンしないでいっぱい泣きましょう。私はできることにも目を向けていくから」これまで次女のできないことばかりに目を向けられて、ずっと辛かった。そう、生きている。命がある。できることだって、あるんだ。
久しぶりにうれしくて泣けた。
この夏、次女は一歳半を迎えた。それでも今日も、できたことを数えて喜びたい。心を笑わせたい。あの日、愛で心のトゲを取ってくれた人に出会えたから。