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桜餅のおもいで episode2

あの時の桜餅も、
ちょうど、こんな色合いだった。

小学3年生くらいだったかな。のんちゃんは気づいたら私の隣にいた。おとなしくて、何を話したのか記憶にないけれど、遊んだことだけは覚えている。のんちゃんちに遊びに行った時、はじめて桜餅を食べて「美味しい!」と感じた。おばあちゃんが家にいると、こんなお菓子が出てくるんだと思った。あの日から、桜餅をみると、のんちゃんを思い出す。


昨日、義理の実家にいくために、手土産を買っていくことになった。7歳の娘に何がいいかと聞くと「和菓子とか?」と言うので、すごく良いこと言うじゃない、それにしようと夫が運転する車を途中で停めてもらい、娘と手を繋いでイオンの中にある口福堂を目指した。

ショーウィンドウから、まず娘が選んだのは、いちご大福。いくつも種類があり、3つで926円くらいだというので3種類選んだ。チョコ、いちご、つぶだったかな。

それから、いちご風味のどら焼き、桜ゼリー饅頭、薄ピンクをイメージするものばかりで注文が埋め尽くされた。あえて、黒っぽいおはぎは違うなと思い、私も思いとどまった。

娘にほとんど選ばせるつもりだったが、私は最初からあれが気になっていた。お義父さん、お義母さんは好きだろうか。みんなが選んでしまって私に回って来なかったらと思うと、ここで買うことをためらったが、迷っていてはこの季節が終わってしまう。「あとは桜餅を…ふたつ」と店員さんに伝えた。

二つしか買わなくて、大丈夫かなと心配だったが、物価高騰でただでさえ、ひとつずつが高価に見える。7歳の子に選ばせたはずのなのに、桜餅だけ多いのもおかしい、などと変な心配と後悔が入り混じった気持ちで実家についた。


桜餅はぶじに私の口に入ってきた。実家で出してもらったごはんが美味しく、たくさん食べたのと、桜見物で疲れた娘が途中で寝てしまったので実家でのデザート時間はやって来なかった。お義母さんが「私たちは少しでいいから持って帰りなさい」と言われ、苺大福と桜餅をひとつずつ置いて、私のところに帰ってきた桜餅。


今朝、食べた。のんちゃんとは外遊びもしたけれど、家で静かに切手集めをしたり、絵を描いたりしたように思う。大きな興奮もせず、静かな喜びの時間だった。



ある時、母親が私に言ってきた。「あのね、のんちゃんのお母さんがね、言ってたんやけどね」ふだん、あれやこれやと口うるさく言わない親。めずらしいなと思った。「のんちゃん、あみちゃんからね、はやくって言われるのがイヤなんやって」

え、そんなこと言ってたかなと思った。でも、こんな話になってるってことは言ってるんだろうなと思った。「あみちゃんと楽しく遊びたいとよ。やけん、はやくっていうのを言わんといてあげて」みたいな内容で、100パーセント腑に落ちたわけではなかったけれど、少なからず相手を不快にさせているのだから私も何か変えないといけないのだろうし、ここまで来るのにいろんな人が時間をかけて悩んだり、話したりしたのが想像できたから、何もいわずに「はやく」と言わないことを心がけた。


次の日、どこか違和感だった。のんちゃんと校庭のブランコに乗ったけれど、「はやく」のフレーズだけがリフレインした。無意識に言ってたので、とにかく意識を集中させた。それから、のんちゃんと2人で遊ばなくなった。

ある日、のんちゃんの誕生日会に呼ばれて、私は悩みに悩んでけろけろケロッピのゴミ箱と何かをプレゼントした。他の友達は、かわいくて小さいものをプレゼントしていたのに、実用性と人とは違うものを母親と考え抜いた結果だった。けれど誕生日にゴミ箱なんて、と後悔した。

誕生日会でいなり寿司がでた。あの日の桜餅と同じように美味しいかもしれないと期待をこめて食べたが慣れない味だった。だけど、残せない。がんばってお腹の中にいれた。ゴミ箱をプレゼントした恥ずかしさを忘れるために、慣れないものを食べ過ぎた。

帰り道は、なんか変なテンションだった。母親と弟が迎えにきたのもあり、弟と競走しようと思いっきり自転車を漕いで、「危ないよ」と背中越しに母に言われながら、思いっきり横倒れしてコンクリートで頭を打った。かなりスピードを出していた。私はなにを振り切ろうとしていたのだろう。食べていたものも思いっきり吐いた。

小学校の高学年になってからは、クラスも離れ、のんちゃんと遊んだ記憶はない。中学生で転校した私は、地元からも遠ざかった。それでも、のんちゃんとの思い出は終わらなかった。


大人になってから、ブログにコメントがついた。コメントがつくことが珍しいので、会話をしていたら、のんちゃんだとわかった。お互い大人になっているし、どんな風になっているのだろうと興味とうれしさしかない私は福岡の有名な場所で会おうと提案した。すこし遠いけれど、のんちゃんとはウィンドウショッピングとかお茶は違う気がした。たしか、私がもう京都行きを決めてた頃だった気がするから、大切な想いで作りをしたかった。

20年ぶりくらいに会う、のんちゃんはおもかげもあった。結婚して旦那さんと二人暮らしだが、体調がおもわしくなく、帰りは旦那さんが迎えに来るとのことだった。それならそうと言ってくれたらよかったのに、こんな遠いところまで連れまわしてしまったようにも思ったが、目の前にいるのんちゃんは決して辛そうでもなく、ただ大人になっただけの、のんちゃんだったから、結局、夕ご飯まで食べようということになり、20時頃に旦那さんが迎えに来るという駅のベンチに座って待っていた。

後ろから現れた旦那さんは、のんちゃんをいきなり立たせて、こんな時間まで、のようなことを言って去っていった。あっという間の別れだった。のんちゃんも何も言わず、私はとたんに腹が立ってきた。なんだったんだ。大人として遊んでいたのに、私が悪者みたいにならないといけないのか。いったい、なんだったんだ。自宅に戻り、母に怒りを発散した。

あれから、のんちゃんとは会っていない。私が今京都にいることも知っているかわからない。あの時、のんちゃんは楽しかったのだろうか。どう思っていたのだろうか。私のことは好きでいてくれたから、体を押して会いに来てくれたのだろうと思いたい。だけど、今思い返しても、最後のあの日も、のんちゃんとの会話は思い出せない。ひと言も。だけど、桜餅を食べるたびに、私はこの一連のエピソードを思い出すんだ。

のんちゃん、今もきっと、どこかで穏やかに生きていて欲しい。

ありがとうございます! ひきつづき、情熱をもって執筆がんばりますね!