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桃の節句に、草のつみつみ ~こよみだよりと和菓子のおはなし ~




こよみだより ✽ 桃の節供・上巳じょうしの節供 ✽


早いもので 弥生を迎え、七十二候では、草木萠動(そうもく めばえいずる)に入りました。やわらかな陽射しの中で、春の訪れをよろこぶかのように、草木から淡い緑の新芽が芽吹くころです。見上げれば木々の芽はふくらみ、足元には草の芽をみつけ、新しい命の誕生に心も浮き立つような時季となりました。

そして明後日3月3日は、私が最も すきな年中行事! 雛祭りとして親しまれている「桃の節供」です。

この時期、雛飾りを眺めると、穏やかな春色の空気に包まれて、心が ふわっ と和むように感じます。



桃の節供はもともと「上巳じょうしの節供」といい、旧暦3月の最初のの日に行われていた行事です。日本と中国の厄払いの風習が融合し、やがて女の子の成長を祝う行事へと転じました。


その変遷をすこしだけ。

中国では、旧暦3月最初の巳の日に水辺でみそぎを行い、桃花酒を飲んで厄払いをするという 上巳の節供の風習がありました。

一方日本には古来、人の形をした紙(形代かたしろ)で身体をなでて穢れをうつし、川や海に流す厄払いの風習がありました。これは時期を問わず行われていましたが、上巳の頃には春の農事に先立って、このお祓いを行っていたそうです。

中国の上巳の節供が日本に伝わると、宮中では行事的な意味を持つようになり、「曲水の宴」という雅な催しも行われるようになりました。加えて上述の人形流しの風習も融合し、日本ならではの雛祭りへと変化したのだと言われています。
厄払いのため流していた紙の人形は、その後 紙から布へ、布からやわらかい人形へ、そして室町時代の後期には立派な雛人形になったのだそうです。江戸時代になって「五節供」のひとつになると、雛祭りは庶民の間にも広がり、現在のような豪華な雛壇が登場しました。


詳しくは、昨年こちらに綴っています。



ところで私は先月、さいたま市の料亭『二木屋』さんで楽しくお食事を頂きました。二木屋さんは国の有形文化財に登録されている素敵な日本家屋のお店です。会席料理が美味しいのはもちろんのこと、季節ごとに素晴らしい室礼しつらいをみることができます。とくにこの雛祭りの時期の室礼は格別で、各お部屋のあちらこちらに、さまざまな雛人形が飾られるのです。

そのお店をこの時期に訪ねるわけですから、私は張り切ってカメラ持参で伺いました。


ところがご覧のとおり、ほとんどがピンボケでした…。(ガッカリ。)
加えて雛人形にはあまり相応しくない夜の撮影でしたし、撮らせて頂いたのは他のお客様がいない場所のものだけです。圧巻の雛飾りを きちんとご覧いただけないのは残念ですので、お店のホームページを置かせていただきたいと思います。



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和菓子のおはなし ✽ 草のつみつみ ✽


さて、和菓子のおはなしです。

雛祭りにいただく和菓子といえば、おそらく多くの方が、桜餅を思い浮かべることでしょう。



桜餅は、江戸時代・享保年間に、江戸の「長命寺」で誕生したものです。

でも、それよりもっと昔から、上巳の節供には 草餅 が食べられていたのです



“昔”って、具体的にいつ頃から草餅が? というと、平安時代に編纂された『日本文徳天皇実録』の中に、その記録が見つかるのだとか。「3月3日に ”母子草ハハコグサ” を摘んで、草餅をつくって食べた」という内容の記述があるのだそうです。
この時代には、まだお砂糖を使用した甘い小豆餡などはありませんでしたので、現在とはイメージが異なるものだったのかもしれませんけれど、それにしても平安時代には行事食として草餅を食べていたことが確認できるというのですから、驚きですね。



現在の草餅は、ヨモギを混ぜてきます。でもこの文徳天皇の記録からもわかるように、当初は母子草ハハコグサからつくられていたのだそうです。母子草は、春の七草で「ゴギョウ」と呼ばれているものです。上巳の節供の草餅には、その母子草の独特の香りで邪気を祓い、母と子が健やかに過ごせますようにとの願いが込められていると言われています。

そして宮中では、3月3日に女官たちが外に出て、母子草を摘んでつくったからでしょう、草餅は、女房詞にょうぼうことばで「草のつみつみ」と言いました。

女房詞ではこのほか お餅を「かちん」、お酒を「こん」、焼き魚を「うきうき」と呼ぶなど、どこかお茶目で、愛らしさを感じます。



平安時代の草餅が 母子草のお餅であったことは、その時代に和泉式部が詠んだ歌「花のさと心も知らず春の野に いろいろつめるははこもちひ母子餅ぞ」などからもわかるようです。

それがやがて、母子をくのは縁起が良くないということで、蓬に変わりました。蓬も母子草同様に、香りで邪気を祓うことが期待されたそうです。
蓬に変わった時期については、明確には表現しづらいようですけれど、いくつかの資料を眺めてみると、江戸時代が移行期と言えるのかもしれません。


その江戸時代以降も、上巳の節句に草餅を食べる風習は受け継がれており、宮中では、「草のつみつみ」の呼び名も健在だったようです。

江戸時代前期に禁裏御用菓子屋となった虎屋さんの記録では、普段は「草餅」という名で宮中に納めていたお餅を、3月3日だけは「草のつみつみ」として納めていたということが確認できるのだそうです。


では時を経て 現在はというと、雛祭りに草餅を頂くという風習は、一般的にあまり浸透しているとは言えない気がします。
そのような中、草餅の風習を復活させようとする和菓子屋さんが増えてきたのだといいます。
雛祭りに向けて「草餅」が店頭に並べられるのは、うれしいことです。でもいっそのこと、「草のつみつみ」として売り出したら良いのに!と思ってしまう和菓子好きの私です。



そうそう、ひとつおはなししそびれました。「菱餅」も雛祭りのお菓子として受け継がれていますね。
菱餅が現在のように3色になったのは、明治以降のこと。それまでは草餅と白いお餅の2色を交互に重ねていました。江戸時代の錦絵では、3段のものや5段のものが確認できます。

文中にあげた桜餅のことや、この菱餅のことについては、まだおはなししたいことがあります。でも長くなりましたので、またいつか、補足をしたいと思います。


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冒頭で触れましたとおり、雛祭りは、私が一番すきな年中行事です。

古来の身の穢れを清めるための節供は、愛らしく、春らしく、ウキウキするような女の子の行事へと姿を変えました。
姿を変えつつも、今なお大切に受け継がれているこの行事が、この先も愛され、親しまれながら継承されますよう願いながら......
美味しい草餅を頂きたいと思います!


叶 匠壽庵さんの、きな粉がかかった草餅。



ぽかぽか陽気の日も増えてきて、あちらこちらで春の花々もほころびはじめましたね。

どうぞすてきな春の日を。そしてたのしい雛祭りをお過ごしください。









最後までお読みださいまして、ありがとうございました。





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