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こよみだより * 桃の節句 *


それとすこしの うつわのおはなし


今日から3月。和風月名では「弥生」に入りました。

弥生の名は、“草木がいよいよ生い茂る“ ことに由来するそう。
2、3日前から急にあたたかくなって、私の住むところでは、桜の木ソメイヨシノに ちいさな固いつぼみを観ることができるようになりました。
春はもう、目の前です。


そして、明後日3月3日は、私が大好きな ひな祭りです!
『こよみだより』としては少しフライングですけれど、今日は 雛祭りとして親しまれる「桃の節句」についておはなししたいと思います。


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今日、本文中に添えている写真は、5年前のこの時季に、佐賀県の有田町と伊万里市を訪れた時のものです。
この時はまだカメラデビュー前。スマホ撮影でした。
写真については、のちほど補足いたします。


畑萬陶苑


ー この記事の内容 ー

◇ 桃の節句・上巳じょうしの節句について
 
桃の節句は、もともと上巳の節供といいました。

◇ やきものの雛人形
 今日の写真・うつわのおはなしです。

◇ おしまいに
 二十四節気に触れています。

※約3600字あります。。



* * *


◇ 桃の節句・上巳の節供


旧暦では桃が咲く時季だったから「桃の節句」。
古代中国の風習が日本に伝わり、日本の風習と結びついて変化したものです。

桃の節句は、もともと「上巳じょうしの節供」と呼ばれ、五節供のひとつとされていました。

五節句については、昨年の「こよみだより」でも触れてきましたけれど、あらためて。
五節供とは、1月7日 人日じんじつ、3月3日 上巳じょうし、5月5日 端午たんご、7月7日 七夕しちせき、9月9日 重陽ちょうようのことで、古くから続く節供の中でも、江戸幕府がとくに重要なものとして定めたものです。
公的な行事・祝日として定めたため、庶民にも広まりました。

それぞれ 七草粥、雛祭り、こどもの日、七夕たなばた、菊の節句として現代まで受け継がれています。(重陽の節供は馴染みが薄いかもしれませんね。)

現在は、「節」と書かれることが多いと思います。五節供を「節」と記している理由については、別の機会に触れたいと思います。


マイセン


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上巳の節供は、旧暦3月の 最初のの日に行われた行事です。

古代中国では、季節の節目であるこの日に、水辺でみそぎを行い、桃花酒を飲んで邪気を払う風習があったそうです。

その風習が日本に伝わると、宮中では「曲水きょくすいえん」という酒宴が催されるようになりました。とても雅な酒宴です。

「曲水の宴」は、曲がりくねって流れる水のほとりで、上流から流れてくる杯が自分の前を通り過ぎぬうちに歌題にちなんだ詩歌を詠んだもの、と伝わります。詠み終えたら杯をとりあげてお酒を飲み、杯はさらに下流に流したそう。

現在でも京都の城南宮や 福岡の太宰府天満宮などで再現されているそうです。


画像:城南宮HPよりお借りしました。


また、日本でも古来、この時季には春の農耕に先立ち、お祓いの行事が行われていました。
形代かたしろ」と呼ばれる人の形をした紙で身体を撫で、息を吹きかけてけがれを移し、 川や海に流すという ”はらえの儀式” です。

これが後に上巳の風習と結びついたと言われます。
形代を水に流すというのは、流し雛のルーツでしょう。


そして平安時代以降、このはらえの道具であった形代から発展し、貴族の女子の間では「ひいな遊び」という “ままごと遊び” が生まれました。
紙でつくった男女の人形で遊ぶもので、この人形も役目を終えると川や海に流したそう。

当時の雛遊びは、四季を通じて行われた遊びです。


畑萬陶苑


すこしややこしい気がしますけれど、上記の儀式や風習、遊びが融合し、雛祭りという行事が形成されていったようです。


おはなしした「形代」が、しだいに立派な人形になったのは 室町時代後期のこと。

雛人形として家の中で飾るようになりました。


柿右衛門窯の雛人形(現代)


江戸時代になると、内裏雛だいりびな、左大臣・右大臣、三人官女、五人囃子など宮中の婚礼の様子をあらわした豪華な人形を飾るようになり、さらに嫁入り道具をミニチュア化した雛道具も揃えられました。

先述のとおり、江戸時代には五節供に制定されたことで民間にも浸透し、女の子の幸せを願う行事として定着して 今日に至っています。

ちなみに、雛遊びも しだいに紙から人形へと移りました。
私は以前に東京の「鳩山会館」で観た、雛遊びの人形が忘れられません。ちいさなちいさな、愛々しい雛人形です。



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雛まつりのお供えや祝い膳には、次のようないわれがあります。

 桃の花・白酒
桃の木は、中国で邪気を払う力が宿るとされました。
その桃の花を浮かべた桃花酒を飲んだことに由来します。江戸時代から白酒になり、現在では甘酒を用いることが多くなりました。

 菱餅
3段の色は、「白:雪がとけ、緑:緑が芽吹き、桃:花が咲く」という意味をあらわしています。

 雛あられ
もとは菱餅を細かく切ったもの。
米粒を残さず頂く「倹約」を意味すると言われます。

 ハマグリのお吸い物
「相性のよいご縁に恵まれますように」という願いが込められています。
ハマグリの殻は同じ貝同士としか合わないことから、女性の貞操をあらわします。

 ちらしずし
女子の健康を願い、海の幸・山の幸をつかったという説があります。
また、食材の彩りには、魔除けの赤、清浄の白、健康・長寿の緑を用いるとも言われます。これは、長寿を願うエビ(赤)、将来を見通すレンコン(白)、さやえんどうなどマメに働けるようにと豆(緑)をつかうことと重なりますね。


柿右衛門窯


私は 年中行事の中でも 雛祭りがいちばん好きです。
古来の邪気を祓うための行事は、愛らしく、春らしく、ウキウキするような女の子の行事へと姿を変えました。
でもきっと、女子の健やかな成長や幸せを願うということは、悪いことをよせつけないという、昔ながらの意味合いを根底に宿しているのでしょう。
雛人形を眺めていると、やわらかな空気に包まれて、なんとなく守られているような気持ちになるのです。



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◇ やきものの雛人形


柿右衛門窯の現在の雛人形
(柿右衛門窯にて)
柿右衛門窯が初めて制作した雛人形
(有田館にて)


さて、今日の写真についてです。


佐賀県の有田町では、毎年この時季に「ひいなのやきものまつり」が開催されます。
有田のまちには、有田焼の雛人形があふれ、また様々な催しも行われます。



雛人形好き・有田焼好きの私にとって、夢のようなイベントです。
できることなら毎年飛んで行きたいところなのですけれど… 何しろ年度替わりの慌ただしい時期です。とくにこのような状況下、そう簡単に行けるものではありません。。

5年前に観た まちの様子を思い出しながら、またいつか、この時季に訪れる日を楽しみにしたいと思います。


有田の古民家で頂いた 雛まつりランチ。
もちろん、うつわは全て有田焼。


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そして、この時には 伊万里焼の里・大川内山も訪ねました。
そこに窯を構える 畑萬陶苑さんは、色鍋島の美しい伝統文様を描かれる、人気の窯元です。
現代の要素を取り入れられたお洒落な作品も手掛けられていて、私も大好き。

この時には、ぷくぷくとした雛人形にくぎ付けになってしまって…

【 文様の名前 】
向かって左:橘文 / 右:桜文
(”左近の桜、右近の橘”)
左:藤文と青海波 /  右:牡丹文
(青海波は、三川内焼でも触れました。)
左:梅詰 / 右:梅文


私の熱視線で 硬い磁器が とけてしまうのではないかというくらい、まじろぎもせず眺めたのでした。
いくつになっても、雛人形は愛おしいものです。

それでも さすがに、上のようなものは、衝動買いなどできませんので…
私が迎えたのは、ミニミニ雛人形です。


(左右の並びは、あえてこうしています。)


このように、デスクの上に ちょこん と置いて楽しむこともできますから、こちらで大満足しています。



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また冒頭のあたりで、マイセンの雛人形の写真も添えました。マイセンは、有田焼(柿右衛門様式、古伊万里)や、中国の「景徳鎮けいとくちん」をお手本に開窯した ヨーロッパ初の磁器の窯。
ドイツのマイセン市と有田町は、姉妹都市提携を結んでいます。

そんなこんなの うつわのおはなしは、また別の機会に。。



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今右衛門窯の室礼しつらい
豆粒のような雛道具。



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◇ おしまいに

こちらもフライング。
まもなく、3月5日は、二十四節気の「啓蟄けいちつ」入りです。

土の中で冬ごもりをしていた生き物たちが、うららかな春の陽に誘われて目覚める頃。

そして、二十四節気をさらに3つにわけた七十二候のうち 次候2つめは、「桃始笑(ももはじめてさく)」です。
昔は “咲く” という言葉を “笑う” とあらわしたのですね。

そういえば、桃の花がふっくらと咲く様子は、頬を染めて微笑んでいるようにも見えるでしょうか。


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などということを、ぼんやりと思いながら、、
久しぶりの こよみだよりは、このあたりでおしまいにしたいと思います。







桃の節句のある国から



世界中の女の子の
平和な生活と
健やかな成長を願って。


(もちろん、男の子やそうでない子も!)










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長文を最後までご覧くださいまして
ありがとうございました。







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