後悔のない1秒を生きたい。
『幸せの定義』と言われると、噛みつきたくなる。
いや、私、幸せですからって。
文字は淡白すぎる。
幸せの裏には、時間と感情と体験が控えているのにそれが伝わらない。
いや、違うか。文章は受け取った相手のものだから、相手の幸せの厚みの分だけ伝わるんだな。
私の幸せは、みんなの思う幸せだった。
結婚して、子ども産んで、優しい旦那さんがいて、あたたかい家があって、それなりの車があって、便利な場所で、友達もいて、子どもたちも元気で明るくて、たまにおいしいご飯が食べられて、親戚付き合いもそれなり。大病もなく、何の問題もなく、人よりも平均値ちょっと上で生きること。出る杭になることもできるけど、あえてしないのよ、それが賢い生き方、みたいなね。
だけどさ、心の奥にいる、あみちゃんはさ、
「いや、そんなもんじゃないやろ」
「もっと思ってることあるやろ」
「どす黒いヤツ、あるやろ」
「もっとさらけ出さんかい」
と言ってる。
ニコニコじゃなく真顔のあみちゃんがいる。
裸の王様なんて恥ずかしすぎるから避けてきた。
本心は出さずに表面だけでサラッとかっこよく生きられたら、それを本当の私にすればいいんだって。
だけど、それはダメらしい。
感情を作った全能の神様は、
本当で生きていないと感情が落ち込むバロメーターを作った。
いつも元気な人は、
感情のバロメーターをすぐに察知して、自分とは違う行動を取らない。だから疲れない。自分と違う向かい風に、対峙してたらエネルギー切れになっちゃうよね。
わかってはいたけどさ、もしかしたらさ、少しくらい自分と違っていてもさ、この先、騙しだましで生きられるんじゃないかって、自分のことも相手のことも騙しながら、それが本当になればいいって。
だけどダメだわーーー。
私さ、黒柳徹子さんと平野レミさんがいいの。
あんな風にスパーーーーんと感情を声に出して生きていきたいの。
そうする。
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