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アウシュヴィッツと2020年の私

2週間も前になりますが、人生ではじめて、ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所博物館に行ってきました。現地に実際に足を運んでみて、今ドイツに住んでいるからこそ感じ、学んだことを、私的備忘録としてまとめました。

※ 道中体験した個人的な精神的苦痛や館内で見学できる残酷な展示物についての表現はあえてここには記しません。実際に赴いた人にしか感じ得ないし、実際に目で見てさえも、その全貌は形容できるものではないからです。

コロナウイルス とアウシュヴィッツ


「アウシュヴィッツは空から急に降ってきたものではない」

3時間にわたる第一収容所とビルケナウの見学中、そう繰り返し説明してくれたのは博物館の唯一の日本人ガイド中谷剛さんです。

彼のガイドのおかげで私は、アウシュヴィッツと私個人という、一見遠い存在に思える二つの点を、最終的には線でつなげることができました。

その体験は恐ろしいものであると共に、ある意味での希望であるということをここに記していきます。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ ビルケナウ きょうせいしゅうようじょ、ドイツ語: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、ポーランド語: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)とは、ナチス・ドイツが第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容された90%がユダヤ人(アシュケナジム)であった。(Wikipediaより)

ナチス・ドイツは、世界恐慌以来のドイツ国民の貧窮や不満を、古くからの反ユダヤ感情と結びつけて政治利用していました。

「最も優れたゲルマン系ドイツ人にとって、ユダヤ人は経済悪化の原因であり、疫病を促す病原体であり、卑しく汚らわしい諸悪の根源」

そんな民族主義思想が支えとなり、アウシュヴィッツ犠牲者110万人の90%をユダヤ人が占める惨禍となりましたが、初期はドイツ国内に収監されていた政治犯がこの収容所に移送されており、その後同性愛者・ジプシー・身体障害者・精神障害者などが「劣性種族」として連行されていきました。

つまりは「自分の不満」を「自分が気にくわない・理解したくない人種」におしつけて残虐行為を正当化していました。

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中谷さんはガイドのはじめに、この歴史史上最も残忍な人種差別と、今世界で起きているコロナウイルスへの人々の反応との共通点を示唆されました。


ヨーロッパでも一部のモラルの低い人間たちによってアジア人=ウイルススプレッダーのレッテルが貼られ、ヨーロッパに住む人々の間で感染が広がりつつある中でもなお、アジア人がウイルスを理由とした差別対象とされる現実があります。

私個人としては今の所目立った差別行為は受けていませんが、多くのアジア人の友人が「コロナ」と嘲笑されたり、各国で暴行事件が起きる状況下なので、異人種間での緊張感が漂っていることは否定できません。

疫病の流行は、「特定の人種は"区別"されて当然だ」という民族主義思想へ容易に結びつきます。(科学的根拠に基づいた隔離などの政策は必要です。全く論理的でない人種差別について述べています)

日本でも「中国人お断り」のお店が少なからず出現したり、「外人ヘイター」たちが「中国人は祖国に帰れ」などと、ここぞとばかりに盛り上がりを見せたのもその一例でしょう。

国会では政治家が「新型肺炎は武漢肺炎である」と強調しています。
特定の地域名を使った病名は、人種的・地域的な偏見を長くもたらしたため、WHOから新しい感染症には国名や地名をつけるべきでない勧告が出されています。もっとも、ウイルスの抑制対応が急がれる中、発祥地を強調しても何の解決にもなりません。

皮肉なことに、当のウイルスは誰よりも平等です。

そしてもちろん、ウイルスが広まる前からも日本では、市民レベルでの外国人差別は残念ながらはびこっていますし、国レベルですら外国人技能実習生とは名ばかりの奴隷制度を推進したり、入国管理局での非人道的な外国人の扱いなどが改善の兆しを見せません。

中谷さんの先の問題提起は、史上最悪の人種絶滅政策から解放され75年たってもなお、日本を含め、至る所に色濃く残る差別やモラルの低さとの関連性を浮き彫りにしてくれました。

傍観者の役割

そんな新型ウイルスを発端としたパニックが広がる中、差別的発言を積極的には口にしなくても、なんとなく中国人(に見える人たち)を避ける人たち。差別を見ても見ないふりをする人たち。

「悪気はないが、なんとなく」

歴史的惨劇となったユダヤ人大虐殺は、そのような「ちょっとした」差別と差別の黙認からスタートしました。最悪の結果へと舵をとったのはレイシストたちですが、船を大きく進ませる大きな役割を担っていたのは、それらの差別をさほどの問題として捉えていなかった「傍観者」たちでした。


ナチス・ドイツの当時の支持率は国民の30%。つまり70%は問題を自分ごととしていない傍観者であり、民主主義の構造上、その30%が"多数派"となり、ナチスは次第に権力を獲得していくこととなります。

ここでも点と点はつながります。

外国人差別を容認する最底辺な日本の政治における、個人レベルの責任を問いたとき、日本のミレニアル世代の投票率は30%程度。

恥ずかしながら私が政治に関心を持ち始めたのは、海外に住みはじめ、諸外国の若者の政治意識の高さに触れてからなので、ここ数年。
投票にはいっていましたが、一票の重さを実感できていたとは言えません。

私もこれまで現モンスター政権への無自覚加担者=傍観者でした。

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アウシュヴィッツはなぜ起こったのか


解放から75年。上記の問いに対する専門家たちの模範解答は「わからない」なんだそうです。

しかしながら昨今、アウシュヴィッツについて議論する際、その原因や象徴をヒトラー個人とするのは間違い、という考えがスタンダードとなっており、実際館内でその存在は恣意的に強調しないようにされていました。

さらには、当時なぜドイツ以外の国がそれらの狂気を止めることができなかったのか、と原因追求の対象はヨーロッパ全体、ひいては世界中に広がりつつあるそうです。

同施設の昨年の訪問者数は230万人超。直近の10年間、最高訪問者を毎年更新し続けており、その動きはそんな世界中の人々の、歴史の捉え方のアップデートに起因するものであると感じました。


革命を起こせるのは、戦争を知らない世代


戦後ドイツは一貫して罪はナチスにあり、ドイツ国民にはないとの立場をとってきました。しかし、戦争当事者の子供や孫の世代がナチスのことを知り、「私たちは何も知らなかったんだ」と釈明する親・祖父母世代に対する不信感を募らせ、家庭内外での論争へと広がっていったと言われます。

対して甚大な被害を受け生き残ったユダヤ人たちは、戦後30年もの間、自分たちが惨めで情けなく、家族同士でもアウシュヴィッツについて言及すらできなかったと言います。

ビルケナウ強制収容所の、かつて収容者たちを運んできた線路の上で、ユダヤ人の高校生たちが、ユダヤ人の象徴である六芒星があしらわれたイスラエルの国旗を肩に背負って歩いている姿がとても印象深かったのですが、彼らが訪れるようになったのも最近のことなのだそう。

そんな時代の流れを指しながら、中谷さんは時間が解決してきた部分があると説明してくださいました。

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日本で戦争を体験した方々が次々と亡くなっていくことを危惧される声は当然止みませんし、私も戦争を経験していない人間として、積極的に学ぶ必要のある立場にいます。

ただ、誤解を恐れず申し上げるのであれば、悲惨な歴史を繰り返さないようにできるのは、戦争を経験しておらず、それゆえ戦争を客観的に捉えられる世代なのだと個人的には考えます。

A級戦犯被疑者の祖父をもつ我が国の総理大臣は、あらゆる手を使って先祖の執念を叶えることに日々躍起になっていますが、このように親族の犯した罪を客観的に捉えられず、さらに悪いことに、それらを美化して引きずり続ける者には、平和は築き上げられないのではないでしょうか。

ドイツで戦争を体験していない若者が声をあげ、国の方針を変えたように、戦争との一定以上の距離は、戦争を客観的に精査するのに必要であり、センシティブな自国の罪に対しても批判の立場をもち、何が有益なのかを優先して議論していける可能性をもつと考えます。


いずれにしてもこの気づきは、博物館見学後に友人と話しながら、私を小さく励ますのでした。

ドイツと日本の「過去への反省」


この負の遺産に対する、現在進行形で続くドイツの反省は、日本人として見習うべき例は枚挙にいとまがありません。

ドイツの学生は中学生〜高校生の間で必ず社会見学でアウシュヴィッツを訪れ、授業では多くの時間がこの史実を学ぶために割かれ、議論を重ねます。

このテーマについてドイツの同年代と話すとき、いかに彼らが真剣に向き合っているかがわかります。これまでにプライベートで3回訪れたというドイツ人の友人(20代前半)もいました。

国としては過去75年間に、道義的な責任感に基づいて、金銭による補償や首相や大統領による謝罪、国民に徹底的な反ファシズム教育を続けて来ました。

国外のアウシュヴィッツ博物館には保存運営費用を拠出し、国内にも自国の負の歴史への反省と犠牲者を弔うためのユダヤ博物館を建設しました。
ドイツの難民・移民の受け入れの背景には、そういった国全体としての消えることのない強い罪の意識と反省の態度があります。

また、言論の自由が守られる現代でも、ナチスを賛美したりアウシュヴィッツの存在を否定したりする言動は、民主主義を脅かすものとして法律で禁止されています。

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1970年 ゲットー英雄記念碑の前でひざまずくブラント独首相
(©︎ Bundesregierung)

対して日本の場合はどうでしょうか。

いまだに歴史認識をめぐる隣国との国際問題が勃発する中、過去の侵略行為や南京大虐殺・731部隊・慰安婦問題など、日本が歴史に刻んで来た惨劇について、国や一部の国民が事実を否認する風潮が増えてきています。

その余波は芸術分野にも及び、記憶にも新しい、あいちトリエンナーレにおける国の検閲ともとられる動きは、目に余るものがありました。

また少なくとも15時間はかけてアウシュヴィッツを訪れた日本人の中で、日本から3時間の南京大虐殺記念館を訪れた人はどれだけいるでしょうか。(私も行ったことがありません)

中谷さんは日本人ガイドとしての目線から、参加者にとってアウシュヴィッツの見学で終わらさず、参加者自身の目線から自分ごととして捉えられるように、ガイドの構成を工夫されています。

それ故「なぜ日本のことを悪く言うんだ」「虚偽を言うんじゃない」などとこれまでに参加者から抗議をうけたことは数知れずなのだそうです。

遠い他国でおきた惨劇は「恐ろしい」と見学しながら、自分たちの国の過去問題は直視できない人々ーー。

しかしながら彼はこれらの歴史認識の低さ、特に若者に対して、「そのような教育を受けられる機会を彼らに与えられなかった我々世代の責任」と繰り返されていたことが印象的でした。

だとすれば、次の世代の私たちは、これらの責任とどう向き合っていくべきなのでしょうか。


わたしにできる小さな革命宣言

ドイツに2年以上住んでみた日本人として、海外生活におけるレイシズムの存在は認めざるを得ません。

そして日本で、日本人として、何不自由なく、身の回りで起こっていた人種や性別・セクシャリティ・身体 / 精神障害・学歴・見た目・ステータスによって差別を受けている人たちの現実を、認識すらすることができなかった過去=傍観者としての実績にも気づかされることになります。

しかし、この差別の事実と共に、このコロナパニックの中、もしベルリンの公の場で、私がなんらかの差別を受け罵られた場合、かばってくれる人が周りにいるだろう、という安心感があるのはここに特筆すべきと感じます。

また、ベルリンでも日々増えていく感染者の発表を受けて、食料品の買い占めが目立つようになりました。非合理的で利己的な行動を目の当たりにすると、少なからずショックを受けますが、日本内外の近しい友人と「こういう時こそ落ち着かないとね」と声をかけ会えるのは心強いものであり、こういったモラルの高い人間に囲まれること自体が、QOLの向上に直結しています。

つまり、わたしはそういった環境を構成する人間の最小単位になりたい。

平時においても差別に対して常に問題意識を持つことで、被害者側に戸惑うことなく立つことができ、非常時には正確な情報を集めるように努め、冷静な行動が取れる人間になれるように努力していきたいです。

また、緊急事態時の政府批判に対する批判の声も数々見受けられますが、緊急事だからこそ個々人が批判をやめるべきではないと個人的には考えています。専門家の意見を一切聞かずに気まぐれで一斉休校要請を出すような人が国の長であればなおさらです。
実際にたくさんの人が声をあげたことで、まだまだ不十分ではありますが、政府が自粛要請に対する損害補償などの措置を見直すきっかけになっています。


こんな鬱々たる不安が漂う今だからこそ、わたしがアウシュヴィッツ博物館から学び、すぐにできると考えた前向きな宣言は以下の通りです:

● いかなる理由があっても一切の差別を許しません。必ず被害者の立場に立ちます。
● 一国民として、政治を批判・評価する立場に立ちます。
● 愛国ゆえの憂国をやめません
間違った行動をした場合は、素直に正しい指摘を受け入れ、改善していく努力をします。
反対意見を持つ人とは有益な議論をします。
どんなに小さくても声をあげていきます。

最も頼りない宣言に聞こえるかもしれませんが、今まで世界に無関心だった日本人20代最小単位の意識改革こそ小さな革命であり、小さな革命は連鎖していくのだと信じたいです。
私の中に小さな革命を起こしてくれた、私の周りの大切な友人たちのように。

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アウシュヴィッツと私


アウシュヴィッツで起きた悲劇で語り継がれるのは人間の究極の悪の姿です。アウシュヴィッツが人間によってもたらされたものである限り、人類とアウシュヴィッツは切っても切り離せないものなのだと思います。

ナチスの強制収容所から生還したユダヤ人精神分析学者による、強制収容所での体験をつづった『夜と霧』には、極限状態で炙り出される「人間」そのものが、学者ならではの鋭く的確な観察眼をもって描かれています。

この本から学びたいことは、私たちはアウシュヴィッツで起きた闇と光両方を持ち合わせた存在であるということ。誰でもあの惨劇を今すぐにでも蘇らせる可能性を持っているし、その逆も然りです。

アウシュヴィッツの闇と自分が一本の線上でつながっていることに自覚的になれば、少なくとも自分はその闇の対極に向かって進む努力ができると思ったのが、今回の訪問で私が感じることができた一番大きな学びです。


博物館唯一の日本人ガイド中谷さん

ツアー中、たびたび(主に今の日本に対して)怒りをあらわにする若者(私)に、「(自分を見失うほどに)怒ってはいけないですよ」と、おそらく20年間、世界で最も残虐な歴史に向かい、怒りや悲しみを繰り返されたパッションを内に秘めながら、日本人に学びの機会を提供され続けているであろう中谷さんの助言を受けました。

さらに彼は現代日本における女性差別問題のことにも、アンネ・フランクがフェミニスト的側面を持ち合わせていたことを挙げて、参加者の日本人男性たちに問いかけていました。
(私はこの場面に驚きました。もちろん良い意味で!)

アンネの日記は、数年前に茶色の紙で糊付け隠されていた部分が画像解析技術の進歩によって明らかにされ、そして新たに公開されました。

その部分は、セクシャルなテーマに対する思春期らしい素朴な興味やジョーク、女性が男性のように性的な話をすることが忌み嫌われることへの疑問などが綴られていました。

そのように史実そのものを伝えるにとどまらず、アウシュヴィッツの悲劇と、現代の、特に日本の抱える諸問題との繋がりを見出し、参加者に問題提起し続ける中谷さんの姿に、実に大きな感銘を受け、インスパイアされました。

私も彼のように、どんなに自分とは果てしなく遠いように思える問題からも目を逸らさず、自分とその問題の関係性を見出し、対峙する姿勢をアップデートしつづけた上で、冷静な怒りを表現することをやめません。


ーーー

厳しい入場規制がありながら、連日満員のアウシュヴィッツ強制収容所博物館。狭い館内で、それぞれの言語のガイドの言葉に慎重に耳を傾けながら、様々な国からの、様々な世代の訪問者達とすれ違うたびに、私は小さく励まされる感覚を覚えました。

アウシュヴィッツは世界最大の負の遺産であることと同時に、過去から学び、それらを未来に生かそうとするポジティブエネルギーに溢れる場所です。(不謹慎に思われるかもしれませんが、そのための場所ですよね)

一度は訪ねてみたい気持ちがあっても、精神的な問題などで決断がはばかられている人にとっては、訪問はやはり簡単なことではありません。
私もお隣ドイツに2年以上住みながら、ずっとこの場所を避けてきた経験があります。しかしこの惨劇を未来に生かしたいという気持ちがあれば、多くの学びがあることを身をもって感じたので、そんな方にこそ個人的にはおすすめしたいです。

博物館の日本語ガイド参加への興味を持った方、ご質問などありましたらお気軽にコメントください。

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