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アーユルヴェーダセラピスト もみの気ハウス 奥山美花奈の紹介


こんにちは!

私は、今もみの気ハウスの代表取締役社長

上野店の店長をしています。
奥山美花奈です。


まず私のアーユルヴェーダサロンを二代目として継いだ経緯をnoteにしました
こちらのリンクから

https://note.com/kinakotaru/n/ndbfa5b014e3d

△東京walkerで都内の「ゴットハンド」で選出(2020.1月)

経歴

東京都生まれ東京育ち

東京都内女子大在学中に、父の会社もみの気ハウスを20歳の時に継ぎました。

千葉県館山に、父の畑があります。

父は、東京都青ヶ島生まれ青ヶ島育ち。


メディア出演情報

東京ウォーカー最新号

アーユルヴェーダサロン ゴットハンドとして紹介!

ブログ画像ヒルナンデスで久本雅美さん、河北麻友子さんに
アーユルヴェーダ足つぼを施述しました!



有名ヨガ雑誌「Yogini」9月号に

「詳細なドーシャチェックで根本から整え調和に導く」
をテーマで9月号に掲載。



まだまだこれからアーユルヴェーダ で
たくさんの方を見ていくことがが学びだと考えています。
私も勉強にさせていただきながら
精進して参ります。

10回程 スリランカに渡航しました。
その時はスリランカは内戦中だったので、
とっても物価が安く今の十分の1の値段でした。
なので、何でもかんでもアーユルヴェーダ治療院も、薬草も全て
観光客はほとんどいなかった時なので、
現地価格でめちゃくちゃやすかったそうです。

スリランカ渡航で
アーユルヴェーダの治療院巡り、
ハーブ農園、大学病院 たくさん行きました。
私は、持病の「アレルギー性鼻炎」
は本当にビックリするくらい改善されて
前まで口呼吸しかできなかったのですが、
鼻呼吸できる喜びを、感じたのを覚えています。

もちろん今現在も継続して改善されています。
アーユルヴェーダのこの実体験と、
このアーユルヴェーダをしっかりと真面目に継続してやると
治療の域に到達することができること。

日本の治療法に
「西洋医学」「漢方」「アーユルヴェーダ 」
とこの世界三大医学の
未だ認知が低い「アーユルヴェーダ 」を
日本に認知を広げて行きたいと本気で考えています。
本気で「曖昧な症状」「だるい」「うつっぽい」「眠れない」
という悩みがあれば
真剣に聞かせてください。

真剣にカウンセリグさせてください!
本気120パーセントで体質チェックさせていただければと思います。



アーユルヴェーダを広めようと始めたきっかけ

私の姉が0歳からひどいアトピー、小麦・卵アレルギーで悩まされ、
元々父親が、マクロビオティックの家系に生まれ、
生まれたときから、姉と年子だった為私も、玄米菜食で育ちました。
何か、熱が出たりしたときには
葛根湯や他漢方で治療していました。
私が元々持っていた
「アレルギー性鼻炎」
とっても重かったです。

こればかりは西洋のお医者さんに小学校が
お休みの毎週日曜日に耳鼻科にかかっていました。

通っていた小学校の制服も
鼻水になってました。。笑


初めてスリランカに行ったのは
8歳(小学2年生)の時、家族旅行でした。
その後5年間、夏休み冬休みの年二回
スリランカに行きました。

何の為にかというと
「アレルギー性鼻炎」の根治。
あとは兄弟が持っている持病を治す方法がないか
と調べる為です。
スリランカについてから、
有名アーユルヴェーダの大学病院出身の
スリランカドクターの問診、脈診を
パンチャカルマ、アヴィヤンガを受けました。
正直、子どもの頃であまりはじめの方は覚えていません。

結果として私の体質は、
「水」カパが増えていることが原因でした。

ブログ画像そのカウンセリング受けたときに
大好きだったものは、果物とヨーグルトとヤクルトでした。

それをアーユルヴェーダドクターに
何も言っていないのに
「ヨーグルト、乳製品好きでしょ?」と言い当てられて、
やはり子どもの頃なので、大好きなものが
その日から買ってもらえなくなったのですごく覚えています。笑

そこから、食生活提案されたものや
日本でのむ毎日の薬草手作りボールを飲んでいました。

とってもまずかったのですが、
スリランカの蜂がそのまま入っている蜂蜜に
たーくさん絡めてにがーい薬草を食べていたので
甘いものが大好きな私は渋々食べてました。



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