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イギリス④人生の補助線

つづき。③はこちら↓

博士課程に進学して4ヶ月が経った。大変なときも、やる気がないときもあるけど、基本的に楽しい。

高校までは学校の勉強を1番に、学部では卒業要件の単位を気にしつつ、その傍らでイギリスをしていた。母や仲のいい友人たちは、永遠にイギリス史の話を聞かされていた。
院進して、特に博進して、イギリスを中心に据えられるようになった。報告や論文という表現手段も得た。おかげで最近は周りの人にイギリス史の話をしていない。

修士の後半から、研究という作業も楽しくなった。先行研究を読んで立てていた仮説が、史料を読んで突き崩され、また1から考え直す、そんな研究の過程が楽しい。
研究にかかわる作業は、幼い頃から慣れ親しんだ ものも多い。3歳から字を読むのが好きで、中学生のときには活字中毒だった。5歳から作家の夢を掲げ、児童文庫の賞に応募したこともある。頭の中で自分自身と会話しながら、常に何かをぐるぐる考える癖もある。晩ご飯の玉ねぎの切り方から、研究のこと、政治のこと、私という存在まで、話題はさまざまである。

とはいうものの、私にとっては、一生イギリスをすることが目的だ。研究は現状最適な手段にすぎず、生きていくための仕事である。今は「最適度合い>アカデミアの無数のデメリット」なので研究者を目指している。もし不等号が逆転したら、別の手段を見つけるつもりだ。

ことわっておくと、私はイギリスを肯定しているわけではない。これまでのイギリス滞在で、嫌なことや不満もたくさんあった。歴史を振り返っても、到底許されない行為も数多い。なにもかもをひっくるめたイギリスとともに、私は生きてきたし生きていくというだけだ。

昔はよく「イギリス愛」と言っていたし、好きだった。今はもう愛なのかもわからない。好きなのかもわからない。血肉となって、私自身と不可分に混ざり合ってしまったのかもしれない。イギリスを貫こう、という能動的な感覚もない。ただそこに在るだけだ。

最近は「人生の補助線」と呼んでいる。不安しかない世の中で、先の見えない人生という図形を描いていくなかで、参照軸となり、指針となり、目の前の問題を少しわかりやすくしてくれる。



この辺で私とイギリスの話を一旦終わろうと思う。一度文章でまとめておきたいと思っていたので、いい機会だった。それにしてもかなり長くなってしまった。これでもかなり削って、本当にちょっとしか書いてないのだけど。今回省略したところは、また別の機会にポツポツ書いていきたい。

最後まで読んでくださったあなた、お付き合いいただきありがとうございました😊🇬🇧

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