ささやかに時代に逆行するーー獅子文六『ある結婚式』評
『ある結婚式』は1963年、高度経済成長期、東京オリンピック誘致に湧き上がる時期に獅子文六によって書かれたものである。元来ずっと媒酌人を断り続けていた「私」は新劇女優の大先輩Tの頼みだけは断りきれず、結婚するTの息子とその相手のために小さな結婚式をとりしきることとなった。自宅の日本間で繰り広げられるささやかな結婚式の風景だけを切り取ると心温まる作品であるのだが、以下ではこの中に隠された社会的潮流に逆行する文脈について考えたい。
本作が発表された3年前、1960年は俳優の石原裕次郎と北原三枝が豪華な挙式をあげ、12月3日付の日刊スポーツ紙には「700万円のカップル」と大見出しがついている。それまでは神社で挙げる質素な婚礼が主流だったが、昭和中期から「ハデ婚」とも呼ばれる豪華な結婚式が流行し始める。そこへ持ってきて東京オリンピックをきっかけにたくさんのホテルが建設され、高度経済成長の中で結婚式の市場は大きく伸びていく。
結婚の当事者であるTの息子とその相手は、この当時の流行である「ハデ婚」に身震いが出ると訴えて小さな挙式をしきることを「私」に渇望する。結婚予定日の日には大磯の別荘にいるから引き受けることができないという「私」に対して、ならば大磯まで一家総出で伺うというのだから相当である。作中で「若い二人」「勇ましい若者」と語られているこの2人が、作品全体で見るとなごやかに小さな挙式をあげるまでがゆるやかに描かれている。その一方で、時折あらわれる2人の意思の固さが静かに作中に際立っている。当時の「ハデ婚」といういかにも資本主義的な社会の流行に嫌悪を感じている若者2人の姿から、高度経済成長期において市場化された社会に静かに逆行しようとする文脈が感じ取ることができる。
密かに感じられるこの文脈については文六とその憧れである夏目漱石の関係が少なからず影響を与えていると考えられる。文六自身は夏目漱石に強い憧れを抱いており、昭和の漱石を目指していると言っていたことが当時の朝日新聞記者の新延の回想録で描かれており、2人の間には時代は違えど共通点は多い。ふたりとも新聞小説家であったことや、ヨーロッパに留学経験があったこと、都会っ子であったが一時期田舎暮らしを強いられたことなどあげられるが詳しくは牧村健一郎の『評伝獅子文録』を参照されたい。ここで注目すべきは漱石のもつ近代人のエゴイズムをぎりぎりまで追い求める精神性とそれを描くユーモアである。
若い時から落語を好んだ漱石にしろ、草双紙を愛読した文六にしろ、豊かなユーモア感覚があり、それに加えて本場の風刺小説や喜劇に触れた経験から軽快なトーンで作品に社会的風刺を織り交ぜていく作風が目に止まる。文六の他作品である『てんやわんや』や『自由学校』では、価値観が全く変わった世の中で、過去をすっかり忘れて流行や権威にすりよったり、便乗したりする戦後の世相を明るいトーンで風刺している。本作では皮肉がこもっているわけではないにしろ、当時の世相に対しての逆行する強く若い意思を暗に表現しているといえるだろう。
『ある結婚式』と題された式は一見どこにでもあるような若い2人の幸せな風景を描いたように感じられる。しかしその2人を取り巻く世相に抗う固い意思が確かにそこに存在する。
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