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一方的な愛。映画『トーク・トゥ・ハー』

こんばんは。きなこもちです。

昔、おすぎがCMやってる映画といえば!で思いつくのが『永遠のマリア・カラス』とこの映画『トーク・トゥ・ハー』です。むかーし見て以来でうろ覚えなのですが、とても良い映画(しかし後味が悪い映画)だったなーと思い出したので紹介します。

あらすじ

主人公のマルコは女性闘牛士のリディアと付き合っている。ある試合の日リディアはマルコに「この試合が終わったら大事な話がある」と伝えて出場した。マルコは彼女の言葉を待つためにも試合を観戦していたが、その試合でリディアは闘牛による強烈なタックルを受け昏睡状態になってしまう。

リディアの元カレまで病院にやってきて、いろいろと気が気ではないマルコは、リディアが目を覚ますまでほとんど毎日彼女の見舞いに行くことにした。目を覚ましたらきっとあの日何を言おうとしたか教えてくれる。そんな折、別の病室で美しく若い全裸の女性の体をふく男を見かけた。異様な光景に目を奪われるが、彼女もまた昏睡状態にあり、男ベニグノは彼女の看病を任された看護師だった。

昏睡状態にある若い女性はバレリーナでベニグノはこの病院に来る前からファンだったという。マルコはベニグノを少し警戒するものの、自分も昏睡状態の彼女の見舞いにきていることから共感していくのだった。

スペイン映画

比較的最近の映画では『プラットフォーム』や『永遠に僕のもの』など、古いのであれば『オープン・ユア・アイズ』とか、アメリカ映画とはまた違う独特な世界観の映画が多い印象です。

スペイン映画だからって意外と見ない気がするんですけど、この映画では闘牛を扱うシーンがあります。

一方的な愛

さて本題。最初の方こそマルコとリディアの思い出話などが出てきて恋愛をいかにも美しいものとして描いてるんですが、相手が昏睡状態になったことで一方通行になってしまってからどうすんの?ってところがやはりキモなんですよね。マルコがリディアを愛する気持ちは本当なのかもしれないが、ラストで昏睡状態になる前から本当に一方通行ではなかったのか?が急に思い起こされるように作られた映画です。

だがベニグノ、お前はダメだ。完全にこいつはアウトです。想像してみてください。自分のことを一方的に好きだと言ってくる男が自分が動けないことをいいことに全裸の自分を触ってくる状況。普通起こらないですが、起こってたまるかとも思いますよね。気持ち悪いの一言でしょう。ベニグノが紹介する映画も気持ち悪いし。マルコも最初はベニグノを危険な人物だと警戒するのですが、リディアが目を覚まさない中、リディアの元カレまで見舞いに来てることに精神的にまいってしまってて、ベニグノの看病の姿に共感してしまうんですね。ここまでは割と仕方ないと思います。だから自分の愛も一方通行だということから目を背けてたように見えました。

この映画、ラストが救われないです。マルコはちょっとだけ前を向けそうですが、じゃあリディアとかベニグノとかどうすりゃいいのよ、と言われると何も言えなくなる。起こるべくして起こった悲劇だと思うので、避けようもなかったと私は思います。

この悲劇がまたいいのです。味わい深い映画だなと思います。

おわりに

愛とは難しいなと思わされる映画です。恋愛はどちらかが本気でももう一方にその気がなければ続かないですからね。じゃあ相手から愛を返してもらえないからといって愛することをやめてしまうかというと、そうでもないのがまた人間。一方的ならそれはそれであまりある想像力で勝手に脳内逢瀬を作り出したりします。キモいなと思うけど、そういうものです。

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