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命短し恋せよ乙女。小説『葉桜と魔笛』

こんばんは。きなこもちです。

太宰治は非常に有名な作家で、ご存じの方も多いでしょう。『人間失格』、『走れメロス』、『富嶽百景』と教科書に載っていますが、その中では比較的知名度が低い『葉桜と魔笛』という短編小説をご存知ですか?高校の教科書に載ったらしいですが、私が高校のときなどは載っていませんでした。

この本を読んだのは当時中学生で、はじめて読んだとき『走れメロス』の作者と同じ作者が書いたとは、とても思えませんでした。しかし、非常に心打たれる内容で何度か読み返したことを覚えています。

今日は『葉桜と魔笛』を紹介します。

あらすじ

主人公の妹は余命いくばくもなかった。妹の荷物を整理していたある日、妹がM.Tという男と文通をしていたことを知った。かなりの数の手紙を見つけて主人公とその父はとても驚いていた。しかしM.Tは妹の病気を知るなり「もうお互い忘れてしまいましょう」といい文通をやめてしまっていた。主人公は頭にきて、M.Tのふりをして文通を再開しようとするのだが…。

「命短し恋せよ乙女」という言葉をそのまま小説にしたような話

「命短し恋せよ乙女」というフレーズは『ゴンドラの唄』という大正の歌謡曲の冒頭の歌詞で、『葉桜と魔笛』とは関係がないのですが、それでもその歌詞を小説にするなら、まさにこれといった気持ちにさせる内容です。

読んだ当時中学生だった私はこの小説を読んで「やりたいことは生きてるうちにやらないと、こんなに後悔するのか」と幼いながら思いました。当時好きな人がいたくせに想いを伝えようとは思いませんでしたが、もし自分がもうすぐ死ぬとわかっていたら、この小説の妹のような必死さが出たかもしれません。もし今結婚して子どもがいなかったら、「今もまだ生きてるんだから想いくらい伝えておけばよかったのに」と思ったかもしれません。とにかく切実な話なのです。

今どきの10代、20代は別に恋愛なんてしなくてもと思ってる人も多いようなので、あまり内容が刺さらない人もいるかもしれません。しかしもうすぐ死ぬとわかってたら今のうちにやりたいことを必死でやろうとする気がしますし、その中に恋愛も含まれる人はいるでしょう。もうすぐ死ぬとわかり、したいことができないとわかった上で生きる苦しみがこの小説では表現されているのです。

姉の妹への愛とあまり出てこない父の微かな愛

妹が本懐を遂げられないとわかり、できる限りのことをしてやろうと必死になる姉の姿もまた心を打ちます。私には弟がおりますが、もし若くして弟が死にかかり、この小説に出てくるような手紙をうっかり見つけてしまったら、気が気じゃなかったと思います。

姉の、手紙を書く行動は個人的にはやめておいたほうが良かったんじゃないかと思っています。そんなものはすぐに姉が書いたとバレそうだからです。かといって、手紙の差出人M.Tの悪口を言うのも違う気がしますし、見つけてしまった手紙の束を見てなかったことにするのも不器用すぎて無理そうです。どうすればよかったのか。かわいそうだと扱うこと自体がかわいそうですし…。

そんな中で、父親かそれとも違うのかわかりませんが口笛が聞こえてきたのが本当にすごくて、感動しました。嘘を嘘にしない優しさと嘘だとわかってやりきる気持ちに涙がこぼれました。

情景が映画のように目に浮かんでくる

この小説の個人的にすごいと思っているところは、情景が映画のように目に浮かんでくるところです。映像のようにではないところが大事です。一つ一つのシーンが美しい映画のワンシーンのように語られるのです。

私は大砲の音は聞いたことがありませんが、葉桜は毎年見ますし、口笛も吹けます。満開の桜じゃないところがまたいいのです。もうすぐ散るとわかっている葉桜と妹の儚さが重なって、また口笛特有の寂しさも相まって、心揺さぶる染みるシーンになっています。

前に記事でちらっと出した池波正太郎の小説もご飯を食べるシーンとかはかなり情景がリアルでおいしそうなのですが、感動的なシーンとして情景が浮かぶものは『葉桜と魔笛』がはじめてだった気がします。

おわりに

『葉桜と魔笛』は青空文庫なので、無料でいつでも読めます。しかも非常に短くあっさり読める小説なので、まだ読んだことがない方はスキマ時間に読んでみてはいかがでしょうか。


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