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祖母が直接言えなかった母への想い

よく思い出す数ある記憶を、今日もいつもと変わらず頭の中で上映していました。

いつもならそれで終わり。
でも今日は少し違いました。


その記憶はわたしが幼いときに母方の祖母の家にいったときのこと。
祖母の家に泊まり、祖母は二人きりになるたびに聞いていた話があります。

それはわたしが生まれたときの話です。

わたしは未熟児でした。
帝王切開で生まれ、体重は1500グラム。すぐに保育機に入れられました。

祖母は病院からの一報を聞き、駆けつけてすぐに看護婦さんからこう告げられるのです。


“赤ちゃんは元気なんですけど、お母さんのほうが…”

『それを聞いたときは、つま先から頭の先までビリビリッ!っと電気が走るようじゃった。』

そう話したところで、祖母は目に涙をためるのです。

いつもは記憶はここで終わり。
あ、また思い出してるわ
と心の中でつぶやくだけです。


でも今日はその記憶で気づいたことがありました。

あの話をするときは、決まってわたしと二人きりのときだったんです。
もしかすると記憶を少し操作しているかもしれませんが、覚えている中でも新しいものを辿ると、そこにいるのは祖母とわたしだけのとき。

これはきっと、母に対する祖母の想いだったんだろうなと思いました。

実の娘には直接言えない気持ちを孫であるわたしには話したんでしょうか。

祖母が口にしたのは、自分の娘が亡くなってしまうという恐怖。
その一方でそれほど大切に思っているという気持ちの表れ。

祖母は自身の強烈な記憶を話してくれてたんだと思いますが、娘(母)が生きている喜び、そして小さく生まれた孫が元気に育っている感謝を、わたしを見るたびに思い出して、祖母本人も知らないうちに感情をのせていたんだと思います。


実は高校生のとき英語のエッセイコンテストで、"The story of my birth"というタイトルにて祖母が毎度話してくれる生誕物語を綴りました。

当時はその言葉に込められた母への想いなどは考えもせず、単純に祖母がわたしの誕生の瞬間を変わらず喜んでくれている話として書いたんですけどね笑

書いたエッセイは母に見せないつもりでいましたが、コンテストの結果準優勝したため母にもバレることになります。
英語で書いたからどうせ読めないだろうと思っていたところ、母は英和辞書を出してきて文を訳し始めたので、きっと内容は理解したことでしょう。


読まれたことであの時はかなり恥ずかしかったですが、今思うと書いて良かったです。
特に、あの話は祖母が心に秘めた母への想いだったのではないかと思えた今日は、少しでもおばあちゃん孝行ができたのかなと思うのです。



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