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どうして《存在しない世界”未来”》を信じられるのか〜時間が言葉の中にしかない理由〜

この記事はパンクロッカー/希哲学者/映画監督など様々な方面で活躍している人が書いてます。プロフィールはこちらhttps://www.souri.site/

最近ヘルツォーク監督の『小人の饗宴』という映画を見て間違いなく今年の一本になりそうな気がしているSO-RIです。この作品に関しては芸術評論の方で近々書こうと思っています。というかジャケット最高じゃないですか??

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問題設定:どうして話し言葉を信じられるの?

さておき、本日は言葉という宗教について書こうと思います。
問題設定は明確で、どうして”人の言葉”ここでは特にパロール(話す言葉)とリアルの一致があると信じられるか。という問題設定です。

例えばこのような会話を私たちはよくします。

Aさん「Bさん相談があります。」
Bさん「では明日夜8時に新宿で。」
Aさん「ありがとうございます。わかりました。」

このような会話はありふれていて特に違和感を憶えませんが超”無意識に”信じているわけです。これを無意識的信念(以下©︎)と言います。
例えば
①自分がその相談を明日も持っているという©️
②自分が明日そこにいけるという(物理的にも、モチベーション的にも)©️
③いけたとしてもその人に会うのが嫌になる可能性がないという©️
④相手がその相談に乗ってくれるという(物理的に)©️
⑤また、相手がその相談に乗ってくれた。と自分自身が思えるという©️
→実際には一言で終わり、後でその人は覚えていない可能性もありうるなど。その場合に相談に乗ってくれた。と自分は思えない。
⑥ありがとうございます。という明日も感謝の心が持続するという©️
→この⑥は恩を相手に受けることになるので、後に〜してあげたのに、という情緒的な問題になる可能性がある。よってこの恩の因果関係は未来にも続く。

とりあえず大まかに6つほどあげました。
このように何気ない文面の中で私たちは知らず知らずに無意識的信念をベースにしています。しかし、実際に当日Aさんがいく気にならず行けなかったり、Bさんが音信不通になったりすることも稀にあります。皆さんも思い返してみれば結構あるのではないでしょうか。

過去にはその言葉を無意識的に信じていた。としても未来、それが現実に起こらなかった。ということがあるのにどうして言葉をそこまで信じることができるのか。
これが問題設定です。

未来という実在しない世界〜不思議①〜

言葉を信じるということは、先ほどの文脈で言えば時間性への信憑があります。
AさんとBさんは”未来”の話をしています。しかし未来は存在していません。すなわち存在しない世界の話をしています。なのに何も違和感を抱かない。不思議。
今日はこちらをメインに取り上げます。

変化をしないという世界〜不思議②〜

私たちが言葉を信じられるもう一つの不思議は、今と同じ状態が続くと思っているという不思議です。先ほどの例で言えば、自分の相談したい気持ちが変わっているかもしれないという可能性は排除され、明日も同じだと考えているわけです。

言葉の時間という世界

先ほどの例だと言葉によって、まだ存在していない世界(未来)と今をつなぎとめる役割をしているわけです。実は言葉には”まだ存在しない時間と世界”を存在させるという機能がそもそもあるんです(なんかスピリチュアルみたいになってきましたが。)
というのも言葉そのものが時間のトポス(場所)になっているんです。現実の時間とは別に言葉の時間の世界というのがあって、その言葉の時間の世界は現実に関係のない”言葉の世界”としてあるわけです。そして私たちはそれを信じることによって、”現実でもそのような時間がある。”と無意識に信じているわけです。

大切なPOINTは現実の世界言葉の世界は全く別物だという点です。

例えば、過去、現在、未来というものは実際には存在しません。
過去そのものを見たこともありません。あるのは昨日そこにいたという”記憶”だけです。そして現在というものも見たことがありません。だって”いま”と言ったときにその今はすでに過去になっていますから。そして未来は先ほど述べたように存在していません。困りました、こうなると全部実在していません。このように時間はいつも非実在的です、非実在的なものが”ある”と思えるのは言葉によってのみです。このようなことから言葉の中に時間があって、人はこれを信じているのです不思議なものですね。

結論

言葉を信じるというこの人間の特性は、実在しない言葉の世界にだけある時間を信じることから始まります。”時間”は実在しないので言葉の中にしかありません。
よくパラレルワールドや異空間などの世界がSFなどで取り上げられますが、そもそも未来などの存在しない世界を信じられる方がよほど不思議な私たちではないでしょうか。個人的にはこの辺りを教科書で高校生から教えてあげて欲しいなーと思います。自分が行って生徒と一緒に考えたいくらいです。

現場からは以上です!

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