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愛に形はあるのか!?過去最高難易度の質問

曲を作ること〜アルバム制作日記〜

昨日の深夜とある質問が来て、うとうとしていた目が一気に覚めた。
その質問がこちら。

ずっと愛とは何かを考えてきた私に突きつけられた果たし状だった。回答中はあまり思考せず直感的に答えた。こねくり回すのではなく、常に直感が行く方向に理性が付いていく感じだった。

以下 回答👇

過去一番の難問でありながらずっとそばにある質問ですね。

どんな形か。それを語る前に少し遠回りさせてください。まず愛が実在するか、それともしないかという問いがあります。それは、言い換えれば人間がいない世界でも“愛”が存在するかという議論です。

私は“言葉の愛”と“愛そのもの”を二つに分けて考えます。
私たちが普段使っている愛は愛そのものが人間が認識できるレベルに落としこまれて、言語化可能になり語られてしまった存在です。
それが言葉上での愛です。Loveとか愛とか言われます。

一方、人間がなくても存在する愛そのものがあるとすれば、それは私達が抱いている愛のイメージとはまったく異なるものでしょう。

私がはじめに回答を試みる形の対象の愛は、人間無しで実在する愛、すなわち愛そのものです。

しかし先に結論から言うと、愛そのものは無色無形です。
愛そのものは、完璧な調和を保とうとする全てを動かす力そのものです。

なぜ愛そのものは無色なのか。二つ理由があります。まず1点目。色は人間的概念です。色はレッド、ブルー、グリーンの三色の範囲の中で私たちが見ているものに過ぎません。色盲の人には世界の色が変わって見えるように総体的な概念です。よって、色をつけるのは相対的な人間です。よって愛そのもの色は分かりません。だから無色です。
そして2点目、色は形が無いと存在できません。色は形という存在に依存していて、形がないところに色があることはありません。
では、どうして無形なのか。
形は色と同じように色に依存しているように感じますが、形は色と違って触覚によって捉えることができます。目の見えない人は色は分からなくとも形は分かるのです。しかし、愛そのものは調和を求める力、エネルギーなので人間が触覚によって触れることはできません。よって無形です。

愛は力なので、そのものは何かしらの対象を必要とします。自分の力を体現してくれる対象を必要とするのです。それがなければ愛そのものは存在できません。
それは、信じてくれる人がいないと神になれないイエスキリストとの関係と似ています。
その対象は万物、自然の摂理や天体の動きなど全てです。

愛そのものは調和を求める力であって色と形がない。となると形がないので触れられません。形がないので色もない。よって無色無形になります。

しかし、この問いに答えている時点で形を考えているわけなので、どうしても人間が認識できる愛の形についての議論すなわち、人間が認識可能な愛の形の話に戻ります。

そうなった場合、私が考えるにもっとも完全な調和だと思える形は完全な球体です。
そうなると完全な球体が愛の形であると考えられます。しかし、完全な球体はすでに完全な調和をしている状態なので、よって完全な調和を求める必要がないので、矛盾に陥ります。愛は不完全で、調和を求めることができるものにしか入れません。
よって、完全な調和を求める愛は、もっとも不完全な調和をもつ存在をより必要とします。そう愛は不完全な調和の存在を常に求めるのです。そして、もっとも不完全な調和を持つ存在。それがすなわち人間だと考えます。よって愛そのものは人間というもっとも不完全な調和を持つ存在に入ることによって完全な調和を体現しようとします。人間にもっとも愛の形が顕著に現れるのはこのような理由です。あまりにも不完全故に調和を取ろうとしても取れない、でも取ろうとするその姿に人は生々しい愛を見るのです。
そしてこの世界という形が愛の調和の力によって、支えられている以上、愛の形はこの世界の形そのものということになります。
この世界の形こそが愛の形なのです。

結論 愛の形=世界の形

以上になります。

このように過去最高難度の質問は、私がいままでリリースしてきた“形について”と未公表曲“愛そのもの”と似たテーマだった。
台北より愛を込めて👇ジャケット

質問は非常に面白い。答える労力もそれなりにいるがそれよりも、楽しさが勝る。

自分が考えていることは、全て自分からの質問の範囲内で、他者から突拍子も無い事を聞かれると、それに対する自分の答えを自分が楽しみに見ている感じがある。

へー、君ってそう答えんだ〜。
と自分に言われる。

他人に対する答えの中で、また自分を理解する。自分の回答を見ていると、どうしても古代ギリシャの哲学者、プラトンの発想と似ている箇所がある。

人間を超越した、そのもの の存在を認めている私は、著作権フリーの話もそうだけれど

このおろした存在はイデアではないが、やはり超越を認めている。それは神ではないがその存在の可能性を確信している。

音楽とは超越どのような関係をもつのだろうか
それと私という体を媒介としてどのような事を私は知る事ができるのだろうか。

アルバムの曲は13曲に膨れ上がった
でももう14曲目は無いと確信している。

その存在との長い付き合いの中で、それは確信している。

アルバムのジャケットもイメージができた。
楽しみしていてほしい。

レコーディングは1月後半に決まった。
俺に年末年始の休みはない。

気合い入れていくぞ。

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