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どうして神や神話を賢い人ほど信じるのか

幼い頃から”人間とは何か””世界とは何か””現実とは何か”この三つをテーマに生きていると哲学という思考の超人集団がいる世界にたどり着いた。

そこでしばしば思うことがあった。それは彼らは超越を論理の中に埋め込むことがよくあるということ。

超越っていうのは、人智を超えたものだと思って欲しい。
プラトンで言えばイデア、アリストテレスで言えば不動の動者、一般化すると各宗教の神、イエスキリスト、自然法則、宇宙の法則、悪魔、その他諸々、、、、
とまぁなんでもいいが人間を超えた存在だと思ってOK。

特に哲学の祖ともいえるプラトンの著作は神話無しでは成り立たない。

あんな頭のいい人なら、神話などに頼らずとも人間理性でいけたんじゃないか。
と思った時が2秒くらいあった。
でも実際は違う。

彼は頭が良すぎたが故に超越の存在をどうしても必要としたのだ。
アリストテレスも同様。

ある事柄を深く深くさらに深く掘っていくとどうしてもそれ以上惚れない部分にぶち当たってしまう。
これは人間の理性の限界。

では、これ以上掘れないそれは何か?と問うと”分からない”というのが本音。

だからその論理の式の中に超越を代入する。

4+X=5 だからおそらくXは1だろう。といった具合に。

このXを担うのが超越。そして超越は全てある種のストーリー性を持つ。

神話でも自然界の法則でも。全部人間の頭の中で作られるとストーリーになる。

なんでストーリーなの?

それは人は納得できるものしか納得できないから。
納得できるものは全て論理をベースにしたストーリーだから。

人が正しいと思うのは、真に正しいことではなく
納得できるものだから。

もうちょっと深掘り。
哲学の思考は”分かる部分をふやす”のではなく”分からない部分を減らす”という方向にベクトルがある。
徹底的に考えて。分かったつもりを排除して。分からない領域を小さくしていく。
だから哲学とは先程の式だと4と5が徹底的に正しいか問う歩み。
4と5が確かだからXが分かる。

例えるならば、多分この辺りにXが埋まってるんだよなーと言うためには、その部分以外徹底的にXがないと確認することが一番大切。ということ。

つまり本当に知りたい部分を知るためには何が必要か。
という確認作業。

徹底的な論理の上にどうしても理性を超えたXを見つける。
Xのその輪郭を知る。それ自体が半端ない作業。よって超越の存在は考えまくった人しか分からない。という人もいる。でもそれもちょっと違うけどね。

恋愛に例えると、相手の心(X)を知るためには徹底的に自分を知らないといけない。
これと一緒。ううーんロマンチック。

これ全部にいえること。

日常で分からない部分を見つけたら、それが分かるために何が必要かを考える。
4、5を確認しXを見つけるこれ哲学の深い習慣ね。

おやすみなさい。


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