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書いた記事はあとからきっと役に立つ

お正月モードから日常モードへシフトしつつある今日。


些細なコミュニケーションのずれがモヤモヤを生み「これだからコミュニケーションって面倒くさいっ!!」と、いじけています。ぶーたれてもいじけても、避けては通れない。仕方ないねー。

過去の記事を読み返して、心が揺さぶられるような深い感情を味わうには、どーしても怒りや哀しみをとことん感じる必要があるんだぞ!と言い聞かせています。


自分が書いたものに励まされるのも不思議な気分ですが、なんだろう?あんまり自分が書いたものとして、認識してないっていうか。「あれ?こんなこと書いてたんだ」とか「結構いいこと書いてんじゃん」とか・・思うことあります。


励まされる・・って誰かから施されるものってイメージあるけど、案外自分でもできるものなのかも。「いま」の自分に対して「過去となった」自分がことばを贈る。


これって、調子がいいときもよくないときも書いてるからこそ、できることかもしれないなー。調子がよくないときに書いてる記事が、後から読み返すと、ほうほうと思うこともある。何が効いてくるかなんて、わかんないですから。

「未来」の自分に効く言葉・・処方箋みたいなもんかな。それをせっせと書いて調合してる。それが、もしかしたらわたし以外の人にも効いてくることだってあるかもしれない。そうなったら、それはそれで嬉しいよね。


「あーあなた今こんな症状でてるから、養生してね。処方箋書いとくからね。これとこれとこの記事読んで、ぐっすり寝てね」とか。そんなこと、できたらちょっと楽しい。


これからも、ごろっとこころの動きを置きましてゴリゴリと乳棒でことばにしていきましょうかね。それではまたー。


▽仕事始め、いろいろと思うところがある方へおすすめ記事です。どうぞ。


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