世田谷は素敵さ 1
長野県に移住してきて、約7年が経つ。
東京を離れて、もうそんなに経つのか…と
感慨に耽ることが増えた。
子達が大きくなってきたから、
年数が経ったことを実感するようになったのだ。
東京生活の思い出は、宝物だ。
目まぐるしく展開して、
だけどどこかのんびりで、
自転車に乗りながら夕陽を眺めて、
きれいだな、と思う時間はたっぷりあった。
初めてひとり暮らしをしたのは、
四谷三丁目の個人デザイン事務所で働いていた時。
三軒茶屋にほど近い若林だった。
下北沢愛が強いわたしは、
すぐにシモキタまで行ける範囲で部屋を探した。
若林からは、チャリや徒歩でも行ける。
環七通りと世田谷線若林駅の交差するすぐそばの、
三階建てマンションの一階がわたしの部屋だった。
ひとり暮らしが自由で心地良くて、
休日気ままにふらりと外出しては、
喫茶店に入って読書に耽り、
気に入ったパン屋であれこれ買い込み、
おいしいコーヒー豆を選んで、
帰りにビデオをレンタルして、
気の済むまで夜更かしした毎日。
世田谷は、なんでもない路地が本当に素敵だ。
そこに昔から住んでいる人たちの営みが、
自然に、ゆったりと、意外と普通にある。
世田谷というと、高級住宅地のイメージが
埼玉生まれのわたしにはあったのだが、
それはほんの一部で、大体の場所は、
普通のスーパーで安売りを買うおばちゃんや
昔ながらの中華屋さんや、
普通の家々が並ぶ住宅街で構成されていて、
当たり前のことなんだけど、
妙に親しみを感じてしまった。
若林は、スーパーtopsで野菜などを買い出しして、
住宅街の中にぽつんとある
レトロなリサイクルショップに通ったり、
すぐそばの世田谷通りにでて、
アメリカ雑貨屋さんや古道具店を見て周り、
生活に必要なものを揃えるのが楽しかった。
今もまだ、あるのかな。
世田谷区内では合計4度引越しを重ねて、
それぞれの街を隈なく散策して堪能した。
どの街も、素敵だった。
これについては、後日書きたい。
世田谷の暮らしを思い出すと、
くるりやフジファブリック、
キリンジ、ハンバートハンバートが
イメージにぴったりとハマる。
あの空気感。たまらなく懐かしい。
いつかまた、今度は子達を連れて、
住んでいた街に行きたいなと思う。
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