呼吸ができること

息ができないですね。
息を吐くようにそう思います。

ここ最近ずっとずっと毎日マスクをしていたけど、違うメーカーのマスクに変わったら違和感がすごい。新しいマスクも耳が痛くならないゆるゆる(褒めてる)のゴムだけど、もしかして今はもうそういう時代なのかな。企業努力。それにしてもわたしの慣れがすごいと思う。ほんのちょっとのフィット感の差にものすごく違和感を感じてる。超快適だったな。

昨日も今日も春なのでさすがに春かもと思う。ほんとのところ毎日本当に春かなと疑わしい。たまに思い出したように冬だったりするし。騙されると悲しいので今日は春だよなと毎日確認してる。今日も春です。

春のセットアップを着ている。春の色。中には好きな白シャツを着て、とても幸せ。胸にきつねがいる。アイシャドウは春のピンク。濃い方の桜。品種はわからないんだけど。あとマスカラし忘れた。そろそろニットとかヒートテックとかが暑く感じる気がしてる。

次の日着るものを久しぶりに決めた。いい傾向。人は見た目が9割とかいうけど、伝えたいことを伝えるために、そういうのは大事なんだと思う。言葉以外のコミニュケーション。非言語コミニュケーションか。
自分の声がスピーカーに反響すると音が違和感すぎて自分の喋ってる声が分からなくなったな、リズム感が失われる。話す時のリズムってあるんだな。

昨日はわたしが好きになった言葉が日の目をみることが決まって幸せになった。今日それをみんなに発表した。もう確実に命を吹き込まれた。2度目の誕生ってかんじ。誕生日おめでとう。
もしかしたら、生まれなかった方は、わたしのせいかもしれない。わたしの好きすぎる気持ちが非言語で出まくった気がするので、それによって結果を変えてしまっていたらごめんね。でもわたしの好きな言葉が死ななくて本当によかった。

‪自分の言葉で誰かが喜んでくれることはとても嬉しい。わたしはわたしの言葉が好きだから、わたしの大事な言葉を、受け取る人も大事に受け止めてくれることがとても嬉しい。わたしはわたしの言葉はわたしのものだという意識が強い。わたし自身も、人から聞いた何かを発言する時に、これは誰の意見でとか誰のアイディアでとか言うように気をつけている。わたしが言葉に価値を感じているからこそ、敬意を払っているつもり。わたしは特別言葉が好きで、好きになれるくらい好きなんだと思う。ふつうのひとは言葉に好き嫌いがあんまりないのかもしれない。
許可なく自分のもののように発せられた意見は盗用だ、と思うことが時々ある。ふつうの言葉にはそんなに価値がないと思っているのかもしれない。残念だけど。たしかに商標登録なんてしてないけど。悲しいことに他人から聞いたことをまるで自分の意見のようにいう人が少なくなくて、だけどそんなものなのかもしれない。悲しいけど。もっと言えば、自分の意見を曲げているのに、最初からそう思ってたみたいに言う人は苦手かもしれない。最初の言葉がかわいそうだと思う。自分の言葉を大事にしよう。はたまたわたしが経緯を大事にしすぎているから、変なところにこだわりすぎなのかもな。
わたしの意見を自分の意見のように言っちゃう人に対して、わたしの言葉返してよって思っちゃうけど、でもそれはもしかしたら、わたしの言葉がひとの意見を変えちゃうほどに影響を与えているということなのかもしれない。そう思うようにしようと思った。‬
言葉はうまく使えば話す時間を短縮できるから、言葉は時間を超えることができるね。わたしが合理的で効率重視なのと言葉が好きなのは関係あるかもしれないね。話が簡潔な人が好きすぎる。

雨、一瞬行けると思ったけど嫌すぎた
自由律俳句なのです。なんかこんな適当に言った言葉をふいに気に入ったりする。
言葉の足らない部分が素敵だったりするよね。

牛乳飲みすぎるとダメなお腹かもしれないと思えてきた最近。大人になってから乳糖不耐症になったりするものなんだろうか。今日のカフェオレはカフェラテのように美味しすぎた。コーヒー120mLは多過ぎるから量を減らそう。このL大文字の理系感。伝わらなくても、いい。

今日は早く帰れたら時計を見に行きたかった。現物見ずに買ってみようかな。どっちにしろ下見してネットで買おうと思っていたから。ここ何年か試着をせずに服買うことはないけど。
時計に一目惚れしたことがない。使っているものはすごく気に入っている時計ばかりなのに、似合うと思って時計を買ったことがない。今まで一度だって時計を試着してしっくりきたことがない。時計単体でならいつもかわいいのに。愛着によってだんだんとかわいく見える場合もあるとは思う。
腕時計が似合わない人間なんだなと思ってる。そういうのもあるかもしれない。わたしはイヤリングが似合う人間で、ネックレスと指輪はあまり似合わない人間だ。PD的にそういうのはありそう。まだ似合うものにであってない可能性も大いにあるけどね。
時計をしない腕にもいい加減慣れてきたけど、全然すきじゃないな。それでも前はパンツ履き忘れるくらい気持ち悪かったときに比べたら生きていけてる。気持ち悪いけど。時計のことを考えはじめたいま、すごく気持ち悪い。代わりに誰か手首掴んでおいてくれないかな。

こんなに生きられない状況なのに、いっぱい仕事して偉いなわたし。仕事は楽しいけど。楽しいけど進みは良くない。わたしの望んでいる程度まできてない。もっと早くいろいろと把握しなくては。がんばろ。

明日は何もできないかもしれないけど許してね。正直生きるためのエネルギーを摂取するためのエネルギーが枯渇している状態。このままゆるやかに死にゆく感じ。能動的に何もできないけど、それでもたまに飛び込んでくる受動的なものたちになんとか生かされてます。ありがとう。リアルな言葉をずっと発信し続けてくれたら何もトピックスとかなくていいと思ってる。どう存在するかよりも、ただそこにいることがただただ大事だ。好きな人の存在ってそういうものだよね。

ではまたいつか会うことがあれば。

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